『猫を棄てる』1

<『猫を棄てる』1>
図書館予約で借りた村上春樹著『猫を棄てる』を読んでいるが・・・ええでぇ♪

新書よりちょっと大きいサイズのハードカバーで、挿絵が多くてビジュアルな短篇である。
この挿絵を描いたのが台湾出身の若い女性イラストレーター・高研さんである。


【猫を棄てる】


村上春樹著、文藝春秋、2020年刊

<「BOOK」データベース>より
時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある。ある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。歴史は過去のものではない。このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた。-村上文学のあるルーツ。

<読む前の大使寸評>
新書よりちょっと大きいサイズのハードカバーで、挿絵が多くてビジュアルな短篇である。
この挿絵を描いたのが台湾出身の若い女性イラストレーター・高研さんである。

<図書館予約:(5/31予約、8/16受取)>

rakuten猫を棄てる


この本の冒頭の語り口を、紹介します。
p9~13
 父親に関して覚えていること。
 もちろん父に関して覚えていることはたくさんある。なにしろこの世に生を受けてから、十八歳になって家を離れるまで親子として、それほど広くもない家の中で、ひとつ屋根の下で、当然のこととして万一起居を共にしていたのだから。

 僕と父の間には(おそらく世の中のたいていの親子関係がそうであるように)楽しいこともあれば、それほど愉快ではないこともあった。でも今でもいちばんありありと僕の脳裡に蘇ってくるのは、なぜかそのどちらでもない、とても平凡な日常のありふれた光景だ。

 たとえばこんなことがあった。
 我々が夙川(兵庫県西宮市)の家に住んでいる頃、海辺に一匹の猫を捨てに行ったことがある。子猫ではなく、もう大きくなった雌猫だった。どうしてそんな大きな猫を捨てに行ったりしたのか、よく覚えていない。

 我々が住んでいたのは庭のある一軒屋だったし、猫を飼うぐらいのスペースはじゅうぶんあったからだ。あるいはうちにいついた野良猫のお腹が大きくなってきて、その子供の面倒まではみられないと親は考えたのかもしれない。でもそのあたりの記憶は定かではない。

 いずれにせよ当時は、猫を捨てたりすることは、今に比べればわりに当たり前の出来事であり、とくに世間からうしろ指を差されるような行為ではなかった。猫にわざわざ避妊手術を受けさせるなんて、誰も思いつかないような時代だったから。

 僕はまだ小学校の低学年だったと思う。おそらく昭和30年代の初めだったろう。うちの近くには、戦時中に米軍の爆撃を受けて廃墟になったままの銀行の建物がまだ残されていた。まだ戦争の爪跡が残っていた時代だ。

 ともあれ父と僕はある夏の午後、海岸にそのお雌猫を捨てに行った。父が自転車を漕ぎ、僕が後ろに乗って猫を入れた箱を持っていた。夙川沿いに香枦園の浜まで行って、猫を入れた箱を防風林に置いて、あとも見ずにさっさとうちに帰ってきた。
(中略)

 とにかく父と僕は香枦園の浜に猫を置いて、さよならを言い、自転車でうちに帰ってきた。そして自転車を降りて、「かわいそうやけど、まあしょうがなかったもんな」という感じで玄関の戸をがらりと開けると、さっき棄ててきたはずの猫が「にゃあ」と言って、尻尾を立てて愛想良く僕らを出迎えた。先回りをして、とっくに家に帰っていたのだ。


村上春樹の自叙伝のようなお話しが興味深いのである。太子は香枦園の浜あたりの土地勘もあるんでなおさらでおます。

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