内田先生かく語りき(その22)

<内田先生かく語りき(その22)>
「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。
内田

最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。
(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)


・『街場の親子論』のためのまえがき
・パンデミックをめぐるインタビュー
・ホ・ヨンソン『海女たち』書評
・2020年度寺子屋ゼミ受講要項
・『山本太郎から見える日本』から
・『人口減社会の未来学』から
・「サル化する世界」についてのインタビュー
・映画『Workers被災地に起つ』神戸・元町映画館でのアフタートーク
・週刊金曜日インタビュー
・桜を見る会再論
・『Give democracy a chance』2
・『Give democracy a chance』1
・沈黙する知性
・China Scare
・[週刊ポスト」問題について
・『低移民率を誇る「トランピアンの極楽」日本の瀕死』
・『ネット右翼とは何か』書評
・『最終講義』韓国語版あとがき
・『「そのうちなんとかなるだろう」あとがき』
・『参院選にあたって』
・『廃仏毀釈について』
・『論理は跳躍する』
・『「おじさん」的思考』韓国語版序文
・『市民講座』韓国語版のための序文
・空虚感を抱えたイエスマン
・大阪万博という幻想
・外国語学習について
・大学院の変容・貧乏シフト
・『知日』明治維新特集のアンケートへの回答
・カジノについて
・中国の若者たちよ、マルクスを読もう
・『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき
・直言3月号「韓国の教育と日本のメディア」
・人口減社会に向けて
・時間意識と知性
・Madness of the King
・吉本隆明1967
・大学教育は生き延びられるのか?
・こちらは「サンデー毎日」没原稿
・奉祝「エイリアン・コヴェナント」封切り
・米朝戦争のあと(2件)
・気まずい共存について

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内田先生かく語りき8目次

(目次全文はここ)

(その22):「街場の親子論』のためのまえがき」を追記



2020-06-03街場の親子論』のためのまえがきより
 本書は僕と娘の内田るんとの往復書簡集です。
 どうしてこんな本を出すことになったのかについては、本文の中に書いてありますので、経緯についてはそちらをご覧ください。
 ここでは「まえがき」として、もう少し一般的なこと、親子であることのむずかしさについて思うところを書いてみたいと思います。
(中略)

 僕は若い人たちが他人とのコミュニケーションを負担に感じるようになったのは、共感圧力が強すぎるせいじゃないかと思っています。
 今の日本社会では、過剰なほどに共感が求められている。僕はそんな気がするんです。

 とりわけ学校で共感圧力が強い。そう感じます。喜ぶにしろ、悲しむにしろ、面白がるにしろ、冷笑するにせよ、とにかく周りとの共感が過剰に求められる。
 僕は女子大の教師だったので、ある時期から気になったのですけれど、どんな話題についても「そう!そう!そう!」とはげしく頷いて、ぴょんぴょん跳びはねて、ハイタッチして、というような「コミュニケーションできてる感」をアピールする学生が増えてきました。そういうオーバーアクションが無言のうちに全員に強制されている・・・そんな印象を受けました。

 何もそんなに共感できていることを誇示しなくてもいいのに、と思ったのです。だいたい、それ嘘だし。
 ふつう他者との間で100%の理解と共感が成立することなんかありません。あり得ないことであるにもかかわらず、それが成立しているようなふりをしている。「そんな無理して、つらくないですか?」と横で見ていて思いました。

 どんな親しい間でだって、共感できることもあるし、できないこともある。理解できることもあるし、できないこともある。それが当たり前だと思います。長くつきあってきて、腹の底まで知っていると思っていた人のまったく知らない内面を覗き見て心が冷えたとか、何を考えているのかさっぱり分からない人だったけれど、一緒に旅をしたらずいぶん気楽であったとか・・・そういう「まだら模様」があると思うんですよ。

 歌謡曲の歌詞だと、心を許していた配偶者や恋人の背信や嘘に「心が冷えた」方面についての経験が選好されるようですけれど(ユーミンの「真珠のピアス」とか)、その反対のことだってあると思うんです。さっぱり気心が知れないと思っていた人と一緒に過ごした時間が、あとから回想すると、なんだかずいぶん雅味あるものだった・・・というようなことだってあると思うんです(漱石の『虞美人草』とか『二百十日』とかって、「そういう話」ですよ)。

 僕はどちらかと言うと、この「理解も共感もできない遠い人と過ごした時間があとから懐かしく思い出される」というタイプの人間関係が好きなんです。そして、できたらそれをコミュニケーションのデフォルトに採用したらいかがかと思うんです。そのことをこの場を借りてご提案させて頂きたい。





25020/05/27パンデミックをめぐるインタビューより
プレジデントオンラインという媒体からメールで質問状が送られてきた。それに回答した。プレジデントオンラインでは写真付きで見ることができる。https://president.jp/articles/-/35721こちらは加筆したロング・ヴァージョン。

質問1  コロナ禍のなか「自粛警察」が横行し、いま社会全体が非常に刺々しい雰囲気になっている現状をどうご覧になっていますか。
 
 どういう社会状況でも、「ある大義名分を振りかざすと、ふだんなら許されないような非道なふるまいが許される」という気配を感知すると、他人に対していきなり攻撃的になる人たちがいます。ふだんは法律や、道徳や、常識の「しばり」によって、暴力性を抑止していますが、きっかけが与えられると、攻撃性を解き放つ。そういうことができる人たちを、われわれの集団は一定の比率で含んでいます。そのことのリスクをよく自覚した方がよいと思います。
 今回はたまたま「自粛警察」というかたちで現れましたが、別にどんな名分でもいいのです。それを口実にすれば、他人を罵倒したり、傷つけたり、屈辱感を与えたりできると知ると彼らは動き出します。そういうことをさせない一番いい方法は、法律や規範意識や常識や「お天道様」や「世間の目」を活性化しておいて、そういう人たちに「今なら非道なふるまいをしても処罰されない」と思わせないことです。

2 "正義マン"たちの特徴に、問題の背景にあるシステムへの提言や改善ではなく、個人を叩く傾向が強いのはなぜだと思われますか。

 気質的に攻撃的な人たちは、その攻撃性を解発することが目的で「正義」を掲げているのに過ぎませんから、システムの改善には関心がありません。だから、最も叩きやすい個人、最も弱い個人を探し出して、そこに暴力を集中する。「自粛警察」も公衆衛生には何の関心もありません。感染者をスティグマ化すれば、感染経路不明患者が増えるだけですから、自粛警察というのは存在自体が有害無益なのです。

3 「空気」ひとつでムラ社会的な相互監視が行き渡るのは、日本人に固有な民族誌的奇習なのでしょうか。

 場の空気に流されて思考停止するのは日本人の「特技」です。それがうまく働くと「一億火の玉」となったり「一億総中流」になったり、他国ではなかなか実現できないような斉一的な行動が実現できます。でも、悪く働くと、異論に対する非寛容として現れ、マジョリティへの異議や反論が暴力的に弾圧される。
 今の日本社会の全面的停滞は、マイノリティに対する非寛容がもたらしたものです。その点では、戦時中の日本によく似ています。




(以降、全文は内田先生かく語りき(その20)による)

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