(インタビュー)「台湾の子」の心

<(インタビュー)「台湾の子」の心>
 台湾の「滅火器」ボーカルの楊大正さんがインタビューで「中国と違い民主的、世代間の融和へ歌にして訴えた」と説いているので、紹介します。

外省人のルーツを持つ楊さんが、本省人のように台湾語で歌うのはなぜか?


(4/11デジタル朝日から転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも)

 アジア初となる同性婚法の制定や脱原発の推進、ITを生かした新型コロナウイルス対策などで注目される台湾。社会の変化を後押しするのは、民主化と共に育った若者たちだ。その心情を歌い、世代を超えて伝えてきたバンド「滅火器」のボーカル、楊大正さんは、台湾人意識に目覚めた自分たちを「台湾の子」と呼ぶ。

Q:1月の台湾総統選では、若年層と中高年層で投票行動に違いがありました。再選した与党民進党の蔡英文(ツァイインウェン)氏が、楊さんをはじめ若者たちに特に支持される理由は何でしょうか。
A:中国の習近平国家主席が昨年1月、台湾に統一を迫ったとき、蔡総統は即座に『台湾は一国二制度を絶対に受け入れない』と反論しました。香港の抗議デモについても、蔡氏はすぐに支持を表明した。一方で最大野党の国民党は、中国との将来の統一の可能性を否定していない。総統選に出馬した国民党の候補は、親中的な言動が目立っていた。『総統はガッツがある。任せて安心だ』。そう思わせてくれました。

Q:「中国との違い」に、若者がこだわるのはなぜでしょう。
A:私がまだ幼かった1987年に戒厳令が解除され、以後、台湾では民主化が急速に進みました。社会の自由度は、台湾と中国には天と地の開きがあります。『オレたちの台湾は民主的だ。言いたいことは何でも言えて、インターネットで見たいものも見られる。中国とは違う』。若者たちはこう考えているのです。

Q:方、中高年世代では国民党の支持者の割合が増えます。
A:かつての国民党政権下で、戒厳令は38年間も続きました。民主主義を求め、体制に反対する考えを持つことが、刑法の『内乱罪』などで裁かれる可能性のある状況でした。最終的に内乱罪の条文が改正されたのは1992年になってからです。人々は従順であるように教育され、『政府と国民党に従っていればメシが食える、それで良いじゃないか』と、政治に関わろうとしませんでした。

 私たちより上の世代の中には民主化運動や、その流れをくむ民進党に対し、『社会に混乱をもたらし、暴力的だ。経済が分かっていない』という印象を抱いている人が珍しくありません。1月の総統選で国民党の候補者は、中国と付き合えば『金がもうかる』『人民は豊かになる』と主張して、支持を訴えました。

《その総統選で、楊さんは蔡氏の応援歌をつくった。こんな歌詞に思いを込めた。》
 愛する父さん、母さん、分かってほしい。私たちの理想は、大金持ちになることじゃない。
 風がどんなに強くても、私たちの心は揺るがない。志は、あなたが付けてくれた名だ。私たちは誇りある台湾の子。自信ある勇敢な台湾の子。(『自信勇敢サ的名』、原文は台湾語)
Q:方言の台湾語の歌詞に、何度も「台湾の子」という言葉が登場しますね。これはどういう思いからですか。


A:若い世代と中高年世代では価値観が違い、残念なことに台湾の社会に亀裂をもたらしています。なんとか対立を癒やしたい。そう思い、子どもから父や母に手紙を送るという歌詞にしました。
 台湾の子という言葉には、私たち若者だけではなく、さまざまな意味を込めています。父親だって、母親だって、台湾のこの島で生まれ、育っている。みんな台湾の子であり、温厚な人柄は、この土地に根ざしている。

     ■     ■
Q:なるほど。でも、そんな楊さんの祖父は、1949年前後に中国本土から台湾に渡って来た方だそうですね。
A:そうです。中国南部の広東省梅県の出身です。私が生まれる前ですが、国民党政権と共に台湾にやって来ました。祖父は警察官だったそうです。でも、私が高校生のときに亡くなってしまい、残念ですが、当時のことについて話を聞けていません。

Q:台湾で「外省人」と呼ばれる家系ですね。以前から台湾に暮らしてきた「本省人」と呼ばれる人々との間で、同じ漢民族でも言葉が違います。
A:私は台湾南部の高雄で生まれ育ちました。中国語の標準語である『国語』が母語で、実家では両親と標準語で会話していました。小学校に上がると、周りの同級生の多くは本省人で、方言の台湾語を使っていました。遊ぶうちに自然に台湾語が身につきました。

Q:民主化前まで、少数の外省人が、多数の本省人を支配する構図が続きました
A:台湾社会が抱える重い歴史を意識したのは、国民党政権が抵抗する本省人を弾圧し、虐殺した1947年の二・二八事件を知ったときです。高校時代、事件を題材にした映画『悲情城市』を見て、怒りと悲しさで苦しくなりました。まだ、多くの関係者が存命の時代です。外省人の家系なので、父は国民党支持者でした。自宅で事件や政治の話をして、父と何度もケンカしました。

Q:母語の標準語ではなく、なぜ台湾語で歌うのですか。
A:学校教育では標準語が重視され、方言の台湾語は蔑視されてきました。でも、実際は響きが優雅で、繊細な感情表現ができる言葉です。歌にすると人々の心を動かす力がある。私たちの世代は、外省人だから、本省人だからという対立は消えつつある。違いはあるけれど『私たちは台湾人』という主体性が育ちつつあります。

 中国のことは祖父の故郷だとは思うけれど、3代目の私に『私は中国人』という意識はありません。かつて北京に行ったこともあるし、胡同(路地)の街並みや紫禁城も好きです。でも、中国の政権は台湾に非友好的で、今は行きたいとは思わない。

     ■     ■
Q:民主化を果たしたものの、若者は物価高や就職難など、苦しい時代を生きてもいます。
A:ある曲で若者の暮らしを『風風雨雨』と歌いました。低賃金に加えて、物価も家賃も上がっています。生活は苦しく、台湾社会に少子化をもたらしている原因の一つでしょう。海外に出て行く若者が多いのも、より良い仕事を求めているからです。社会の資源配分の決定権を、中高年層が握っているという不公平感があります。

Q:2014年には、学生たちが国民党政権の対中融和路線に反発し、立法院(国会)を占拠した「ひまわり学生運動」もありました。このとき「優しさ」をテーマに曲を作ったそうですね。占拠が、なぜ優しさに?
A:曲作りは、議場に立てこもった学生たちに頼まれました。どんな曲が良いのか聞くと、リーダーから『温柔』(優しい)と注文されました。集まっている人々が怒り、いら立っているとき、音楽がその気持ちを増幅させてしまうのは不健康です。気持ちを静めるのも音楽の役割です。家に帰れない若者たちは、朝が来るのを待っていた。島を照らす太陽のイメージが湧いてきました。

 かつての民主化運動は今と違い、決して『優しい』とは言えない激しさがあった。社会運動の雰囲気が穏やかになったのはこの8年くらいでしょう。国民党支持だった私の父はひまわり運動を機に立場を変えました。若者の懸命な姿を目にして感動したそうです。

Q:私も台湾に暮らしていて、多様性を重視し、少数者に配慮する若者たちの優しさが、台湾社会を変える原動力になっていると感じます。
A:若者だけではありません。台湾社会やこの土地に、包容力のようなものがある。私も制定を支持したアジア初の同性婚法は、中高年層は反対の声が多かった。それでも新しい価値観を取り入れ、社会を変えようとした若者を誇りに思います。これまで、民主化運動や政権交代を繰り返すなかで、何度も何度も対立や衝突がありました。でも、どんな結果であれ、その痛みを包み込んできた。そこに台湾の希望を感じるんです。

     ■     ■
Q:日本では、新型コロナウイルス対策に関連して、台湾の唐鳳さんが注目されています。トランスジェンダーで30代のIT担当閣僚は、残念ながら日本ではまだまだ実現できないでしょう。
A:今回の新型肺炎で、マスクの流通状況を示す地図の提供など、唐鳳さんやその関係者の活躍は私も感動しました。政府が最先端の技術や思考を採用し、私たちの生活のために活用してくれるのは、幸福なことです。

Q:楊さんは東日本大震災の被災地を応援する歌を作るなど日本でも活動しています。変化する台湾から、日本はどう見えますか。
A:日本にはもう何度も出かけていて、友だちも多くいます。感じるのは、日本人はあつれきを避けるために、自分の本当の気持ちを抑えたり、問題解決を先送りしたりしていることです。
 
 あともう少し、人間らしさや、気持ちを解放したらいい。きっと、人と人のぶつかり合いも生むでしょう。でもそれによって、少しずつ社会の雰囲気がいきいきとしてくるはずです。
台湾では、互いの意見がぶつかるなんて当たり前ですよ。(聞き手・西本秀)

     *
楊大正:1984年台湾生まれ。バンド名「滅火器」は消火器の意味。2014年の「ひまわり学生運動」のテーマ曲「島嶼天光」などで知られる。 


(インタビュー)「台湾の子」の心楊大正2020.4.11


この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR16に収めておきます。

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