『日本語と日本人の心』2

<『文学界(2019年1月号)』2>
図書館の放出本のラックで『文学界(2019年1月号)』という雑誌を、手にしたのです。
表紙に出ている特集に多和田葉子の名前が載ているのがゲットする決め手となりました。

【文学界(2019年1月号)】


雑誌、文芸春秋、2019年刊

<商品の説明>より
▼2019年を占うビッグ対談
落合陽一×古市憲寿 「平成」が終わり、「魔法元年」が始まる
多和田葉子×温又柔 「移民」は日本語文学をどう変えるか?

<読む前の大使寸評>
表紙に出ている特集に多和田葉子の名前が載ているのがゲットする決め手となりました。
amazon文学界(2019年1月号)


古市憲寿とメディアアーチスト・落合陽一との対談を、見てみましょう。
p178~181
<「平成」が「魔法元年」が始まる>
古市:今日はもうすぐ終わる「平成」と、次にどんな時代が来るかについて話してみたいと思っています。この並びには、僕が平成側の終りゆく古い人間で、落合君が次の元号を担う新しい人間という意図がありそうなので、その役割を担うことにします(笑)。

 ただ落合君と僕に共通点があるとしたら、世間的には「平成的」と存在だと見られているけれども、実は案外「昭和的」なところだと思う。落合君はメディアアーチストとして奇抜な活動をする人だと思われている一方で、テレビで活躍したり、すごくがむしゃらに働いたら、意外と昭和的なところがある。発想自体も、1960年代の思想をアップデートして今風に見せているわけでしょう。落合君の場合、それはどういう意図でやっている?


落合:どの分野にも共通する話だけど、歴史の波は繰り返しながら違った地平を連れてくる。平成の次を見てる僕は平成の人から見れば昭和に見えるかもしれない。カルチャーでも60年代や70年代のカルチャーがリバイバルするでしょう。僕らの世界でも、自分の師匠が20年前にやっていたことより、その一つ上の世代が40年前にやっていたことのほうが面白く見える。

 なぜかというと、テクノロジーが進化してリソースが変わるから、話が二段階進むんですよ。過去が戻ってくる。

 僕の中で衝撃的だったのは、大学一年の頃、自然言語処理の授業にでてたんです。そのときは「自然言語を翻訳するにはあと百年かかる」と言われていたんですよ。でも、十年経った今、ディープ・ラーニングのゼロショット翻訳によって自然言語がかなり翻訳できるようになった。データ量と処理能力が上ったことで、発想自体が変わってきたなという気がしてますね。

 それを考えると、人間がこれまでに議論してきた知能というのは思ったほど高尚ではないのかもしれない。今の自分たちの感覚というのも、「将棋の一手にオーラが宿ると思われていた時代がありました」みたいな感じで前時代的なものになる可能性もある。

古市:「AIが将棋を指す」だとあんまり人間に脅威とは思われないだろうけどAIが法律を作って裁判をしたり、病気を診断したりするようになったらどうかな?

落合:どうだろう。でも、自動運転が事故を起こす確率を比較すると、自動運転のほうがはるかに低いということが明らかになる可能性もありますよね。そうすると、何十年か経つと「昔は人間が運転していた?」と思うようになっているかも知れない。人間が運転するほうが安全だというのは思い込みかもしれなくて、それは自動運転の実装フェーズが終わったあとに出てくる話なんです。そこが面白いかな、と。

 つまり、高度に発達した統計処理のほうが、高度に教育された人間よりも十分機能的に振る舞う可能性もある。

古市:
落合:

(追って記入予定)


『文学界(2019年1月号)』1




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