『サル化する世界』6

<『サル化する世界』6>
図書館に予約していた『サル化する世界』という本を、待つことおよそ5ヵ月で、ゲットしたのです。
内田先生には毎度「内田樹の研究室」の紹介を務めている太子である。この本には期待できそうやでぇ♪

【サル化する世界】


内田樹著、文藝春秋、2020年刊

<「BOOK」データベース>より
現代社会の劣化に歯止めをかける、真の処方箋!堤未果氏との特別対談も収録。
【目次】
1 時間と知性/2 ゆらぐ現代社会/3 “この国のかたち”考/4 AI時代の教育論/5 人口減少社会のただ中で/特別対談 内田樹×堤未果 日本の資産が世界中のグローバル企業に売り渡されるー人口減少社会を襲う“ハゲタカ”問題

<読む前の大使寸評>
内田先生には毎度「内田樹の研究室」の紹介を務めている太子である。この本には期待できそうやでぇ♪

<図書館予約:(3/25予約、9/02受取)>

rakutenサル化する世界



司馬遼太郎の作家的パッションが語られているので、見てみましょう。
p157~159
<日本人にとっての「タフな物語」の必要性>
 僕の父は山形県鶴岡の生れです。ご存知でしょうか、庄内人たちは西郷隆盛が大好きです。庄内藩は戊辰戦争で最後まで官軍に抵抗して、力戦しました。そして、西郷の率いる薩摩兵の前に降伏した。けれども、西郷は敗軍の人たちを非常に丁重に扱った。

 死者を弔い、経済的な支援をした。一方、長州藩に屈服した会津藩では全く事情が違います。長州兵は会津の敗軍の人々を供養しなかった。死者の埋葬さえ許さず、長い間、さらしものにしさえした。

 薩摩長州と庄内会津、どちらも同じ官軍・賊軍の関係だったのですが、庄内においては勝者が敗者に一掬の涙を注いだ。すると、恨みが消え、信頼と敬意が生れた。庄内藩の若者たちの中には、のちに西南戦争のときに、西郷のために鹿児島で戦った者さえいますし、西郷隆盛の談話を記録した『南洲翁遺訓』は庄内藩士が編纂したものです。一方、会津と長州の間には戊辰戦争から150年経った今もまだ深い溝が残ったままです。

 靖国参拝問題が、あれだけもめる一因は靖国神社が官軍の兵士しか弔っていないからです。時の政府に従った死者しか祀られない。奥羽越列藩同盟の侍たちだって国のために戦ったんです。近代日本国家を作り出す苦しみの中で死んでいった。そういう人々については、敵味方の区別なく、等しく供養するというのが日本人としては当然のことだろうと僕は思います。

 僕の曽祖父は会津から庄内の内田家に養子に行った人です。曽祖父の親兄弟」たちは会津に残って死にました。なぜ、彼らは「近代日本の礎を作るために血を流した人たち」に算入されないのか。供養というのは党派的なものではありません。だから、僕は靖国神社というコンセプトそのものに異議があるのです。

 明治政府の最大の失敗は、戊辰戦争での敗軍の死者たちの供養を怠ったことあると僕は思っています。反体制・反権力的な人々を含めて、死者たちに対してはその冥福を祈り,呪鎮の儀礼を行う、そのような心性が「タフな物語」を生み出し、統治システムの復元力を担保する。
 その考えからすれば、「お上」に逆らった者は「非国民」であり、死んでも供養に値しないとした明治政府の狭量から近代日本の蹉跌は始まったと僕は思っています。

「祟る」というのは別に幽霊が出てきて何かするという意味ではありません。国民についての物語が薄っぺらで、容量に乏しければ、「本当は何があったのか」という自国の歴史についての吟味ができなくなるということです。端的には、自分たちがかつてどれほど邪悪であり、愚鈍であり、軽率であったかについては「知らないふりをする」ということです。

 失敗事例をなかったことにすれば、失敗から学ぶことはできません。失敗から学ばない人間は同じ失敗を繰り返す。失敗を生み出した制度や心性は何の吟味もされずに、手つかずのまま残る。ならば、同じ失敗がまた繰り返されるに決まっている。その失敗によって国力が弱まり、国益が失われる、そのことを僕は「祟る」と言っているのです。

 「祟り」を回避するためには適切な供養を行うしかない。そして、最も本質的な供養の行為とは、死者たちがどのように死んだのか、それを仔細に物語るのです。細部にわたって、丁寧に物語ることです。それに尽される。

 司馬遼太郎は「国民作家」と呼ばれますけれど、このような呼称を賦与された作家は多くありません。それは必ずしも名声ともセールスとも関係がない。司馬が「国民作家」と見なされるのは、近代日本が供養し損なった幕末以来の死者たちを、彼が独力で供養しようとしたからです。その壮図を僕たちは多とする。

 司馬遼太郎は幕末動乱の中で死んだ若者たちの肖像をいくつも書きました。坂本龍馬や土方歳三については長編小説を書きました。もっとわずか短い数頁ほどの短編で横顔を描かれただけの死者たちもいます。それは別に何らかの司馬自身の政治的メッセージを伝えたり、歴史の解釈を説いたというより、端的に「肖像を描く」ことをめざしていたと思います。

 司馬遼太郎の最終的な野心は、ノモンハン事件を書くことでした。でも、ついに書き上げることができなかった。1939年のノモンハン事件とは何だったのか、そこで人々はどのように死んだのか、それを仔細に書くことができれば、死者たちに対してはある程度の供養が果たせると思ったのでしょう。でも、この計画を司馬遼太郎は実現できませんでした。それはノモンハン事件にかかわった軍人たちの中に、一人として司馬が共感できる人物画いなかったからです。

 日露戦争を描いた『坂の上の雲』には秋山好古や児玉源太郎や大山厳など魅力的な登場人物が出てきます。けれども、昭和初年の大日本帝国戦争指導部には司馬をしてその肖像を仔細に描きたく思わせるような人士がもう残っていなかった。これは本当に残念だったと思います。


『サル化する世界』5:母語が生む新語・新概念
『サル化する世界』4:堤未果さんとの対談
『サル化する世界』3:対独協力国だったフランス
『サル化する世界』2:China Scare―中国が怖い
『サル化する世界』1:なんだかよくわからないまえがき

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