『日本語と韓国語』3

<『日本語と韓国語』3>
図書館の本を手当たり次第に、借りている大使であるが・・・・
なんか慌しいので、この際、積読状態の蔵書を再読しようと思い立ったのです。

・・・再読シリーズの一貫として、以下のとおり取り上げてみます。


【日本語と韓国語】
韓国語
大野敏明著、文藝春秋、2002年刊

<「BOOK」データベースより>
二千年の交流関係をもつ日韓両国には同じことばが少なくない。むかしから共通だった固有語(たとえばカマ)、近代に生み出された漢字語(たとえばヤクソク)、日本統治時代に残してきたことば(たとえばワリバシ)、そして近年、韓国から流入して日本に定着したことば(たとえばキムチ)。その一方、韓国に行って安易に「朝鮮」ということばを使うと、とんでもない目にあいかねない。なぜ南は「朝鮮」を忌避し、北は「朝鮮」に固執するのか。そこには、十九世紀末から二十世紀初頭にかけて存在した「大韓帝国」に対する認識の差があった…。日本と韓国の同質性と異質性をことばを通して、多角的にあぶりだす。

<大使寸評>
図書館の本を手当たり次第に、借りている大使であるが・・・・
なんか慌しいので、この際、積読状態の蔵書を再読しようと思い立ったのです。

Amazon日本語と韓国語


日露戦争当時の朝鮮を見てみましょう。
p101~103
<大韓帝国と日露戦争>
 閔妃暗殺から二年後の明治30(1897)年、李氏朝鮮は国号を大韓帝国と変え、王は皇帝を名乗りました。朝鮮は当初、明、次いで清の藩屏であり、明、清の皇帝のみが陛下で自らは王殿下と称していました。

 それが日清戦争における清の敗北で、清の支配力が無に等しくなり、いわば清の呪縛から解放された形で「帝国」「皇帝」「陛下」を名乗ることになったのです。国号に「」の字をつけたのは「大清帝国」「大日本帝国」にならったもので、「朝鮮」を「韓」としたのは、かつての「朝鮮」からの訣別を意味しました。日本とも清とも対等の独立国であるとの認識がうかがわれます。

 日本は日清戦争で朝鮮の独立を主張したことから、直ちにこれを承認しますが、これも日本が、朝鮮を清から完全に切り離し、実質的な支配権を確立するための政策の一環だったとみることができます。

 明治37(1904)年、かねてから朝鮮を支配して南下しようと企んでいたロシアと日本は激突します。日露戦争の勃発です。この戦争はご承知の通り、日本の辛勝で幕を閉じますが、大韓帝国にとっては日本による支配を決定的にするものとなったのです。

 明治37年4月、日本は韓国を保護するという名目の「韓国保護権確立」を閣議決定します。翌38年には伊藤博文が韓国を訪れ、日韓協約を結んで、韓国を正式な日本の保護国としてしまいます。そして漢城を京城(ソウル)と名前を変え、そこに統監府を置き、実質的な韓国の主として君臨することになったのです。

 初代総督は伊藤博文。ですが、この時点では日本は大韓帝国、皇帝、陛下という呼称を認めていました。表面上は日韓対等という形をとっていたのです。

 そして明治43(1910)年、第三代統監、寺内正毅と大韓帝国内閣総理大臣、李完用(イ・ワンヨン)の間で日韓併合条約(韓国では韓日合邦といいます)が調印されます。その時から昭和20年の日本の敗戦まで、足かけ36年、満35年弱の日本による韓国支配が始まります。

 調印した李完用の名は韓国人の間では文字通り売国奴の代名詞となり、現代でもその名を聞くと韓国人は顔をしかめます。李完用の子孫は先祖の墓参りすらままならないといった報道もありました。

 また、伊藤、寺内の名は豊臣秀吉、加藤清正と並んで、悪しき日本人の代名詞とされました。いまも韓国のやくざ映画に出てくる悪い日本人の姓は伊藤、寺内、加藤、黒田などが多いのです。

『日本語と韓国語』2:韓国演歌「カスマプゲ」p44~46
『日本語と韓国語』1:儒教民族の先祖p82~85

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