『「徒然草」の知恵』2
<『「徒然草」の知恵』2>
図書館で『「徒然草」の知恵』という本を手にしたのです。
NHKの連続番組で著者の古典紹介を観たが、なかなかのもんやでぇ♪
老人に関するあたりを、見てみましょう。
「さだかにも弁へ知らず」という言い方がいいそうです。
『「徒然草」の知恵』1:「はじめに」
図書館で『「徒然草」の知恵』という本を手にしたのです。
NHKの連続番組で著者の古典紹介を観たが、なかなかのもんやでぇ♪
【「徒然草」の知恵】 ![]() 嵐山光三郎著、集英社、2012年刊 <「BOOK」データベース>より データなし <読む前の大使寸評> NHKの連続番組で著者の古典紹介を観たが、なかなかのもんやでぇ♪ amazon「徒然草」の知恵 |
老人に関するあたりを、見てみましょう。
「さだかにも弁へ知らず」という言い方がいいそうです。
p156~160 何事も入りたたぬさましたるぞよき (何事においても、そのことをよく知っているというふりおをいないのがよい<第79段> ■老人へのいましめ 兼好は論を進めて、歳をとってからの好ましい態度についても述べている。 老人に対するいましめとして第168段に、 (どんなに教養があっても、人から何かを尋ねられたときは、 「もう忘れてしまったよ」と答えるのがよい) これは、一つ間違えば兼好の老獪が露見してしまう本音で、じつは、兼好が自分自身の正体をばらしてしまった部分である。 何も知らなくて、もともと無教養な老人が、 「今は忘れにけり」 と答えても話にならぬが、教養のある人が使うと、この言葉は深みを増すのであって、同じような光景は現代の会社などでも、よく見られる。偉い人ほど、すぐ忘れてしまう傾向がある。 「専務、この春には私を部長にしてくれると約束したじゃないですか」 などと詰め寄っても、パイプなどいじりながら、 「今は忘れにけり」 とやられる。 そう言われると、こちらとしても思い出してくれるまではあきらめるしかないわけで、じつは現実的で巧みな処し方と言えるだろう。この言葉は偉い身分の人しか使えない。 兼好は、しゃべり過ぎると、それだけで大した才能がないと思われるから、たとえ知っていてもしゃべるのはよくないのだと説くと同時に、齢をとってくると、昔知っていたことがあやふやになり、間違いが出てくる危険もあるから、 「さだかにも弁へ知らず」 (はっきりとは知らない) という言い方をすすめている。 この言い方をしている限り、やはりこの人はこの道の大家だと思われるものだ。教養人が陥りやすい油断をいましめる。 おとぼけは、使う人間にとっては、これほど便利な言い方はなく、私も日々、怠りせず何事かを成し遂げるよう努力するとともに、7年後ぐらいには、 「今は忘れにけり」 「さだかにも弁へ知らず」 と言うような老人になりたい。 |
『「徒然草」の知恵』1:「はじめに」
この記事へのコメント