『朝鮮人のみた中世日本』2

<『朝鮮人のみた中世日本』2>
図書館で『朝鮮人のみた中世日本』という本を手にしたが・・・・
中国人海商や倭寇の活動が興味深いのでおます。


【朝鮮人のみた中世日本】


関周一著、吉川弘文館、2013年刊

<「BOOK」データベース>より
室町時代、使節や漂流者として日本を訪れた朝鮮の人びと。当時の衣服・髪型から倭寇、食事と酒、稲作の方法まで、彼らが観察した日本の姿を、日本史料で検証して紹介。中世日本の社会・文化を異なる視点から見つめ直す。

<読む前の大使寸評>
中国人海商や倭寇の活動が興味深いのでおます。

rakuten朝鮮人のみた中世日本


前期倭寇の跳梁に苦しむ朝鮮王朝を見てみましょう。
p18~19
<中世の対外関係>より
■倭寇の実像
 倭寇の主な略奪品は、食糧(米)と沿岸の住民たちである。食糧については、租米を運ぶ輸送船や、それを備蓄する倉庫が攻撃の対象になった。彼らが奪った米や人などは、売買された。したがって、前期倭寇は、略奪者(海賊)としての側面と、交易を行う商人(海商)としての側面とがあった。

 また倭寇に捕らえられた人々(披慮人)は、案内人(諜人)として倭寇の活動に従事させる他、博多や壱岐・対馬や琉球の那覇などに転売された。当時は、人身売買が頻繁に行われ、倭寇による披慮人も商品であった。

 前期倭寇の主な構成員は、朝鮮王朝は、「三島の倭寇」とよぶ、対馬をはじめ、壱岐・松浦地方の人々とみられるが、高麗朝に不満をもつ高麗の人々も含まれている可能性がある。また高麗の賎民である禾尺・才人が、倭寇をかたって、略奪をした例がある。禾尺は揚水尺・水尺ともいい、牛馬の屠殺・皮革の加工を行い、才人は仮面芝居の集団である。
 このような倭寇を、村井章介氏は、境界人とよんでいる()。日朝の境界を活動の場とし、国家や民族という枠をまたぎ、日本と朝鮮という二つの世界を自由に往来する人々であった。
 
■高麗との交渉
 1366年(貞治5)、高麗の恭愍王は、使者として金龍一行と金逸一行とを別個に日本の京都に派遣した。目的は、日本側に倭寇の禁圧を要請することであった。


(追って記入予定)


『朝鮮人のみた中世日本』1

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