『鉄の胃袋中国漫遊』3

<『鉄の胃袋中国漫遊』3>
図書館の放出本で『鉄の胃袋中国漫遊』という本を入手したのです。
ぱらぱらとめくってみると、思いのほかカラー写真が多くてビジュアルである。
・・・これは、まったくありがたい放出本であった。


【鉄の胃袋中国漫遊】


石毛直道著、平凡社、1996年刊

<「BOOK」データベース>より
上海、鎮江、揚州、南京、重慶、済南、広州…強靱な胃袋にものをいわせて大中国を食べ尽くす。市場を巡り、露店・屋台でつまみ、庶民の食卓に連なってとどめは名菜のフルコース。食の第一人者が堪能した、驚異の中国「食」紀行。

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくってみると、思いのほかカラー写真が多くてビジュアルである。
・・・これは、まったくありがたい放出本であった。

amazon鉄の胃袋中国漫遊


米飯の味の違いを、見てみましょう。
p146~149
<米飯の味日中比較>より
 これほどうまい料理をつくりあげた文明でありながら、ふしぎなことに飯の味には関心が薄いようだ。高級料理店から露店や家庭の料理にいたるまで、それなりにおいしいおかずを食べさせるが、うまい米の飯にありついたことは、ついぞ経験したことがない。

 チマキや炒飯のように、米に味つけをした料理はおいしい。しかし、ただの白い米の飯になると、わたしには感心できない。飯粒が塊状にくっついたものをヘラで切ったような飯か、箸にもかからないような、ポロポロに炊きあげた飯である。

 中国に長く滞在した人びとに聞いても、米の一粒ずつが光沢をおびて立ちあがり、ふっくらと炊きあがった、日本流のうまい飯というものはなさそうである。うまい飯さえあったら、あとは漬物があればよい、と飯の味に重きをおく主食中心主義の日本人にくらべたら、中国人はおかずに食事のうまさの主力にかけて、飯自体の味にはこだわらないようだ。

 料理屋での宴席だと、飯のでてくるのは最後だから、もうすでに料理で腹がふくれて、飯を主食とすることはないし、家庭でのくだけた食事のときとなれば、飯碗の上におかずをのせたり、スープをかけてかきこむので、料理の味が飯に染みて、飯の味をとやかくいうこともなくなってしまう。

 米食民族のなかでも、われわれ日本人がいちばん飯の味に口やかましいのだが、われわれの基準とする米そのものが、アジアのなかでは特殊であることも、考慮に入れておかねばならないだろう。

 マニラ郊外にある国際稲作研究所の調査によれば、日本人が好む米の品種は、世界でいちばん粘り気のあるウルチ米なのだそうだ。中国で一般的な米は、いわゆる外米とよばれるインディカ種であり、粘り気は少ない。配給米の品質もよくない。精白度が低いものもおおいようであるし、砂などの雑物が混入していたり、砕け米も混じっている。

 日本では、自動炊飯器以前だと、飯炊き専用の羽釜に下駄の歯のような形をした重い木蓋をのせて、蓋をあけずに微妙に火加減を調節して炊きあげる、独自の飯炊き術が発達した。しかし、中国では、飯炊き専用の釜はない。カマドにかけた直径数十センチの大きな平たい中華鍋で、飯も炊けば、おかずつくりもする。

 上海や揚州で聞いた話では、中華鍋に入れた米の上に一寸から一寸五分くらいの水がおおうように、水加減をするという。粘り気のある米の場合は水をすくなくするといったぐあいに、米の品種によって、水の量は変わる。しかし、羽釜にくらべると、保温性に劣る中華鍋では、火の通りは速いが、火を落としてからじっくり蒸らすことはむずかしそうだ。
(中略)

 かつて、大家族がカマドを共にして生活していた頃は、一度に多量の飯を炊くのに都合のよい、コシキやセイロを使用した飯炊きが、よくおこなわれていた。

 中華鍋に米と遺書に大量の水を入れて沸騰させ、米が半煮になった状態で、ネバをふくんだ水を捨ててしまい。米をコシキやセイロに入れて、蒸しあげるのだ。こうして炊いた飯は粘り気がなく、サラサラしている。地方的な嗜好の差異もあろうが、この蒸しあげてサラサラした飯が中国人の好みのようだ。お客をよんで多量の飯を炊かねばならないときや、食堂での飯炊きには、いまでも、この飯炊き法がおこなわれる。

ウーム まさに文明の衝突やないけ(笑)

『鉄の胃袋中国漫遊』2:日中の酢豚の味
『鉄の胃袋中国漫遊』1:南京のウドン


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