『バカのための読書術』3

<『バカのための読書術』3>
図書館で『バカのための読書術』というふざけたタイトルの新書を、手にしたのです。
ぱらぱらとめくってみると・・・
タイトルと違って内容はまともでおます。いわゆるキャッチコピーでんがな。



【バカのための読書術】


小谷野敦著、筑摩書房、2001年刊

<「BOOK」データベース>より
現在、「知」は混迷状態に陥っている。インテリたちはかつてないほど熱心に西洋の新理論の輸入に血道をあげ、難解な言葉と言い回しに身をやつしている。その一方で、有名大学の学生がフランス革命の存在を知らなかったりする。では、この両極の中間に位置する人は、何をどう読めばよいのか。学校は出たけれどもっと勉強したい人、抽象的な議論がどうも苦手だという人。そういう「バカ」たちのために、本書はひたすら「事実」に就くことを指針とし、インチキ現代思想やオカルト学問、一時の流行に惑わされず、本を読み勉強するための羅針盤となるべき一冊である。本邦初「読んではいけない」リスト付き。
<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくってみると・・・
タイトルと違って内容はまともでおます。いわゆるキャッチコピーでんがな。

rakutenバカのための読書術


この本のキモとも言える「読まないでいい本」を、見てみましょう。
p102~104
<読まないでいい本を決める>
 何しろ現代という時代は、恐ろしい量の本が流通している。だから、どうやって読む本を見つけるかより、どうやって「読まないでいい本」を決めるかのほうが重要だったりする。そして、「読まないでいい本」は個人の資質によって決まるから、自分の資質を見極めるのが大切になる。

 世の知識人と言われる人たちは、たいてい若いころに濫読をやっている。たとえば哲学者の梅原猛は、今では日本文化の研究家として知られているが、若いころはドイツの哲学者ハイデッガーの研究をしており、日本研究へ向かったのは三十代も半ばを過ぎてからである。むろん、若いころの濫読がいけないというわけではない。なかには二十歳前に自分の資質がわかってしまうというような天才もいるだろうが、この本は天才のための本ではないから、自分の資質がわかるのは三十歳くらいと思っておけばいいだろう。

 さて、最初に、書評を信用するな、と言ったままで、では新刊の価値をどうやって判定するのか言っていなかった。答えは待つのである。つまらない本は、出たときに絶賛されても、1,2年でたいてい誰も口にしなくなる。1,2年経ってもまだ評判が良かったら、その時読めばいい。

 ただし、「賞」は信用してはいけない。日本では芥川賞と直木賞というのが一番有名な「賞」だが、その受賞作で本当にその名に値するものは少ない。学問的な書物に与えられる賞もいくつかあるが、これも人脈で決まったりするから信用してはいけない。

 私は、これまで二度「本ノイローゼ」にかかった経験がある。一度目は大学院に入学したころで、「比較文学比較文化」という専攻のその大学院は、きっと博覧強記の人物がたくさんいるに違いないと思った私は、自分があまりに無知であることに恐怖を抱き、「名著」と言われているような本を片っ端から読みはじめたのである。

 ところが、いったんこういう作業を始めると、「名著」でさえ数限りない。しかもたいていは難解で、長い。こちらは焦燥に駆られているからじっくり読むというわけにはいかず、訳もわからないままに読みとばすのだが、神田や高田馬場の古本屋街へ行ってしこたま「名著」らしきものを買い込んでくるうち、次に何を読めばいいのかわからなくなってしまい、四冊ぐらい同時並行で読んだこともあった。

 恐らく、新しい環境に対する不安がこういう形で出たのだろう。だから、初めて就職したときも、ちょっとこれに近い状態になった。
 書評よりも、いちばんの近道は、自分が興味を持った本のなかで触れられている本を読むこと、あるいは自分が興味を持った著者が挙げている本、ないし友人に勧められた本を読むことである。


 太子はときどき、受賞作を載せた「文芸春秋」特集号を買ったりしたが・・・アホの極致だったりして(汗)。

『バカのための読書術』2:「史観」とは何か
『バカのための読書術』1:蔵書派とカード派


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