『作家の旅』2

<『作家の旅』2>
図書館で『作家の旅』というビジュアル本を、手にしたのです。
コロナ・ブックスというシリーズであるが、全編にわたってカラー画像満載でありこれぞ太子好みのビジュアル本でおます。


【作家の旅】


平凡社編、平凡社、2012年刊

<「BOOK」データベース>より
日本人になったギリシア人、魔都・上海、移動写真館、草競馬、バスでひまつぶし、金沢グルメ、放浪、沖縄島唄、イラスト地図、フローラ逍遥、イタリア歩き…作家15人の旅路。
【目次】
ラフカディオ・ハーン 小泉八雲/萩原朔太郎/林芙美子/村松梢風/寺山修司/山口瞳/田中小実昌/吉田健一/種田山頭火/宮脇檀/竹中労/春日井建/堀内誠一/澁澤龍彦/須賀敦子/記憶のお土産

<読む前の大使寸評>
コロナ・ブックスというシリーズであるが、全編にわたってカラー画像満載でありこれぞ太子好みのビジュアル本でおます。

rakuten作家の旅


須田敦子の説く旅情を、見てみましょう。
p140~141
<イタリアを愛し、イタリアを書いた:織田桂>
 須田敦子が、終生愛してやまなかったイタリアを初めて訪れたのは、パリ大学留学中だった。そして、その夏休みには、ペルージャの外国人大学でイタリア語を習っている。ちょうど1年前、神戸港を出た船がジェノワの港に到着したとき絶えず耳に飛び込んできたイタリア語を忘れることができず、「いつかその国のことばを、自分のものにしてしまいたかった」という思いを胸に、リヨン駅からローマ行きの夜行列車に乗り込んだのだった。

 その列車でイタリアの労働者たちの言葉を耳にし、「彼らの言葉はわたしが生まれそだった関西の人たちのアクセントそっくりのように聞こえた」というから、イタリアと須賀を結びつけたのは、遠く離れた日本を懐かしむ想いだったようである。

 けれど、郷愁の想い以上に、須田敦子は強くイタリアに傾倒し、今度はローマへ大学留学のために旅立った。聖心女子学院にい学び洗礼を受け、大学のころは修道院に入ろうか迷ったりした須田敦子にとって、心酔する修道士・聖フランチェスコが生れた町アッシジや、町中が宗教芸術のようなフィレンチェ・・・、どの町も彼女の心を捉えて離さない魅力を持っていた。そして、夫ベッピーノとの出会い、イタリアとの結び付きはより強固なものになる。

 ベッピーノと須田敦子を結びつけたミラノの「コルシア書店」。日本にいたときから、「コルシア書店」の活動に興味を持っていた須田敦子にとって、この活動への参加は、イタリア留学の目的のひとつだった。

 ベッピーノと出会ったのはローマに暮らしていた31歳のとき。手紙のやりとりが始まり、恋に落ちた。しかし、修道女のように世俗を捨てて生きるべきとの思いから、恋と宗教の間で悩み続けた。しかし、自分の生きる道は修道女たちの精神性とは何か違うと気付き、ベッピーノとの愛を貫いた。そしてミラノで始まった結婚生活。それは、お金こそなかったが、たくさんの本で足の踏み場もない暮らし。しあわせな日々だった。

 しかし、結婚6年目の夏、その生活に突然終わりが訪れる。ベッピーノの急死だった。「コルシア書店」でも、ミラノでも、だんだん彼女の居場所はなくなっていった。そしてベッピーノの死から4年を経た71年、日本への帰国を決意する。ローマへの留学から13年の月日が過ぎていた。

 帰国後、本格的にイタリア文学の研究者としての活動に勤しんだ須田敦子にとって、以後のイタリアへの旅は、研究目的、そして夫ベッピーノとの思い出を辿るものになった。


『作家の旅』1

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