『古典を読んでみましょう』2

<『古典を読んでみましょう』2>
図書館で『古典を読んでみましょう』という新書を、手にしたのです。
橋本治さんといえば、パソコンを使わず原稿を手書きしたとのことで、アナログ老人の鑑のような存在でおましたなぁ♪


【古典を読んでみましょう】


橋本治著、筑摩書房、2014年刊

<「BOOK」データベース>より
えっ、浦島太郎はじいさんじゃなくて、鶴になったの?一寸法師はじつは性格が悪くてやりたい放題だった?日本の古典は自由で、とても豊かだ。時代によっていろいろある古典が、これで初めてよくわかる。
【目次】
「古典」て、なんでしょう/古典を読んでみましょう/ちょっと意地悪な樋口一葉/和文脈の文章と漢文脈の文章/日本語は不思議に続いている/はっきりした説明をしない小野小町/春はどうして「曙」なのか?/分からないものを読んでもよく分からない/亀の恩返し/古典を読んだ方がいい理由/今とは違うこと/意外に今と同じこと/歴史はくるくると変わる/日本語が変わる時/人の声が言葉を作る/漢文の役割/『日本書紀』の読み方/王朝の物語を読んでみましょう

rakuten古典を読んでみましょう



「14章 日本語が変わる時」が興味深いので、見てみましょう。
p172~176
<「時代は変ったのだ」と言う『愚管抄』> 
 平安時代―特に摂関政治の時代は「女の時代」です。それが院政の時代になると「男の時代」に変わってしまって、源平の合戦に象徴されるような「合戦の時代」にもなります。鎌倉時代になって、天台宗のトップだった大僧正慈円という人は『愚管抄』という歴史の書物を書きますが、そこで慈円は「時代ははっきりと変った」と言っています・・・。

≪保元元年七月二日鳥羽院うせさせ給ひて後、日本国の乱逆と云ふことは起りて後、武者の世になりける也≫

 保元元年というのは、白河天皇が息子の幼い堀川天皇に譲位をして上皇になって院政を始めてから七十年後の、1156年です。慈円は「そこから≪武者≫の世の中になったのだ」と言っていますが、それまで平和で波風の立たなかった京の都に合戦が起こるようになって、世の中が変わってしまうのです。

 保元元年に起こった合戦が保元の乱で、その三年後には平治の乱が起こります。初めは都の貴族達の争いだったのに、都にいた武士達がそこに巻き込まれ、二度の合戦となって、その末に平清盛が勢力を確立します。

 繁栄の平家が源氏と戦って敗れ、壇の浦の海に沈むのは、≪武者の世≫となった保元の乱の二十九年後ですが、もちろんそれで≪武者の世≫が終わりになるわけではありません。平家が倒れて源頼朝が鎌倉に幕府を開くので、≪武者の世≫はまだ続き、合戦の時代もまだ続いてしまいます。

 慈円の言う≪武者の世になりける也≫は、単純に「武士の時代になった」ということだけではありません。その前に≪日本国の乱逆と云ふことは起りて≫と言っています。≪乱逆≫というのは、「謀反」とか「反逆」ということで、ただの合戦=戦闘ではありません。

 保元の乱は、後白河天皇とその兄の崇徳上皇を中心とする二つの都の貴族勢力のぶつかり合いですが、慈円はこれを≪≫と言います。 
(中略)

≪武者の世≫になったのが1156年で≪乱逆≫の種が消えてしまう承久の乱は1221年ですが、その承久の乱の頃は文化の転換期でもあるのです。どういう転換期なのかと言うと、その後の日本語の文章の原型となる、漢字とかながまじり合って存在する和漢混交文が登場するのが、承久の乱の少し前の頃だからです。

 和漢混交文による代表的な作品と言われる『平家物語』が登場するのはこの時代で、保元の乱や平治の乱を題材にした『保元物語』『平治物語』もやはり和漢混交文で、承久の乱が起こる前の時期に書かれたと考えられています。先程から話題にしている『愚管抄』も、やはりこの時期に書かれた和漢混交文によるものです。

 慈円自身は≪かなにて書く≫と言っていますが、『愚管抄』は漢字とかなの入りまじった和漢混交文で、「なぜそういうものが出来上がったのか?」という、当たり前の、しかし考えてみるとよく分からない理由を、慈円は『愚管抄』の中でちゃんと書いています。慈円によればそれは、「みんなが勉強をしなくなって、文章の読解力がなくなったから」です。

<みんなが勉強をしなくなって日本語が変わる> 
 承久の乱を前にして書かれた『愚管抄』は、「このままでは危ないことになりますよ」と言わんとして、それまでの日本の歴史を書く本です。歴史というものは、本来漢文で書かれるものでした。慈円はもちろん、漢文が読めて漢文が書ける人です。なにしろ、お経というものは漢字だけで書かれているもので、天台宗のトップで大僧正という地位を得ている慈円に、それが出来ないわけはありません。
 でも、「正統なる歴史書は漢文で書かれるものだ」と知っているくせに、慈円は和漢混交文で歴史の本を書いたのです。

 それは、みんなにこれまでの日本の国の歴史―つまりは「天皇とその治世のあり方」を知ってもりたいからで、鎌倉時代になってニ、三十年がたってしまった世の中には、ちゃんとした漢文が読める能力を持つ人間が減ってしまっていたのです。だから、それまでは普通に歴史を語って来た後で、あとがきのようにしてこんなことを言っています―。


『古典を読んでみましょう』1:和文脈と漢文脈



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