『知性は死なない』3
<『知性は死なない』3>
図書館に予約していた『知性は死なない』という本を、待つこと5ヶ月ほどでゲットしたのです。
自身の「うつ」からカミングアップした著者の近作であるが・・・
副題が「平成の欝をこえて」となっているのがええでぇ♪
第5章「知性が崩れてゆく世界で」でリベラルの衰退が語られているので、見てみましょう。
『知性は死なない』2:「帝国適性」の高い中国
『知性は死なない』1:「平成の欝」
図書館に予約していた『知性は死なない』という本を、待つこと5ヶ月ほどでゲットしたのです。
自身の「うつ」からカミングアップした著者の近作であるが・・・
副題が「平成の欝をこえて」となっているのがええでぇ♪
【知性は死なない】 ![]() 與那覇潤著、文藝春秋、2018年刊 <「BOOK」データベース>より 平成とはなんだったのか!?崩れていった大学、知識人、リベラル…。次の時代に、再生するためのヒントを探してーいま「知」に関心をもつ人へ、必読の一冊! 【目次】 はじめに 黄昏がおわるとき/平成史関連年表 日本編/第1章 わたしが病気になるまで/第2章 「うつ」に関する10の誤解/第3章 躁うつ病とはどんな病気か/平成史関連年表 海外編/第4章 反知性主義とのつきあいかた/第5章 知性が崩れゆく世界で/第6章 病気からみつけた生きかた/おわりに 知性とは旅のしかた <読む前の大使寸評> 自身の「うつ」からカミングアップした著者の近作であるが・・・ 副題が「平成の欝をこえて」となっているのがええでぇ♪ <図書館予約:(7/25予約、12/09受取)> rakuten知性は死なない |
第5章「知性が崩れてゆく世界で」でリベラルの衰退が語られているので、見てみましょう。
p190~193 リベラルはなぜ衰退したのか 1989年、東欧の社会主義国の崩壊とともにはじまった平成という時代は、2017年のドナルド・トランプ米国大統領就任に象徴される、リベラルの世界的な退潮のなかで、幕をおろそうとしています。 人種・宗教・性・障害などにかんする差別発言を連発するトランプにたいしては、選挙中から批判が集中した反面、「あれは、支持者をもりあげるためのレトリックだろう。さすがに当選したら、穏当な政策をとるだろう」という評価も聞かれました。しかし、イスラム圏を中心とする特定国の国民の入国禁止や、メキシコとの国境への壁の建設などの過度な公約は、司法との軋轢をかかえながらも、じっさいに着手されています。 奴隷制に代表される人種差別の暗い過去をのりこえて発展してきた、自由主義の本場ともいえるアメリカで、どうしてこのようなことが起きるのでしょうか。 平成の日本では、やはりリベラル派の衰退がいわれはじめた小泉改革のころから「リベラルが弱いのは、有効な経済政策がないからだ」といった解説が語られてきました。 結果として、思想的にはリベラルに近いとされた民主党政権がたおれ、復古的な保守主義の色が濃い第二次安倍内閣が発足したときも、「アベノミクスは期待できるから」といって、リベラルを称する人びとのかなりの部分が支持にまわるという、もの悲しい光景もみられました。 この保守やリベラルといった用語じたい、平成とともに役割を終えつつあるのでしょうから、最小限の定義としておきましょう。 そもそも、20世紀には左翼と同義語だった社会主義とは、本人たちの主観では最強の「経済政策」でした。産業を国有化することで、資本家の労働者にたいする搾取をなくせば、これまでは資本家の懐を肥やすだけだった部分が、社会的な厚生にまわる。解放された勤労大衆も、これからは資本家ではなく自分たち自身のために働けるのだから、生産力の爆発的な増加が起こり、貧困は消滅する。だいたいこういった理屈です。 これは、文字どおり革命的な変化なので、とうぜん反発をまねきます。社会秩序の安寧のためには、そういった変化をゆるしてはならないとするのが、保守の立場です。 たいして両者の中間で、リベラル(自由主義者)がになった役割はふたつありました。ひとつは、社会主義の経済政策にたいして、それはむしろ「非効率」ではないかと指摘すること。じっさい、官僚による計画経済の運営は、民間の市場経済とくらべてうまく機能せず、社会主義の国では物資の不足が常態化していきました。 もうひとつは、左翼が主張する社会主義の実現、ないし保守がとなえるその阻止にたいして、「それよりも、もっと大事なものがありませんか」という価値を示すこと。社会主義国で政府の方針を批判したものは投獄・粛清され、逆に革命を防止するために反共主義をとった国でもまた、レッドパージのような思想弾圧や、政治犯の虐殺がおきました。 われわれの目的は、あらゆる人が人権を尊重されて、自由に活動できることなのだから、優先順位をまちがえてはいけない。これがリベラルの立場です。 その意味では、「必用なのは経済政策だ」といった手段の議論が幅をきかせ、はては「多少不自由になっても、成長戦略のある政権がいい。思想よりお金だ」といわんばかりの発想が語られはじめた時点で、政治勢力としてのリベラルの意義は、おわっていたのでしょう。それでは、たんなる保守ないし左翼の下請けです。 しかしいま私たちが直面している課題は、より深刻です。自由や人権といった、リベラルがかかげてきた価値自体が、「それって、そんなに大事なものなのか」「政策の邪魔なら、なくしたっていいんじゃないか」と、広く思われはじめている。 消えつつあるのはリベラル派という思想集団ではなくて、私たち自身の権利なのです。しかもそれを途上国の独裁者ではなく、先進国の民主的リーダーが、つまり「私たち自身」の代表がみずから先導している。 どうして、そんなことになったのでしょうか。 病気から回復する途中で、そのことについて、考える手がかりをくれた小説があります。 2008年末に刊行された、伊藤計カクの『ハーモニー』というSF長篇です。翌年の著者の急逝や、海外での受賞もあって、ファンのあいだではすでに古典的な扱いをされている作品だそうです。 内容じたいは、古くからあるディストピアものの一種です。舞台となるのは核戦争の抑止のために、いわば「リベラルな思想が強制される」ことで、じっさいに平和が実現した未来社会。 強制といっても、大学で教員が自由主義を教えるような、効率の悪いことはしません。人間全員がコンピュータを埋めこまれて、食事管理やストレスコントロールから、異なる文化をもつ隣人との共生まで、「みんなに優しい選択肢」をメカニックに提供されつづけるのです。 |
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『知性は死なない』1:「平成の欝」
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