『ソウルの練習問題』

<『ソウルの練習問題』>
コロナウイルス対応の図書館閉鎖の折、読む本に事欠いてきたので・・・
書棚から、この本を引っ張り出してきたのです。

父の蔵書を継ぐものであるが、韓流ブーム以前の韓国を見る著者の目は異文化を透視しています。



【ソウルの練習問題】
ソウル
関川 夏央著、情報センター出版局、1984年刊

<内容説明より>
屹立する高層ビル群を背景に、広い高速道路をマラソンランナーが駆け抜ける―ソウル五輪は現代韓国の一面を鮮やかに伝えてくれた。しかし韓国で暮らす人々について、我々は何を知っているだろう?ハングルの迷路を旅して、出会う人々と語り合い、彼らの温もりと厳しさを拾い集めた瑞々しいルポルタージュ。韓国社会のフィールドワークとして一時代を画した名著

<大使寸評>
父の蔵書を継ぐものであるが、韓流ブーム以前の韓国を見る著者の目は異文化を透視しています。

Amazonソウルの練習問題



「ヨォ」という終助詞あたりを見てみましょう。
p34~36
<彼女たちの朝鮮語終助詞>
 ぼくたちは寒い道を歩く。くわえていた煙草を投げ棄てると、スンジャに睨まれた。そういえば、この街には路傍のそこかしこに灰皿がある。一片が30センチほどの四角い木の箱で、火鉢の灰が敷きつめてある。冬の朝、おじいさんが抱いていたものにそっくりなのだ。ぼくは吸殻を拾いあげて、おじいさんの火鉢に埋める。彼女は満足そうにうなづく。

 写真を撮ろうとすると彼女が制する。
「ここは駄目、大統領がいらっしゃる場所に近すぎるでしょ。兵隊さんが見てるわ」
 なかなか難しい街だ。とてもひとりでは歩けない。

 ぼくのノートにはさまざまなことばが増えた。
 「ヤナギ」「イチョウ」「フジ」そして「落葉」「歴史」「灰皿」「逮捕」。
 ぼくたちは地下のパブ・スナックへ入り、さらにノートの言葉を増やしつづけた。こんどは別のニュアンスの語彙が加わる。「優しい」「美しい」「静か」「魅力的」。

 「いまの場所でいつまで働くのですか?」
 と、ぼくは尋ねた。
 「いまのホテルはもうすぐやめるの。だって働く時間が長いのに、お給料は安いんですもの。朝の十時から、夜の十時まで、長いでしょ? それで、六万円。安いでしょ?」

 彼女は単語ではなく、ひとまとまりの文章をいったあとには必ず、「アラヨォ?」(わかる?)か「モルラヨォ?」(わかんない?)という言葉をつけ加え、ぼくの眼の奥をのぞきこむ。最後の「ヨォ」という尻あがりの終助詞は、イントネーションを変えれば、疑問にも肯定にも使える。

 ソウルの若い女たちは、この、字面のうえではなんの愛想もない終助詞を、文字通り歌うように発する。どこへ行っても店の女たちは「オソオセヨォ」(いらっしゃい)と唱和し、食事を運んでくれば「マーニトゥヨォ」(たくさん食べてね)と旅行者を元気づけ、食事中には「マシソヨォ?」(おいしい?)と微笑しながらたずね、キムチをもっとくださいと頼めば「チョアヨォ」(いいわよ)と軽く引き受けてくれる。

 数日、ソウルに滞在すれば、この歌うような彼女らの「ヨォ」が心の慰めになる。いまでも耳に残る。もし再び韓国を訪れたいと思うなら、その動機は、あのキムチの味を押しのけて、この尻あがりの「ヨォ」の反響のなかに身を置きたいという切実さになるだろう。それほど快い。

 「アラヨォ?」と問われ、十二回ほど首を振って目に涙をためる。無知の涙である。第三十ヒントくらいまでいって、ようやく頭のなかに豆電球がともる。そんなぐあいだった。
 それでも彼女は韓英辞典を、ぼくは韓日辞典を、十九世紀の先込め銃程度の威力を持った武器としてそれぞれ携え、大長征はつづく。
「それでね、もうじきいまのところはやめるの。山手のほうのもう少し大きなホテルに移るつもり。拘束時間も短いし、そこなら八万五千円くれるっていうし。それにボーナスは年に二回で、それぞれ1ヵ月」
「それは高いのですか?」
「いいほうよ。同じ年頃の女の子としては」
「そうですか」
「そうよ」

ジントニック

 ぼくはジントニックをまた注文する。
 このパブはカウンターとボックスと半個室からなっている。ぼくたちはボックスにいるが、半個室というのが気になる。壁に畳一枚ほどのスペースで小部屋がうがってあり、なかには向かいあって座るテーブルがしつらえてある。入口にはカーテンがかかっている。
 いつでもそのカーテンは引ける。チャージはなし。いくつかのカーテンは引いてあるが、この店がいかがわしい店というわけではない。男ふたりで入りこんでカーテンを閉じた組もあるが、別に不穏な気配はない。ビアホール(?)にも時どきこんな個室がある。その存在理由をはっきりとはつかめない。
 
 ジントニックが運ばれてくる。
「おいしい?」と彼女が尋ねる。
「おいしいです」とぼくはこたえる。
「あたしのつくったジントニックよりも?」と彼女がいう。
「いいえ、スンジャのジントニックはもっとおいしいです」
「そうでしょう。あたしのジントニックにはチェリーのかわりに、レモンと真心が入っているもの」
 ぼくは感動して、また言葉を忘れる。



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