『古典を読んでみましょう』3

<『古典を読んでみましょう』3>
図書館で『古典を読んでみましょう』という新書を、手にしたのです。
橋本治さんといえば、パソコンを使わず原稿を手書きしたとのことで、アナログ老人の鑑のような存在でおましたなぁ♪


【古典を読んでみましょう】


橋本治著、筑摩書房、2014年刊

<「BOOK」データベース>より
えっ、浦島太郎はじいさんじゃなくて、鶴になったの?一寸法師はじつは性格が悪くてやりたい放題だった?日本の古典は自由で、とても豊かだ。時代によっていろいろある古典が、これで初めてよくわかる。
【目次】
「古典」て、なんでしょう/古典を読んでみましょう/ちょっと意地悪な樋口一葉/和文脈の文章と漢文脈の文章/日本語は不思議に続いている/はっきりした説明をしない小野小町/春はどうして「曙」なのか?/分からないものを読んでもよく分からない/亀の恩返し/古典を読んだ方がいい理由/今とは違うこと/意外に今と同じこと/歴史はくるくると変わる/日本語が変わる時/人の声が言葉を作る/漢文の役割/『日本書紀』の読み方/王朝の物語を読んでみましょう

rakuten古典を読んでみましょう



「16章 漢文の役割」で平家物語が語られているので、見てみましょう。
p200~204
<漢文が必要だった理由> 
 そもそもの『平家物語』は「目で読むもの」でした。そのはずです。それが琵琶法師のおかげで広く知られるようになったのでしょうが、『平家物語』以前の琵琶法師が語らない平安時代の物語―たとえば『源氏物語』だって、「読むもの」であると同時に「聴くもの」でした。

 お姫様のために、お付きの女房がテキストを読んで、お姫様はそれを聴く。あるいは、絵巻物として描かれた絵をお姫様が見て、お付きの女房が紙芝居のように、そこの部分のテキストを読むということをしていました。読まれるのを聴くものだから、あまり漢字が必要ではない。だから「物語」というものは、漢字抜きのかなの文字で書かれていたのですね。耳で聴いてしまえば、漢字もかなも同じですから。

 今の日本語の文章は、『平家物語』や『徒然草』以来の和漢混交文ですから、別に不思議とは思わないかもしれませんが、そもそも和漢混交文というのは大変なものです。なにしろそれは、「耳で聴く音だけのもの」に対して、漢字を充てはめて行く―耳で聴いてもよく分からない、漢字表現を加えて行くことだからです。

 その初め、日本には文字がありませんでした。言葉の音だけがあって、それを書く文字がないので、中国から来た文字―漢字を使って日本語を書きました。そのやり方も二通りで、『日本書紀』 のようなものは、中国語の通りの漢文表現で、日本のことを記述しようとしました。

 これに対して、『古事記』や『万葉集』は、漢字の持つ「音」だけを利用して、話されている日本語をそのまま記述しようとしました。それが「万葉がな」で、「音だけのものを文字にする」という点では、和漢混交文は『古事記』や『万葉集』と同じなのです。

 漢字からは、やがてかな文字が生れます。かなの文字で文章が書けるようになってしまった言葉の意味をはっきり伝える漢字は、まだここにはありません。和漢混交文の以前に、日本語は漢字による「漢文」と、かなの文字による「和文」の二つに分かれて発達して来ました。漢文は公式文書を書くのに使い、和文は「公式」とは関係ない和歌や物語を書くために使われました。だから、「漢文はちゃんとしていなければいけないが、意味をはっきりさせる漢字がほとんどない和文は曖昧でもいい」というようなことになってしまったのです。
(中略)

 前回に私は、「『平家物語』にはいくつものテキストがある」と言いましたが、実はそのいくつものテキストの中に「漢文で書かれた『平家物語』」もあるのです。「四部合戦状本」と言われるものですが、これは漢文です。

 ≪祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり≫で始まる『平家物語』は、こうしてしまえばもう漢文です―≪祇園精舎声鐘、諸行無常有響≫


『古典を読んでみましょう』2:『愚管抄』
『古典を読んでみましょう』1:和文脈と漢文脈


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