『村上春樹、方法としての小説』3

<『村上春樹、方法としての小説』3>
図書館で『村上春樹、方法としての小説』という本を手にしたのです。
村上さんの物語の秘密が載っているとのことで・・・借りる決め手になりました。



【村上春樹、方法としての小説】


山愛美著、新曜社、2019年刊

<「BOOK」データベース>より
洞窟の中のストーリーテラー、村上春樹。その創作の原点はどこにあるのか?幼少期のエピソード、作品・インタビュー中の言葉に着目し、独自の方法で紡ぎつづける物語の秘密に迫る!
【目次】
序章 自発的に語り始める「物語」/第1章 方法としての小説、そしてはじまりの時/第2章 初めての物語としての『風の歌を聴け』/第3章 デレク・ハートフィールドの世界/第4章 言葉・身体/第5章 記憶・イメージ/第6章 創作過程を探る/終章 想像力と効率

<読む前の大使寸評>
村上さんの物語の秘密が載っているとのことで・・・借りる決め手になりました。

rakuten村上春樹、方法としての小説



次に、第6章で「使いみちのない風景」あたりを、見てみましょう。
p195~196
<3「使いみちのない風景」の使いみち>
 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、『世界の終り』と『ハードボイルド・ワンダーランド』という別々の二つの話が並行して語られ、展開していく物語である。『1973年のピンボール』出版の後、1980年『文学界』に掲載するために書かれた『街と、その不確かな壁』は、その修作的な作品とされている。

 しかし、村上本人はそれを失敗作であるとして発表したことを後悔し、全集に収録することも認めていない。『全作品1979~1989』の付録冊子の『自作を語る』④「はじめての書下ろし小説」(1990c)の中で、これらの二つの作品について彼は多くを語っている。

 『街と、その不確かな壁』で手がけたことが、どうしても当時の力量では満足のいくものにはなりえなかったこと、その後途中引っ越しを挟み、彼にしては異例の長時間をかけて1985年に完成した『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を書くのがどれほど苦しい仕事であったかが吐露されている。

 1980年の『街と、その不確かな壁』と1985年の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の二作の間に、上記の実験が行われたということになる。そこでいったい何が起こったのか。「使いみちのない風景」とは何なのか。村上は言う。

 それじたいには使いみちはないかもしれない。でもその風景は別の何かの風景に(おそらく我々の精神の奥底にじっと潜んでいる原初的な風景に)結びついているのだ。
 そしてその結果、それらの風景は僕らの意識を押し広げ、拡大する。僕らの意識の深層にあるものを覚醒させ、揺り動かそうとする。(p.96)


「使いみちのない風景」が、我々の意識の制御を超えたところで、我々の深奥に触れて原初的な風景を呼び覚まし、そこに何らかの動きが生じ、何かがもたらされる。しかしそこにどのようなつながりがあって、その過程で何がどのように起こっているのかはわからないのである。

 余談だが、上述の引用部分に示したように、1994年には「我々の精神の奥底」としていた箇所を2002年の『全作品』出版の折には「我々の魂の奥底」に書き換えている。『ねじまき鳥クロニクル第1・2・3部』(1994-1995)を書き上げ、河合隼雄と出会って対談をし、インタビューを行ない『アンダーグラウンド』(1997/1999)と『約束された場所で』(1998/2001)を書いた頃から、村上の中で「魂」という言葉がよりぴったりくるようになったのではないだろうか。

 あらためて村上は、「僕は旅行というものがあまり好きであない」(p.98)と言う。確かに、旅行には不便や失敗がつきものである。特に海外に行く時には、それらが取り返しのつかないほどになければ良しとするしかないくらいの覚悟がいる。それでも人は旅に出る。何のためにか。それは、自分のための「そこでしか見ることのできない風景」(p.104)を見つけようとしているのだと、村上は言う。通り過ぎていく中、どうしようもなく惹きつけられる風景を求めて。

 日常の中では人は瑣末な事柄に心奪われて、あるいは煩わされざるをえないので(そもそも生きているということはそういうことだ)、そのような風景に遭遇するには感覚が鈍磨しすぎている。我々は、日常目にする風景をもう知っているものと思い込み、見えているはずのものさえ見ていないものである。「使いみちのない風景」に出会うにはいつもの日常の目とは違う「目」が必要なのであろう。

 なぜ惹かれるのかよくわからないけれど心奪われるものこそ、心の深奥にある何かを揺さぶる可能性がある。しかしながら、その風景を写真に撮ってみても「目にした風景の特別な力を写し取っていることは、極めて稀」(p.106)だと村上は言う。随筆は次のような言葉で締められている。

 僕は思うのだけれど、人生においてもっとも素晴らしいものは、過ぎ去って、もう二度と戻ってくることのないものなのだから(p.108)


『村上春樹、方法としての小説』2:「騎士団長殺し」あたり
『村上春樹、方法としての小説』1:初期の三部作

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