『「ユダヤ」の世界史』2

<『「ユダヤ」の世界史』2>
図書館で『「ユダヤ」の世界史』という本を借りて読んでいるのだが・・・
この本の目次を見てもわかるように、視点の広さ、歴史の深さ、迫害の悲劇は驚くばかりでおます。


【「ユダヤ」の世界史】


臼杵陽著、作品社、2019年刊

<商品説明より>
「ユダヤ」の人々は数千年にわたって、信仰や記憶を通じて一つに結びついてきた一方で、自らが生きた時代や地域の中で、きわめて多様な姿を見せることとなった。一神教の誕生から、離散と定住、キリスト教・イスラームとの共存・対立、国際的ネットワークの展開、多彩な才能の開花、迫害の悲劇、国家建設の夢、現在の紛争・テロ問題にいたるまで、そこにはこの世界の複雑さが映し出されてもいる。「民族」であると同時に「信徒」である「ユダヤ人/教徒」の豊かな歴史を辿り、さらには、そこから逆照射して世界史そのものの見方をも深化させる。

<読む前の大使寸評>
この本の目次を見てもわかるように、視点の広さ、歴史の深さ、迫害の悲劇は驚くばかりでおます。

rakuten「ユダヤ」の世界史



終章でイスラエル国の建国あたりを、見てみましょう。

終章<イスラエル建国後のアラブ諸国・パレスチナとの関係>よりp367~369
 前章で述べたように、ベン=グリオン首相がイスラエル国の独立宣言を読み上げて、ユダヤ人国家が成立した。これ以降はユダヤ人国家としてのイスラエル国の歴史であり、同国に居住するユダヤ人はイスラエル人としての新たな国民意識を形成していく。

 もちろん、ディアスポラのユダヤ人/教徒の歴史は続いているが、シオニズムの目標はユダヤ人国家の建設で達成されたとの認識の下に、古代以来のユダヤ人/教徒の歴史叙述はとりあえずここで終わりにしたい。20世紀後半以降のイスラエルとディアスポラの関係に関しては別途論じることにする。

 以下において、主として建国後のイスラエルと周辺アラブ諸国との戦争と平和というテーマに注目して、建国から現在までのイスラエル現代史における歴代内閣の概略を簡潔に述べていくと、次のようになる。

 すなわち、イスラエル労働党政権期(1948~77年)、リクード政権期(1977~82年)、挙国一致内閣期(1982~88年)、労働党・リクード内閣交代期(1988~2005年)、カディーマ党政権期(2005~09年)、そして2009年3月からイスラエル内閣史上、最長の首相在任を誇るリクード党ネタニヤフ政権期(1996~99年、2009年~現在)となる。
 
 まず指摘しておかねばならない点は、イスラエルとユダヤ人ディアスポラ諸共同体の関係である。イスラエル国では両者の関係は「世界シオニスト機構=ユダヤ機関(地位)法―ユダヤ暦5713年/1952年」という法律で規定されている。世界シオニスト機構は全世界のユダヤ人ディアスポラを代表しており、それに対してユダヤ機関はディアスポラとイスラエル政府との間をつなぐ窓口の役割を果している。

 ユダヤ機関は建国前、イシューヴ(パレスチナのユダヤ社会)を代表するものであったが、建国後はイスラエル政府がイスラエル国民を代表するというかたちをとるようになったので、ユダヤ機関は両者をつなぐリエゾン・オフィスのような機能を持つようになった。
 イスラエルは建国以来、アラブ諸国と戦争を繰り返していた。もちろん、イスラエルにとっては防衛戦争という側面もあるが、むしろベン=グリオン初代首相の強硬な対アラブ観に支えられて、あえて戦争を選択していったといってよかろう。アラブ諸国との宥和政策を追求した第二代首相モシェ・シャレットとの対アラブ政策との相違・対立が鮮明になる中で、ベン=グリオンは子飼いの政治家たちを閣僚として送り込み、イスラエルをより強力な軍事力を持つ国家へと成長させていき、シャレット首相の後任として自らが首相に復権することになった。
(中略)

 ところで、第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)は1948年5月15日、アラブ諸国軍がパレスチナに侵攻して勃発した。第一次中東戦争にはエジプト軍、シリア軍、トランスヨルダン軍、レバノン軍、イラク軍に加えて、アラブ諸国の義勇兵も参戦していた。

 戦争そのものに関しては、アラブ連合軍の総司令官であったトランスヨルダン軍のアブドゥッラーは国連パレスチナ分割案におけるユダヤ人国家の領域には進軍しないというよう密約をイスラエルとの間に結んでいた。にもかかわらず、分割ラインをめぐっては実際にはイスラエル軍とヨルダン軍との戦闘は激烈を極めた。イスラエル軍は分割案の予定地よりもヨルダン側に食い込んだかたちで領土を確保した。パレスチアにおけるヨルダン領はヨルダン川西岸と呼ばれている。

 一方、イスラエルは周辺アラブ諸国と各戦線で戦わざるを得なかった。最大の軍事力を誇るエジプト軍がシナイ半島を越えてイスラエルに侵攻してきた。エジプトはパレスチナ委任統治領の一部であったガザ地帯を占領した。しかし、エジプト国王ファールークの下に組織されたエジプト軍はばらばらで統一された軍隊とは言えなかった。

 後にエジプト大統領になるナセルが『革命の哲学』で述懐するように、エジプト軍は指揮権もばらばらで、少数精鋭のイスラエル軍に対抗できるものではなかった。ナセルはネゲブ戦線の塹壕の中でエジプトの敗因を振り返り、1952年に自由将校団によるエジプト革命を成し遂げたのである。


『「ユダヤ」の世界史』1:十字軍の遠征

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