『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』2

<『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』2>
図書館で『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』という本を、手にしたのです。
内容を覗いてみると、翻訳がテーマとなっているようで・・・
これが太子のミニブームにいたく響くわけでおます♪


【Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち】


辛島デイヴィッド著、みすず書房、2018年刊

<「BOOK」データベース>より
村上春樹と英米出版界のスペシャリストたちの冒険。A・バーンバウム、E・ルーク、L・アッシャー、J・ルービン、G・フィスケットジョン、チップ・キッド…、そして村上春樹。Haruki Murakamiの世界への飛翔までの道のりを、30余名へのインタビューをもとにたどる、異色の文芸ドキュメント。

<読む前の大使寸評>
内容を覗いてみると、翻訳がテーマとなっているようで・・・
これが太子のミニブームにいたく響くわけでおます♪

rakutenHaruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち


講談社インターナショナル(KI)などの出版社の出版事情を、見てみましょう。
p32~35
<5 英語学習者向けのシリーズからの刊行>
 KIの単行本は、英米の代理店などを通じて、英語圏でも流通される仕組みになっていた。文学作品の初版の最小部数は3000部で、三島や谷崎などアメリカでも名の知られている作家の作品の場合は、初版6000部でスタートすることもあった。

 一方、「講談社英語文庫シリーズ」の流通は、日本国内に限られていた。なので『ピンボール(英)』は、海外の書店に並ぶことはなかった。

 KIの編集部が初めから村上作品の出版を「講談社英語文庫シリーズ」で検討していたとすると、『羊をめぐる冒険』を「長すぎる」と考えたのもわかる。

 単行本で『羊をめぐる冒険』は約400頁の長篇なのに対して『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』はそれぞれ200頁ほどの中篇だ。英語圏では長い間、中篇小説は売れないとされてきた。だが、日本の英語学習者向けの刊行を考えていたのであれば、長篇よりも中篇の方がニーズがあるとの判断も理解できる。

『ピンボール(英)』の英文の編集を担当したのは、「講談社英語文庫」から「日本の美術工芸品、武道、文学作品から展覧会のカタログまで」様々な本を編集していたジュールズ・ヤング。

 1960年代半ばに来日し、1969年から20年ほどKIで編集者としてつとめた後、主に英文編集を請け負う会社を立ち上げた。十年ほど前からタイで暮らしており、翻訳も手がけている。訳書に人気漫画の『サザエさん』や『コボちゃん』などがある。

 ヤングは、最初にバーンバウムが持ち込んだサンプル翻訳(「動物園が出てきたっけ?」)を読み、ユニークで興味深い作品だと思い、バーンバウムの英訳ではじめて『ピンボール(英)』を読んだときには「とても気に入った」という。

 英訳を編集するにあたり、ヤングは日本国内の読者層を特に意識はしなかった。編集中に疑問が生じた際には、日本語の解説文を担当していた編集者に相談した。同時に「アメリカや他の英語圏のマーケットで刊行される予定があれば、日本やその文化に馴染みのない読者のために情報を補足するなど、多少変えていた部分もあると思う」ともいう。

 タイトルPinball,1973 にコンマを入れたのはヤングの提案だった、とバーンバウムは言う。このタイトルは、同作が四半世紀後にテッド・グーセンの翻訳により新たに刊行された際にも、そのまま使われることになる。

 ヤングは、当時を振り返りながら言う。
「タイトルのコンマには、物語の時代を強調する効果があったように思う。コンマがないと、何か少し物足りない感じがするかな」

『ピンボール(英)』が「講談社英語文庫」から出版されたことについて「正直がっかりした」バーンバウムだったが、続いて依頼された『風の歌を聴け』の英訳も受けることにした。

「村上春樹という作家には引き続き関心があったし、いつか『羊をめぐる冒険』を訳す機会を得るためにはやるしかないという感じだった。梯子の一番下にいると、そんな色々と選択肢があるわけじゃないからね」

 日本の読者向けであることはあまり意識せずに訳したが、『1973年のピンボール』と同様に、基本的には原文に沿った訳を目指した。バーンバウムの訳は、再びヤングによる編集を経て、Hear the Wind Sing の題で、1987年2月に同シリーズから刊行された。『ピンボール(英)』と同様に、アバーの表紙には原著の佐々木マキのイラストが用いられ、巻末には英文解説が付けられた。
(中略)

 この点について尋ねると、村上はレイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』のデザイン入りのマグカップから一口コーヒーを飲んでから言う。
「日本の国内市場向けの翻訳だから、特に難しいことは考えなかった。なんのために出すの?って聞いたら、日本の高校生が英語を勉強するために読むものだって言うから、色んな、変わった需要があるんだなと思ったくらいで。これで海外に進出しようとか、そういう気持ちはなかったですね。あの二冊は短いじゃない? 中篇ですね。僕はその頃にはもう、もっと大きい長篇の方に気持ちがいってたから、その二つに関してはあんまり関心がなかったんですよね」

 この初期中篇二作の英訳は、1990年代以降に村上作品が英語圏で少しずつ読まれ始めてからも、作品が「未熟」だという著者本人の考えもあり(2015年8月にテッド・グーセンによる新訳が英米の出版社から刊行されるまで)三十年近くにわたり英語圏の読者には伏せられることになる。

 だが、『ピンボール(英)』のバーンバウム訳は日本国内のみの発売ではあったものの、村上作品が英語圏で刊行される前にアメリカやイギリスの編集者、エージェント、批評家などの出版のプロたちが英語で村上作品を読むための重要なサンプルとなる。


ネットで辛島デイヴィッドのコメントを見つけたので、見てみましょう。

著者にインタビュー。辛島デイヴィッド『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』より
Q:初めて村上春樹を読んだ時に抱いた印象は? なんで論文のテーマに選んだんでしょう? あとがきに「博士論文」が元になっているとあります。

辛島:初めて村上春樹の作品に触れたのは、アメリカのタフツ大学で現代日本文学の授業を受け、アルフレッド・バーンバウムによる英訳を読んだ時です。身体に電流が流れるような衝撃があったわけではありませんが、言葉が自然と身体に入ってくる感じがあり、日本帰国後に原作を一挙に読みました。

博士課程では、初めは1980年代以降の日本文学の英訳について広く浅く調査をしていました。博士論文を書くにあたり、一人の作家に絞り込んで深く掘り下げていきたいと思い、日本文学の英訳の歴史においても突出した存在である村上春樹を選びました。大学時代に一度お会いしていて(勝手に)身近に感じていたというのも影響したかもしれません。論文を書き進めるなかで、訳者、編者などの出版人たちの人柄に魅せられ、その物語にどんどん惹きこまれていきました。

辛島デイヴィッド:1979年東京都生まれ。作家・翻訳家。現在、早稲田大学国際教養学部准教授。


『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』1

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