『トウ小平』6

<『トウ小平』6>
コロナウイルス対応の図書館閉鎖の折、読む本に事欠いてきたので・・・
書棚から、この本を引っ張り出してきたのです。


本屋で『トウ小平』という本を見かけたが・・・・
エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。
日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪

…ということで、ほぼ衝動買いとなった次第です。


【トウ小平】
ヴォーゲル

エズラ・ヴォーゲル×橋爪大三郎著、講談社、2015年刊

<商品説明>より
 トウ小平は、中国の方向をどのように転換させたのか。強大な経済力・政治力パワーをもつに至った中国の基礎をどのように築いたのか。「現代中国の父 トウ小平」の著者が、トウ小平の生涯と業績の大事なポイントを語る。【「TRC MARC」の商品解説】

「トウ小平は、20世紀後半から21世紀にかけての世界史にとって、もっとも重要な人物だ」――橋爪大三郎

「いま中国は相当強くなった。10年か20年で、GDPは世界のトップになるだろう。これがどうして可能になったかというと、トウ小平の開いた道なわけです。あれほど経験があって、権威があって、あらゆる面の実力を兼ねそなえている人は、いない」
「このインタヴューは短いけれど、トウ小平の生涯と業績の大事なポイントをすべて盛り込むものになった」――ヴォーゲル

<読む前の大使寸評>
エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。
日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪

hontoトウ小平


フランスから中国に戻ったトウ小平あたりを、見てみましょう。
p48~51
<中国に戻ったトウ小平と共産党>
 中国に戻ったトウ小平は、やがて上海で、地下活動に入った。そして、モスクワで知り合った張錫エンという女性と結婚をした。そのあと1929年には江西省に派遣され、根拠地の構築に従事した。しかし、軍閥に攻撃されて、自分の部隊と離れ、単身上海に戻った。身重の妻は産褥熱で亡くなり、子どもも死んでしまった。そのあとトウ小平は、阿金という革命家の女性と知り合い、結婚した。

 1931年、トウ小平は妻とともに、江西省の瑞金に着任した。毛沢東がソヴィエト根拠地を築いていた地域である。トウ小平は、毛沢東を高く評価するようになったが、党中央は毛沢東だけでなくトウ小平も批判し、妻の阿金までもがその批判に加わった。トウ小平は職を解かれるが、フランス時代からの友人、李富春に助けられた。

 国民党が井崗山の共産党根拠地への攻勢を強めたので、共産党は同地を脱出、長征の途に出る。八万余の兵力は1935年、陝西省に着くころには一万に減っていた。途中、遵義の会議で、毛沢東は共産党の指導権を確立している。

 1937年、日本が全中国の支配に乗り出すと、国共合作が成立した。共産党は延安を根拠地に、八路軍を組織。トウ小平は劉伯承とペアを組んで、抗日戦争、ついで国共内戦を戦った。トウ小平は卓琳と1939年、延安で三度目の結婚をした。卓琳は、三人の娘と二人の息子を生んだ。
(中略)

<中国革命に参加>
橋爪:そのあとトウ小平は、共産党員として、しっかり頑張っていった。最初は上海にいて、そのあと広西で、しばらく武装闘争に従事していますね。

ヴォーゲル:そうです。

橋爪:その間彼は、だんだんとヴェトナムとの国境の田舎のほうへ追いやられている。広西では、そのころの共産党の方針で、根拠地をつくって武装蜂起を成功させようと、いろいろ努力したけれど、結局失敗してしまう。

ヴォーゲル:そうですね。

橋爪:そのときに、彼は、軍隊とはぐれてしまって、そのまま上海に戻ってきたというので、自己批判していますね?

ヴォーゲル:自己批判したはずですね。ボクは記録はみていなかったんだけれど、広西ではうまくできなかったし、自分の部隊から離れて、自分一人で上海に戻ってきたというのだから、まあ批判されるはずですね。

橋爪:それは、どれぐらいまずいことなんでしょう?

ヴォーゲル:当時は、少し、まずかったんですね。上海に戻ってから、共産党の上層部で問題にされた。

橋爪:この時代、「個人トウ案」(個人履歴書の制度)はもう、始まっていましたか。トウ小平がなにか間違ったことをすると、それが書かれてしまって、上級の党員はそれを見ることができた?

ヴォーゲル:ボクが知っている限り、当時、記録は、それほど整っていなかった。混乱していましたね。
 延安時代から、資料はずいぶん整って、各党員の履歴とか、細かいところまで書かれるようになるんですが、それ以前は、党員個人の情報はあまり記録されていません。

<「毛沢東派」として批判される>
橋爪:そのあと大事なのは、トウ小平が、「毛沢東派」とされ、失脚してしまうことです。38年の1月に、瑞金に行っていますね。そのころスパイ事件がいろいろあったのを、トウ小平は調査して、冤罪を明らかにしたりした。そのあと近くの、瑞金県の仕事をしたのですが、党中央から批判されて、失脚してしまう。

ヴォーゲル:そうですね。毛沢東の弟らと一緒に、活動をしていたのです。ですからトウ小平は、毛沢東を支持したというふうに批判された。



『トウ小平』1:指導者の交替p138~140
『トウ小平』2:改革開放p154~160
『トウ小平』3:革命よりも改革p164~168、流血の天安門p214~218
『トウ小平』4:中国共産党の病理p231~234、習近平は、実力者p248~250
『トウ小平』5:フランス留学p41~43

ヴォーゲル:
橋爪:

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