『リドリー・スコット:フィルムメーカーズ#16』4

<『リドリー・スコット:フィルムメーカーズ#16』4>
本棚に積読になっていた本であるが、4年ぶりに再読しようと思いたったのでおます。
・・・なにしろ、神戸市の図書館が閉鎖中で、読む本に事欠いてきたもんで。


【リドリー・スコット:フィルムメーカーズ#16】
スコット

風間賢二編、キネマ旬報社、2001年刊

<「MARC」データベース>より
「エイリアン」の大ヒット、そして次に続く「ブレードランナー」で多くのファンを獲得したリドリー・スコット。光と影の魔術師といわれる彼の映画手腕を様々な角度から検証する。

<大使寸評>
この本の紹介記事を書いていたが…
読みどころが多いし、Amazonの古本が格安だったので、早速注文したのです。

Amazonリドリー・スコット:フィルムメーカーズ#16



p88~89
<だれでもレプリカントであるかもしれない可能性:福間健二>
 ネクサス6という型のレプリカントが、オフワールドと呼ばれる宇宙植民地で、人間がおこなうには危険な労働に奴隷として使われていたが、反乱をおこした。主人公デッカードは彼らを処分するブレードランナーだった。

 映画が始まった時点で、デッカードは元ブレードランナーであり、その仕事から足を洗っている。しかし、最初は男女3匹ずつ、計6匹と伝えられるレプリカントの地球への侵入がおこり、デッカードは元の上司に呼び出されてその処分を命じられる。

 デッカードはいやいや仕事を引き受ける。一人称によるナレーションのない「最終版」でも、フィルム・ノワール的、ハードボイルド探偵物的な語り口は感じられる。この主人公は、捜査や推理において天才的な力を発揮するというのではないが、結局、むだなくレプリカントたちに出会ってゆく。根本のところで仕事の意味を疑いながらも、仕事をやりとげる。そしてやはりレプリカントだとわかった女性レイチェルに恋もする。

 自分たちの寿命を知り、それを延ばしたいと願って侵入したレプリカントは、結局、男女2匹ずつが登場するが、それぞれに視覚的に誇張された悲劇的存在を演じる。女性のゾーラとプリスは、ヘビとアライグマのイメージを与えられ、動物になった機械のエロスを魅力的にふりまきながら、苦痛に満ちた死へと一気に突き落とされる。

 リーダー格のバティ(ルトガー・ハウアー)は、神への反逆者ルシファーのイメージであり、人間の手でつくられたモンスターが人間性をもってその創造主と対決するという「」にまでさかのぼる古典的な悲劇を体現する。はまり役のハウアーの演技は、なにか手がつけられないといった感じだ。

 彼は、最後にはデッカードの命を助け、自分は安らかな顔で死を迎える。その陶酔的演技やワーグナー的な盛り上げを必要としない作り方も考えられたと思うが、要するに、あとはもう人間が神という創造主に対して自らの生存の意味を問うばかりだという地点へと踏み込んでいる感触があって、それがこの映画の後半の大きな手応えとなっている。

 スコットがそういうロマン主義に傾斜したい重い主題をひきよせることがほんとうに好きなのかどうかは、わからないところがある。ここでも、『地獄の黙示録』のコッポラをほとんど19世紀芸術家的な野心へとかりたてた時代のもつなにかが働いていたのではないかという気がする。

 バティが延命の希望を断たれ、創造主のタイレルとセバスティアンを殺してしまったあとは、この映画はこれから何をするのかといった方向喪失の感覚が一瞬走る。もちろん、主人公デッカードがバティと対決し、レイチェルとの関係にも決着をつける必要がある。
 実は、そこまでも、この捜査官デッカードの行動には方向喪失の感覚がつきまとっていた。彼はなぜレイチェルを愛するようになるのか。なぜバティに助けられるのか。そういう問いへの答えのひとつは、彼もまたレプリカントなのではないかというものだ。


『リドリー・スコット:フィルムメーカーズ#16』1:リドリー・スコットの美術p50~52
『リドリー・スコット:フィルムメーカーズ#16』2:ブレードランナーp57~60
『リドリー・スコット:フィルムメーカーズ#16』3:テルマ&ルイーズp124~125 





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