『文学的商品学』3

<『文学的商品学』3>
図書館で『文学的商品学』という本を手にしたのです。
膨大な数の書評を書いている著者だから、商品学と銘打つのは・・・いいんじゃないか。


【文学的商品学】


斎藤美奈子著、紀伊國屋書店、2004年刊

<「BOOK」データベース>より
商品情報を読むように、小説を読んでみよう。庄司薫から渡辺淳一まで、のべ70人の82作品を自在に読みとく。
【目次】
はじめにー商品情報を読むように小説を読んでみよう/1 アパレル泣かせの青春小説/2 ファッション音痴の風俗小説/3 広告代理店式カタログ小説/4 飽食の時代のフード小説/5 ホラーの館ホテル小説/6 いかす!バンド文学/7 とばす!オートバイ文学/8 人生劇場としての野球小説/9 平成不況下の貧乏小説

<読む前の大使寸評>
膨大な数の書評を書いている著者だから、商品学と銘打つのは・・・いいんじゃないか。

rakuten文学的商品学



「9 平成不況下の貧乏小説」でいくつか、見てみましょう。
p228~233
 全部が全部ではありませんが、プロレタリア文学の多くは三人称、いわゆる全知全能の神の視点で書かれています。だれか特定の個人というよりは、群像としての労働者=労働者階級を描くのがこのジャンルの目ざすところだからです。したがって、物語の外側にるいる語り手はみな、たいそう自覚的なマルクス主義者です。もう一作、よく知られた作品を読んでみましょう。
 北海道では、字義通り、どの鉄道の枕木もそのまま一本一本労働者の青むくれた「死骸」だった。築港の埋立には、脚気の土工が生きたまま「人柱」のように埋められた。 北海道の、そういう労働者を「タコ(蛸)」といっている。蛸は自分が生きて行くためには、自分の手足をも食ってしまう。これこそ、全くそっくりではないか! 

 そこでは誰をも憚らない「原始的」な搾取が出来た。「儲け」がゴゾリ、ゴゾリ掘りかえってきた。しかも、そして、その事を巧みに「国家的」富源の開発ということに結びつけて、マンマと合理化していた。抜け目がなかった。「国家」のために、労働者は「腹が減り」「タタき殺されて」行った。
(『蟹工船』)

 小林多喜二『蟹工船』の一節です。そういえばこれもマドロスものですね。船というのは他から分断された独立空間ですから、物語の舞台に適していたのかもしれません。『蟹工船』にも特定の主人公は存在しません。(中略)
 しかし、この理屈っぽさはどうでしょう。貧乏の構造を語ろうとするあまり、登場人物をさしおいて、ここでは語り手が「搾取」だの「国家」だのいう語をふりまわして演説をぶっちゃってる。描かれる対象(労働者)と描く人(語り手あるいは作者)との間に知的な距離があること。それがこのジャンルの隠れた特質ともいえましょう。

<貧乏小説はダメ男としっかり者の女の物語である>
 さて、というように、同じように貧乏を扱いながら、私小説とプロレタリア文学のベクトルは一見まったく逆を向いています。内向きに閉じていく私小説と、外に向かってアジテーションするプロレタリア文学。トホホの私小説と、怒れるプロレタリア文学。

 しかし、この二つには大きな共通項があります。
 元祖貧乏小説とは、「知識階級=インテリゲンチャの貧乏小説」なのです。
 自分自身をモデルにした私小説の場合、主人公は必ず作家か、または作家志望者です。家を追い出され、子どもをつれて街をさまようことになっても、書きかけの原稿は後生大事に抱えている主人公。これが「インテリ貧乏」でなくてなんでしょう。

 この種の「インテリ貧乏」な男たちを間近に見ていた女性作家は、こんな風に書いています。
 小山は、二度の監獄生活に懲りて社会運動から逃避し無名な原稿を書き、4年もつづけている男であった。彼の原稿は、不思議に、どんな大作を
、どんなに根気よく書いて持込んでも、糸をつけておいたように、次から次から戻って来てしまうのである。

 私と一緒になる動機にも、女を働かせる、という狡猾な考えを第一の理由としてひそませなければならない、みじめな男であった。
「ね、お前、今度だけでいいから誰かに頼んで、少しつくって来てくれないか」
 生活が窮して来ると、彼は、その切れの長い目を細くして、まじまじと私の表情をうかがいながら、今度こそ、今度だけだ、という風に、私に哀願するのであった。
(「嘲る」)

 プロレタリア文学作家で、同時に私小説作家でもあった平林たい子の短篇の一節です。こんな男と結婚したのが運の尽きですが、女性作家の貧乏小説にはこの手が少なくありません。

 ちょうど私小説やプロレタリア文学が文壇内部で話題になっていたころ、大衆に支持されて、ベストセラーになった貧乏文学がありました。林芙美子『放浪記』です。女学校を出て上京した林芙美子は、それからの5年間、日々の雑記をノートに書きためていました。その一部を編集して出版されたのが『放浪記』です。それは全編、こんな記述であふれています。

 私は朝から何も食べない。童話や詩を三ツ四ツ売ってみた所で白い御飯が1ヵ月のどへ通るわけでもなかった。お腹がすくと一緒に、頭がモウロウとして来て、私は私の思想にもカビを生やしてしまうのだ。ああ私の頭にはプロレタリアもブルジョアもない。たった一握りの白い握り飯が食べたいのだ。(『放浪記』)

『文学的商品学』2:フード小説
『文学的商品学』1:浅田次郎『プリズンホテル』

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