『ダムと緑のダム』2

<『ダムと緑のダム』2>
図書館で『ダムと緑のダム』という本を、手にしたのです。
太子はかねてより“多目的ダムのいかがわしさ”に注目しているわけで・・・
この本でそのあたりを究明しようと思うわけです。



【ダムと緑のダム】


虫明功臣×太田猛彦監修、日経BP、2019年刊

<「BOOK」データベース>より
「異常気象はもはや異常ではない」気候変動で増える複合型水災害にダムと森林が手を組む!
【目次】
第1章 「緑のダム」が決壊した/第2章 森林における治水・利水機能とその限界/第3章 急峻な国土に生きる/第4章 森林政策を考える/第5章 これからのダムに求められる役割/第6章 ダムと森林の連携

<読む前の大使寸評>
太子はかねてより“多目的ダムのいかがわしさ”に注目しているわけで・・・
この本でそのあたりを究明しようと思うわけです。

rakutenダムと緑のダム


川辺川・球磨川の治水(続き)について、見てみましょう。
p65~68
<健全な流域水循環系の構築に不可欠な森林の保全・整備>
 森林が、降った雨を土壌に保水する機能を有することは事実です。ただし、その能力には限界があり、貯水ダムを不要にするほどの機能まではありません。つまり、川の水を平準化したり、洪水の初期の降雨を貯留したりする重要な機能を持っていますが、前述のように、渇水期にはむしろマイナスに働く他、大雨になると雨を貯留する能力が限界になり、大半の雨が川に流出してしまいます。また、森林施業により保水能力を増大させることも困難です。

 しかし、森林の持つ保水力(緑のダム)に加え、土砂流出の抑止や清浄な水の確保等は、治水や利水にとって欠くことができない重要な機能です。河川における治水・利水では、これらの機能を前提として、必要なダムの建設や河川整備の計画を決定しています。当然のことですが、河川流域に森林がなければ、治水・利水の施策は成り立ちません。

 森林とダムは競合関係にあるのではなく、相互に補完する関係にあることを認識し、流域を管理していくことが重要なのです。川辺川ダムにおける緑のダム論争は決して不毛な議論ではなく、科学的知見の一助になり、これからの流域管理を考えて行くための一里塚になりました。

 緑のダム論争については、東京大学大学院農学生命科学研究科付属演習林生態水文学研修所の蔵冶光一郎所長が著書「緑のダムの科学」(築地書房)で大変示唆に富む指摘をされているので、引用して終わりたいと思います。

「森林が人間の利便性や防災上の必要性と合致する働きをしてくれること自体は『自然の恵み』であり、誰にとっても歓迎されるはずである。にもかかわらず、緑のダムを巡って賛成と反対に別れ、論争に10年以上費やしたことは誠に残念だった。何故論争になったのか、それは緑のダム機能を、ダムを全否定するかのような論理に接合してしまったからである。それだけダム反対の潮流が強かったことと相まって森林機能への期待が大きかったからであろうが、日本の高度経済成長を支えてきたダムを全否定されれば、これまで努力してきた関係者は不愉快だったに違いない。

 ここで改めて筆者の見解を強調しておきたい。『緑のダム』は万能ではなく、緑のダムをもって既存のダムを全否定できるものではない。その一方で『緑のダム』の能力は全否定されるようなものでもない。ダムと緑のダムはともに人間の利便性に貢献する機能があり、両者そろって力を発揮することで、片方だけに偏るよりも、より費用対効果が高い治水・利水が実現できるはずだと筆者は考えている」


ネットで球磨川治水議論を見てみましょう。

2020年07月14日脱ダム政策への賛否が問題ではない 球磨川治水議論への3つの疑問より


今回の熊本・人吉の水害に関しては胸の潰れる思いがしました。以前、親の実家が人吉という知人に聞かされたことがあるのですが、この地域の人々は「日本三大急流」の1つとして球磨川を誇りにしています。川下りなどの観光資源、透明度の高い水質の清流、鮎などの水産資源などを大切にしつつ、とにかく川とともに生きるというのが、この地方のライフスタイルであり、その川が「暴れてしまった」中での悲劇には言葉もありません。

流域で50人以上の死者を出したなかで、あらためて治水問題が真剣に議論され始めたのは当然と思います。ですが、脱ダム政策への賛否を中心とした現在の議論の延長に解決策があると思えません。少なくとも3つの疑問が残るからです。

疑問の第1は治水政策に対して述べた、蒲島知事の反省の弁です。今回の被害を受けて、知事は「ダムによらない治水を目指してきたが、費用が多額でできなかった。非常に悔やまれる」と述べています。正直な発言と思いますが、この発言は簡単に受け止めることはできません。

何故ならば、2000年代に議論された「脱ダム」という一種の政治運動は、全国的な「ハコモノ行政」見直しの機運の中で起きたものであり、少なくとも中長期の財政規律への危機感などに支えられていたからです。それにもかかわらず、この球磨川に関しては、ダム建設が高価だから反対論が優勢となって知事も断念したのではなく、むしろ「脱ダム」の方が高価だというのは意外感があります。少なくとも、民主党(当時)などが主張していた「脱ダム」政策との整合性はあらためて問われるべきでしょう。

■球磨川は「資源」
疑問の第2は、仮に極めて高価であっても「脱ダム」を選択したというのは、何故かという点です。それは地域エゴとか利権誘導ではないと思います。冒頭に述べたように流域の人々が、球磨川の流れに特別な思いを抱いていたこと、例えば鮎という水産資源を大切にしていたことなどが背景にあり、それが「高価であってもダムではない方策で治水を」という判断になったのだと思います。

今回の被災で急速に「川辺川ダム建設構想」が浮上しているのは事実です。ですが、流域住民の意思として「清流への愛着」があり、それが一旦はダム以外の対策を選択することとなった事実は重いと思います。そこを無視して、被災したのだからダム派が巻き返せば政治的勢いにできるというのは、短絡的に感じます。


『ダムと緑のダム』1

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