小野正嗣のあれこれ

<小野正嗣のあれこれ>
朝日新聞の『文芸時評』という連載コラムで小野正嗣の書評を、ときどきスクラップしているのです。
このたび、図書館で『歓待する文学』という本を借りて読みはじめたので・・・
小野正嗣の説く文学、エッセイについてあれこれ集めてみます。

紙のデータとデジタルデータを重複して保管するところが、いかにもアナログ老人ではあるが・・・。

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【歓待する文学】


小野正嗣著、NHK出版、2018年刊

<「BOOK」データベース>より
文学は私たちの心にどう入り込み、個人の生活や社会に影響を与えるのか。芥川賞作家である著者が欧米、アフリカ、中東、アジアの選りすぐりの作品を紹介。書き手がどのような土地に根ざし、どういう言語で作品を生み出したのか、それが読み手にどう作用するのかを探る。

<読む前の大使寸評>
追って記入

rakuten歓待する文学



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『文芸時評』で村田沙耶香の「コンビニ人間」が評されているので、見てみましょう。

2020.1.29偉大な世界文学 僕たち誰もが「コンビニ人間」 作家・小野正嗣より
 昨年10月にイギリスに行ったときのことだ。ロンドンの書店で堆(うずたか)く積み上げられていたのは、オーシャン・ヴオン(Ocean Vuong)という1988年生まれのベトナム系アメリカ人詩人のデビュー小説だった。

 数々の絶賛の言葉が読めたが、イギリスの若手作家のなかでとりわけ評価の高いマックス・ポーターが、「いまやサイゴン生まれの若きゲイ詩人が〈偉大なるアメリカ小説〉を書くのは当たり前だと思える」と讃辞を寄せていたのが印象に残った。

 『地上で僕たちは一瞬だけ輝かしい』とでも訳せるタイトルのこの小説は、英語が読めない母に向けて息子(作者)が、英語で書く手紙という形式を取り、ベトナム戦争を経験した祖母、彼女がアメリカ兵とのあいだにもうけた娘である母との、アメリカ東海岸の地方都市での慎ましい生活が回想され、祖母と母の複雑な過去が語られる。

 そして、たばこ農園でのアルバイト(労働者は中南米からの移民ばかりだ)で出会った少し年上の貧しい白人少年との性体験、友愛が、みずみずしい文体で描かれる。語られる内容によって言葉のリズムや速度が変化するところも素晴らしい。

 語り手と恋人の少年が自転車で夜の街を駆け抜け郊外の高台に至る場面は、どこにでもありそうな地方都市の風景を心奪う美しさに変える。

 だが、人種差別、貧困、DV、そして語り手の大切な友人たちの命を奪うオピオイド(麻薬性鎮痛剤)依存症など、〈私〉を語ることがアメリカという社会の抱える闇をも浮き上がらせることになっている。

 その意味でこれは〈偉大なるアメリカ小説〉なのだろう。ヴオンの小説は、近々翻訳されると聞いた。日本語で読めるのがとても楽しみである。

 ヴオンの本の山を見て、一昨年10月にイギリスに行ったときの記憶が甦(よみがえ)る。チェルトナム文学祭というイギリス最古の文学祭に参加したのだが、そこで日本の小説の英訳が大量に積み上げられているのを目撃したのだ。


 村田沙耶香の『コンビニ人間』(文春文庫)である。文学祭には村田氏も招かれていて、僕は入れ違いでの到着だったのだが、静かな田舎町なのに「コンビニ」だらけと言いたくなるほど、日本文学の話になれば、この作品に言及する人が多かった。

 昨年10月の訪英の際には、二名の同僚とともに、オックスフォード大学で現代日本文学について話す機会があったが、同大の日本文学の教授もまた、『コンビニ人間』の魅力について熱く語っていた。

 1月に訪米し、大学の創作学科で教える若手の作家たちと話した際も、『コンビニ人間』が話題になった。
 『コンビニ人間』には、現代日本社会に固有の特殊性が描き出されて、それが日本に興味を持つ海外の読者に訴えかけているのだろうか。

 決してそれだけではない。「コンビニ」という「全体」を円滑に機能させる「部品」として生きることに安らぎを見出し、コンビニ的な規範にとことん同化する主人公の姿に、グローバル化した現代世界に生きる誰もが、文化的な差異を超えて〈私〉の姿を認めることができるからだろう。僕たちの誰もが「コンビニ人間」だ。
(後略)


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『文芸時評』で翻訳文学が語られているので、見てみましょう。

2019.12.07翻訳文学、閉ざされた文化に架ける橋 作家・小野正嗣より

 今年で3回目となるヨーロッパ文芸フェスティバルが、11月初旬、東京にあるEU加盟国の文化施設を中心に開催された。
 僕はドイツ、チェコ、ベルギー、イタリア、ポルトガルから来日した作家たちの参加するパネルディスカッションの司会を務めた。

 ベルリンの壁の崩壊から30年の節目の今年、議論の主題は「壁を壊すこと、橋を架けること」だった。
 実は、昨年も同様のパネルの司会をしたが、参加作家の作品の翻訳がほとんどなく、作家たちを紹介することのむずかしさを感じた。

 ところが今年は、関係者や出版社、翻訳者の尽力があって、フェスに合わせて、イタリアとポルトガルの現代作家の短篇アンソロジーが刊行された。前者が『どこか、安心できる場所で』(国書刊行会)、後者が『ポルトガル短篇小説傑作選』(現代企画室)である。

 両アンソロジーには本邦初訳の作家が多く含まれ、各短篇の主題も手法も実に多様である。しかし、日本社会に生きる僕たちが感じる不安や疑問に呼応する部分が随所にあって、同時代の外国文学を読む醍醐味(だいごみ)を存分に味わえる。
 そもそも日本にも豊かな現代文学があるのに、なぜわざわざ外国文学を読まなければならないのか。

 その問いに答えてくれたのが、11月上旬にアンスティチュ・フランセ東京で対談する機会を得た、アルジェリアの作家カメル・ダーウドだ。
(後略)





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