『コウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)』2

<『コウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)』2>
図書館で『コウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)』という雑誌を、手にしたのです。
おお ナショナルジオグラフィックの鳥特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪


【コウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)】


雑誌、日経ナショナルジオグラフィック社、2020年刊

<商品の説明>より
【特集】
●終結から75年 大戦の記憶をつなぐ
推定6600万人もの死者を出した第2次世界大戦。その終結からまもなく75年が経過しようとしていて、戦争の記憶は風化する一方だ。当時を知る人々が少なくなるなか、米国、ヨーロッパ、ロシア、そして日本で、存命の数少ない戦争体験者から貴重な証言を聞いた。
●氷とコウテイペンギン
温暖化が止まらず、生存に必要な氷が解け続ければ、コウテイペンギンたちは消えてしまうかもしれない。

<読む前の大使寸評>
おお ナショナルジオグラフィックの鳥特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪

amazonコウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)


第2次世界大戦の体験者の証言が載っているので、見てみましょう。
p46~47
ビクター・グレッグ:英軍ライフル銃兵士
 あれは1937年10月、ロンドンの肌寒い日のことだ。パンと温かい紅茶の誘いはあらがいがたく、新兵募集係に付いていって、言われるまま署名をし、英軍に入隊した。「その日は自分の18歳の誕生日だった」と100歳になったグレッグは言う。「結局、お茶にはありつけなかったよ」

 代わりに与えられたのは、第2次世界大戦の最前線に身を置くという過酷な体験だった。1939年9月に戦争が始まったときパレスチナに駐留していたグレッグは、続く3年間を北アフリカの砂漠で過ごし、その後、空挺兵になってイタリア侵攻に加わった。

 1944年9月の連合軍による「マーケット・ガーデン作戦」では、ライン川に架かるアルンヘム橋を奪取するため、パラシュートで降下する任務に当った。だが、作戦は失敗に終わることになる。

「楽勝だと言われていたが、地上に降りるとドイツの機甲師団に出くわした。誰も想定していなかったようだ」とグレッグは言う。彼は捕虜となり、ドイツ東部ドレスデンの近郊の収容所に送られた。 


R・R・クラーク:米海軍兵士
 アメリカンフットボールで負傷し、ヘルニアになったクラークは、徴兵検査には合格できないとわかっていた。だが当時18歳の彼は、二人の兄の後を追って戦争に行こうと心を決めていた。自費で手術を受け、ヘルニアを治して軍隊に入った。

 1945年初め、クラークは北大西洋上で護衛駆逐艦ファークワーの機関室にいた。「そこは蒸し暑く、華氏100度ぐらい(約38℃)あったと思う」と、95歳の彼は振り返る。


ウィルヘルム・ジモンソン:ドイツ軍パイロット
 偵察機に乗って、地上を進む味方を標的に誘導していたジモンソンにとって、開戦直後の日々は大冒険のようだった。そんな思いが吹き飛んだのは、ポーランドの首都ワルシャワに入ってからだ。

 ドイツの爆撃で街は無残に破壊され、大勢の死者が出ていた。大半は民間人だ。ジモンソンは100歳になった今も、遺体の放つ腐臭が忘れられないという。「私は心に誓った。人間の上には絶対に爆弾をおとさなぞ、と」

 だが訓練を受けて戦闘機パイロットになり、英軍機を迎撃するための緊急発進など、夜間の任務を何十回もこなした。「英国の爆撃から祖国の都市を守るためだと、自分に言い聞かせていた。当時は22歳。単純だったよ」。

 1944年春までには、ドイツの都市が戦火に包まれるのを目にし、戦争は負けだとわかっていた。
 降伏の知らせには心底ほっとしたという。「1945年5月8日は私の第二の誕生日。この日にあらゆる殺戮と恐怖が終わった」と彼は言う。

(追って記入予定)


『コウテペンギン(ナショナルジオグラフィック2020年6月号)』1

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