『サル化する世界』
<『サル化する世界』>
図書館に予約していた『サル化する世界』という本を、待つことおよそ5ヵ月で、ゲットしたのです。
内田先生には毎度「内田樹の研究室」の紹介を務めている太子である。この本には期待できそうやでぇ♪
この本の「まえがき」、見てみましょう。
図書館に予約していた『サル化する世界』という本を、待つことおよそ5ヵ月で、ゲットしたのです。
内田先生には毎度「内田樹の研究室」の紹介を務めている太子である。この本には期待できそうやでぇ♪
【サル化する世界】 ![]() 内田樹著、文藝春秋、2020年刊 <「BOOK」データベース>より 現代社会の劣化に歯止めをかける、真の処方箋!堤未果氏との特別対談も収録。 【目次】 1 時間と知性/2 ゆらぐ現代社会/3 “この国のかたち”考/4 AI時代の教育論/5 人口減少社会のただ中で/特別対談 内田樹×堤未果 日本の資産が世界中のグローバル企業に売り渡されるー人口減少社会を襲う“ハゲタカ”問題 <読む前の大使寸評> 内田先生には毎度「内田樹の研究室」の紹介を務めている太子である。この本には期待できそうやでぇ♪ <図書館予約:(3/25予約、9/02受取)> rakutenサル化する世界 |
この本の「まえがき」、見てみましょう。
p3~4 <なんだかよくわからないまえがき> そういう野放図な「仏文らしさ」は90年代にあ廃れてしまいましたけれど、僕が 大学院にいた頃までの仏文研究室は、フランス語で書かれたものなら何を研究してもよいというずいぶん牧歌的な研究環境でした。 そのせいもありまして、僕は学部ではメルロー=ポンティの身体論で卒論を書き、修論はモーリス・ブランショの文学理論を論じ、その後19世紀末フランスの極右政治思想と反ユダヤ主義研究に転じて、並行してエマニュエル・レヴィナスの著作を翻訳しながら、アルベール・カミュの再評価を企てるという支離滅裂な学問的形成過程をたどりました。どの領域についてもけっこうな数の学術論文を書きましたし、いくつかは学会内部にも評価されました。 神戸女学院大学に定職を得てからは、大学のこれまた開放的な雰囲気をよいことに、映画論、記号論、教育論、アメリカ論、中国論、マンガ論と研究対象を広げ、そのうちに気がつけば政治や経済や歴史についてまで論じるようになっていた・・・というわけです。 そういう人間をつかまえて「専門分野以外のことに口を出すな」と言われても困ります。「専門分野以外」と言ったら、もう全部そうなんですから。 でも不思議な気がしました。 若い学者というのは、どちらかというと「好きなことをしたい」と思うものじゃないかなと思っていたからです。 どうも違うらしい。 若い研究者が「既成権威に喧嘩を売って、老人たちの顰蹙を買ってのしあがる」というスタイルは今も昔も変わるはずがありません。ということは、僕がもし彼らから「既成権威を体現する老人」と見なされているのだとすると、僕のこの「専門にしばられず、好きなことをじゃんじゃんやる」というスタイルそのものが彼らからすると抑圧的な因習に感じられているということになります。 そういう理屈なら、わかります。 彼らがおのれの批評性や知性の質を「専門領域から一歩も踏み出さない」知的抑圧によって基礎づけられているのだとしたら、辻褄が合う。 そう考えたら、いろいろなことが腑に落ちました。 そうか、今の日本人たちは「身のほど」を知ることが端的に「よいこと」だと思うようになったのか。身のほどを知り、分際をわきまえ、身の丈にあった生き方をすることが強く推奨されており、それから外れて、おのれの分際をわきまえずに、身の丈を超えた生き方をする人間は批判と処罰の対象になる、と。 そう考えたら、いろいろなことが繋がりました。 |
"『サル化する世界』" へのコメントを書く