『新潮日本文学アルバム金子光晴』1

<『新潮日本文学アルバム金子光晴』1>
図書館で『新潮日本文学アルバム金子光晴』という本を、手にしたのです。
新潮日本文学アルバム・シリーズはわりと画像が多くビジュアルで・・・
太子好みのシリーズでおます。


【新潮日本文学アルバム金子光晴】


金子光晴、新潮社、1994年刊

<「BOOK」データベース>より
幼子を残し妻とともに5年にわたり世界放浪、エロスと男女の自由な関係を問う反骨の80年。写真で実証する作家の劇的な生涯。

<読む前の大使寸評>
新潮日本文学アルバム・シリーズはわりと画像が多くビジュアルで・・・
太子好みのシリーズでおます。

rakuten新潮日本文学アルバム金子光晴


ボヘミアン、エロ爺さんなどとさまざまにいわれた金子であるが・・・
この本の冒頭から、見てみましょう。
p2~12
<鬼の児誕生:原満三寿>
 光晴のことはもっとも光晴自身が、なんどもなんども文章を変え見方を変えて執拗に自伝や詩に書き残したわけで、余人が口をはさむのもはばかれるほどである。

 なぜそれほど自分の生涯にこだわったのかといえば、いつの時代も犠牲者としてしか生きられない人間の不条理を凝視し問いつづけてきたからだ、とひとまずいうことは可能であろう。

 しかしこれだけではモンスターともいわれた稀有の詩人金子光晴にはなれない。日本人のアイデンティティを共有できない非日本的精神、近代を制覇した西洋文明のアイデンティティを非情で野蛮と見る反西欧的精神が、光晴の真骨頂であっただろう。

 しかもそういう精神を、肉体化し、エロスにまで昇華させた日本の文人は光晴をおいていなかったのではないか。
 そういう稀有な精神が、金子光晴を詩人を超えた存在として、いまでも私たちにたえず問いかけてくるのであろう。

 光晴は、自分の出生を鬼の児の誕生とみ、口減らしの養子、明治・大正・昭和の三代を行きぬき、酒もたばこもやらず、パントマイムが得意で、絶品の春画をものにし、女を愛し愛され、妻と三度も入退籍をくりかえし、最後は森姓にさせられ、反対したくなると詩を書き、妻と二人で中国・東南アジア・ヨーロッパを放浪し、戦争に反対して抵抗詩を書き、息子を徴兵から守り、生涯貧乏つづきで、

 ニヒリスト・アナキスト・リアリスト・アナキスト・リアリスト・ボヘミアン・無頼派・天邪鬼・人非人・風狂の人・エロ爺さん・江戸の人・明治の人・・・などとさまざまにいわれ、晩年はマスコミや若者の人気者になった。

 こんなにもいろんなものを詰めこんだ人間の生涯を貫いたものは、人間の尊厳を大事にしようとし、それゆえにかぎりなく人間を寂しんだ、反骨流浪の八十年ではあった。
(中略)

■血のさわぎ
 京都時代(6歳~11歳)は、「あまり早すぎた欲情の開花」に悩み、自分の性格を異常と思ったりした。
 11歳、養父が東京本店に転勤になり東京時代が始まる。プロテスタント教会で義理で洗礼志願式をうけたり、最後の浮世絵師といわれた小林清親などから日本画を習ったり、友人とアメリカへ密航しようとしたり、級友の歓心をかうために多額の金品を家からもちだしたり、養父の馴染みの吉原の茶屋に登楼しようとしたり、虚栄心が強い奔放な生活がつづいた。第一の「血のさわぎ」の時代と光晴はいう。

 13歳の時、不摂生がたたり三ヶ月ほど腎臓を患って、血の騒ぎがおさまり別人のように静かな人間になった。暁星中学にはいると急に本にとりつかれ、上野図書館などに通いつぎつぎに読書範囲をひろげていった。漢学、老荘、江戸戯作、自然主義文学、ワイルドなどをわたりあるきながら並はずれた読書量をこなし次第に文学に傾倒していった。

■詩との遭遇
 暁星中学の4,5年(17歳~18歳)は特に文学に熱中し、謄写版の同人誌をだしてクラスで回覧した。
 一方この頃の光晴は、寄席や遊廓に通い、三十男がするような放蕩に明けくれた。だが放蕩は光晴を苦しめた。未熟な青年の「永遠の女性をさがす」という潔癖さと肉欲がせめぎあって霊肉はけっしてひとつになることはなかった。


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント