(インタビュー)不確実性と向き合う

<(インタビュー)不確実性と向き合う>

 小林傳司・大阪大名誉教授がインタビューで「データや知見不足、誤りから学ぶ科学、受け入れる社会を」と説いているので、紹介します。


(小林教授へのインタビューを8/28デジタル朝日から転記しました)

 コロナ禍に直面する人類にとって、科学は危機打開のための欠かせない手立てだ。だが、データを集めて未知のウイルスや感染症の解明に挑む科学と、その成果を対策に生かす政治や受け止める社会の間からは、不協和音が聞こえてくる。どう改善すべきか。小林傳司・大阪大名誉教授に聞いた。

Q:新型コロナウイルスについて、「正しく恐れよ」とよく言われます。ただ、何が「正しい」のかは難しい問題です。
A:物理学者の寺田寅彦の随筆の言葉ですが、そこでは『正当にこわがる』と書かれています。浅間山の小爆発について、登山から戻ってきた若い学生がふもとの駅員に『なんでもない、大丈夫』と説明する。すると駅員は首を振り、『いや、そうでないです』と反論する。このやりとりを見て『ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい』と書いています。

Q:解釈の違いでこわがり方も異なるということですね。
A:『正しく恐れる』は、東京電力福島第一原発事故の後、被曝の健康影響をめぐって使われました。あたかも科学的な正解があるかのごとく、科学者側が市民を『恐れなくていいときに恐れるのはおかしい』と戒めるように聞こえます。しかし、いや応なく生じてしまうのが人の感情です。寺田は感情のあり方を、科学とはある距離感を取りつつ語ったのです。

Q:科学は、正解を突き止められないのですか。
A:コロナ禍で直面しているのは、正解がわからない中でどう対処すべきかという問題です。科学には不確実性がつきものです。ウイルスの性質や病態は当初から、データや知見が少なくてわからないことばかりでした。この半年、我々が目にしてきたのは、学校で教わる理科のように常に正解がある固定的なイメージの科学ではなく、誤りに学びながら進むダイナミックな科学の姿です。

 科学者は計算モデルを作って感染動向を予測していますが、今後、新たな知見に合わせてモデルを変えるべき時が来るかもしれません。科学者の助言には常に不確実性が伴い、変更を迫られる可能性が高い。そんな科学観が社会や政治に伝わらないのは深刻な問題です。科学が常に正解を出せるはずだと考えるのは一種の信仰のようなもの。正解を手にできる保証はないと覚悟した上で、さりとてほかに頼れるものは多くない、では科学をどう使いこなすか、というふうに考えるべきなのです。

Q:深刻な問題とは何ですか。
A:例えば、厚生労働省クラスター対策班の西浦博・北海道大教授(当時)が4月、『死者42万人』という予測を発表しました。最近ネットなどで、予測ははずれたと批判されています。あの試算は、国が何も対策を講じなければという前提以外にも、数々の仮定を置いたモデル計算。それを無視した批判は科学を誤解しています。

 こうした批判や責任追及が続けば、政府に協力する科学者はいなくなるでしょう。社会にとって大きな損失です。科学者が、持ちうる限りの最新の知識と能力を社会に提供できるしくみをどう作るか、を考えるべきです。科学者の助言は、仮に失敗したとしても、その時点のベストエフォート(最善の努力)だと社会が納得できるようなしくみが必要なのです。
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Q:政府の専門家会議は政策提言や試算を積極的に公表しましたが、6月の報告書で「前のめりになった」と反省しました。
A:当初の専門家会議は、法的位置づけは宙に浮いていましたが、使命感があり、危機感が政治にうまくつながっていないことを懸念し、思い余って自ら会見し、提言を次々に公表しました。報告書で『専門家会議が政策を決定しているような印象を与えていた』と総括していますが、これは本来政治の問題でしょう。彼らが追い込まれるほどに政府の対応がうまくいっていなかったのだと思います。

Q:科学者は分析するだけで、政治や政策に関わるべきではないという意見があります。
A:コロナ対策の中心は医学や公衆衛生学の専門家です。人命を救う、疾病を予防する、といった明確な目的を持つ学問です。自然現象を正確に記述するのが目的の物理学などの純粋科学と違い、政策立案と親和性が高いのです。当初は専門家が厚労省の一室でデータをもとに官僚と議論してきたと思いますが、これは政策立案に不可欠な作業です。専門家は分析、政策は官僚、といった分業は現実にはほぼ不可能です。

 政策立案の場面では、専門家にも価値判断が求められます。しかし、だからといって政治責任を課すべきではない。政治の側が総合的な政治判断をする中で、政治や政策と、科学との間に、『責任』という概念でミシン目を入れてあげる必要があります。

Q:政治の側は、きちんと価値判断できているのでしょうか。
A:最近は、専門家の意見を聞く前に政治家が結論を出していて、専門家が政治のお墨付きに使われているのではないかと感じます。専門家会議では委員が科学的で実質的な議論をしていた印象ですが、今の分科会は政治の諮問に答申するだけ、しかも文案を官僚があらかじめ準備する伝統的な省庁の審議会のように変わってしまったのではないかと懸念します。委員の選び方にも理屈が感じられません。でも会合は非公開。公開されるのは当面は議事概要だけで、外から詳しくチェックできません。透明性の確保も課題です。
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Q:政府のリスクコミュニケーションをどう見ますか。
A:最初のころから乱れていますね。加藤勝信厚労相が対応し、途中で西村康稔経済再生担当相が加わった。それとは別に菅義偉官房長官が定例会見を続けており、話のニュアンスが西村さんと微妙に違ったりする。これでは社会が混乱します。政府の発信は一本化すべきです。その際、政治家がリスクコミュニケーションのセンスを持つというのが本来の姿でしょう。

 専門家会議は6月の報告書で、政府によるリスクコミュニケーションの主導を求めています。新型インフルエンザが流行した翌2010年に専門家がまとめた総括でも提言され、東日本大震災の後も多くの研究リポートが指摘したことです。社会全体で課題を放置してきたことが今回につながっているのです。社会的健忘症とでもいうべきでしょう。

Q:専門家を活用するにはどういう仕組みが良いのでしょうか。
A:その立て付けは簡単ではありません。専門家を代表して首相に助言する科学顧問制度が東日本大震災の後に検討されましたが、立ち消えになりました。イギリスに同様の制度がありますが、日本では科学顧問にふさわしい人材を見つけるのが難しいのです。日本の研究者は専門分野を深掘りするタイプが多く、分野を俯瞰できる人材が乏しい。そうした人材の重要性に気づかず、そのための育成システムも作られずにきたのです。

Q:イギリスでは今回、感染が爆発し、この制度は機能しなかったといわれます。
A:科学顧問の下にテーマ別に置かれた二つの支援チームが互いに矛盾する見解を出したため、政府の対応が遅れました。人口の一定数が免疫を得ることで感染を収める集団免疫路線を進め、批判されてロックダウン(都市封鎖)に転じた時には感染が広がっていました。ジョンソン首相は最近、初期対応の誤りを認めて謝罪しました。制度があってもうまくいかないのがコロナのやっかいさです。

 とはいえ、支援チームの存在自体は学ぶべきです。専門家会議の報告書には、時間的制約の中で『疑問の解決に最適なパートナーと迅速に協働することが困難なことがあった』と書かれています。ある疑問を解決したいとき、最も詳しい専門家を探し出すのは、実はとても骨の折れる作業です。専門家を孤立させないサポート態勢を考えなければなりません。
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Q:PCR検査をどこまで拡大すべきかをめぐって、様々な意見が出されています。
A:検査のコスト、誤判定の問題、隔離を含めた検査後の段取り、必要な資源の動員など、検査拡大に伴って大きな問題が生じるのは事実です。一方で、仮に科学的に意味がないと言い切れたとしても、検査を拡大することで人々の不安がおさまるならOKだという議論はありえるでしょう。

 たとえば福島原発のトリチウムの問題でも、仮にそれが人体にほぼ無害だとしても、海に放出すれば地元の漁業がまた風評被害を受けかねない。データを示して大丈夫ですといくら言ってみたところで、人の心を科学でコントロールできるとは限りません。医学や公衆衛生学の提言は専門分野の範囲からのもので、すべてが採用されるとは限らないことに専門家は留意する必要があるでしょう。そして、科学だけでなく、それ以外の観点も視野に入れた総合的判断を下し、きちんと説明するのは本来、政治の役割のはずです。(聞き手・嘉幡久敬)

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小林傳司:1954年、京都市生まれ。南山大教授などを経て、2005年から今年3月まで大阪大教授。副学長も歴任した。専門は科学技術社会論。



(インタビュー)不確実性と向き合う小林傳司2020.8.28

この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR10に収めておきます。



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