『江戸人の老い』2

<『江戸人の老い』2>
図書館で『江戸人の老い』という新書を、手にしたのです。
時代を超えて変わらぬ死生観とはどんなかな?・・・という興味で借りたわけでおます。


【江戸人の老い】


氏家幹人著、PHP研究所、2001年刊

<「BOOK」データベース>より
頑健・有能な大将軍であった徳川吉宗にも「老い」は訪れた。半身麻痺と言語障害を抱え手厚い介護を受ける一方で、側近たちに対しては往年の為政者としての力を発揮しつづけたという。家族との確執に悩み、七万字もの遺書をしたためた、ある偉人。世の安直な風潮を醒めた目で観察し、十八年にもわたる散歩の記録を残した不良老人。本書では丹念に史料を読みときながら、江戸に生きた三人の老いの姿を描き出す。それからの人生をどう生きるか?時代を超えて変わらぬ人生最後の問いへの示唆。

<読む前の大使寸評>
時代を超えて変わらぬ死生観とはどんなかな?・・・という興味で借りたわけでおます。
amazon江戸人の老い


「第3話 老人は郊外をめざす」で、敬順翁の続きを見てみましょう。
p176~178 
<落書き常習犯>
 市井の隠者を自負して世の俗物たちを憐れみ笑った敬順は、また落書きの常習犯でもあった。
 と言うと「落書きじゃなくて、落書でしょ?」と聞き返されてしまうかもしれない。かなり偏屈な爺さんだったとはいえ、まぎれもなく知的な老人の敬順が、まさか悪戯っ子や不埒な若者のようにラクガキなんかするはずはない。辛口のユーモアをたっぷり効かせて政治や世間を諷刺したラクショを書きまくったというならいざ知らず。たしかに、あれほど自然を愛し歴史と文化を尊んだ彼が、落書きの常習犯だったとは考えにくい。

 しかし真実は曲げることはできない。論より証拠。『遊歴雑記』から、彼の犯行現場をいくつか拾ってみよう。

 文化11年(1814)、野火止の平林寺にやって来た敬順は、松平信綱の時代に開削された野火止用水の流れを見て、「堀かねもむかしや広き野火どめの流れのどけき春の水音」と詠んでいる。ところで、この歌が書かれたのは短冊でも手帳でもない。ならばどこに。『遊歴雑記』には「やがて矢立取出し、杜撰にも惣門の柱に落書し置り」と書かれている。われながら感心しないとは思ったが、寺の門柱に落書きしてしまったというのである。

 反省しながらも、敬順は同様なことを繰り返している。下総中山(千葉県市川市)の「法花経寺」では、祖師堂の丸柱に「しずかさや只折ふしはとりの経」の句を「楽書」したし、岩室の観音堂(埼玉県吉見町)では堂内の柱にやはり和歌か発句を落書きしている。観音堂の前の山桜が満開で花の香りも格別だったから、と弁解しているが、落書きに違いはない。

 もっとも、街道沿いには落書き御免の茶店もあったようだ。川越ー松山間にあった神田屋八十八の店で、敬順は悠然と矢立を取り出し、軒先の柱に「旅なれた身にもうるさし秋の蠅」と書きつけている。店で休憩する旅人が発句を柱に墨書きしても、店の主人は何にも言わなかったのだろう。文句を言わないどころか、どうぞ落書きしてくださいと筆記具を提供する店もあった。


『江戸人の老い』1

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