『すぐそこにある希望』3

<『すぐそこにある希望』3>
図書館で『すぐそこにある希望』という本を、手にしたのです。
「すべての男は消耗品である。」エッセイシリーズ第9弾とのこと・・・切り口がなかなかのもんやでぇ。

ところで、帰って調べてみるとこの本をかりるのは、2度目になることがわかりました。
・・・で、(その2、その3)とします。

【すぐそこにある希望】


村上龍著、ベストセラーズ、2007年刊

<商品説明>より
「クール・ビズと経済制裁」「民主党と永田元議員の悪夢」など、2005→2007年の体感エッセイを収録。自殺、格差、老後の不安…。どうやって生きのびるか? 「すべての男は消耗品である。」第9弾。

<読む前の大使寸評>
「すべての男は消耗品である。」エッセイシリーズ第9弾とのこと・・・切り口がなかなかのもんやでぇ。

rakutenすぐそこにある希望

フグ鍋


上海とソウルが語られているので、見てみましょう。
p51~56 
<「微妙な違い」が差異のすべて>
 上海とソウルにそれぞれ行ってきた。上海は純粋に蟹を食べに行った。ソウルは、映画『トパーズ』が公開されるらしくて宣伝のために招待された。上海蟹は非常においしくて、たとえば横浜の中華街や六本木の中国飯店で食べるものとは微妙に違っていた。同じ種類の蟹なのでまったく違うわけではなく、微妙に違っていたのだが、表現のあらゆる領域における重要な差異というのは常に微妙なものだ。

 上海では、「蟹尽くし」とか「蟹食べ放題」と呼ばれるメニューは避けたほうがいい。上海蟹の味噌はソースとしていろいろ工夫を施すことができる。蟹味噌とキャビアを合わせてもいいし、フカヒレと合わせることも可能だ。蟹味噌と蟹の肉を混ぜたものを胞子に包んだり焼いたパンの上に乗せたりして食べるのが一般的だが、とにかく味のいいソースなので、工夫とアレンジが可能なのである。

 だが上海蟹そのものはそのような工夫を拒否する偉大な食材なので蒸したものをそのまま食べるべきだ。元イギリス租界のおしゃれなビルの中にある有名なヌーベル・シノワの店では、茶碗蒸しのような卵+豆腐に沈めるようにして蟹を出してきたが、そんな小手先の工夫は意味がない。

 その店のシェフは一流でわたしは技術とセンスに敬意を払っているが、上海蟹については落第だった。上海蟹というのはそれ自体が食材でもあり料理でもある。上海蟹は、もちろん充分に火が通っていなければならないが、味噌が硬くなってもいけないという厳密な蒸し具合が要求される。茶碗蒸しに沈めるというような小手先の工夫に走ると、その厳密な蒸し時間が狂ってしまう。
(中略)

 ソウルでは、主要新聞やテレビ、それにいくつかの雑誌やウェブサイトの取材を受けた。インタビューはホテルの私の部屋で行われたが、一昨年に脱北者を取材したときと同じタイプの部屋だった。そのホテルはミョンドンからすぐの場所にあって、なじみの海鮮料理屋に近いからわたしの定宿になっている。そして一昨年も今回もリクエストした部屋のタイプはエグゼクティブスイートだった。だから部屋のタイプが同じなのは当然あのだが、脱北者取材のときの強烈な疲労感と感慨がよみがえった。

 脱北者の取材に比べると、映画『トパーズ』に関するインタビューは、トンチンカンな質問も多少あったが、全然疲れなかった。遅い午前中に取材が始まり、昼には配給会社の社長と参鶏鍋を食べて、また夕方まで取材を受け、そのあとプールに行って泳ぎ、あかすりとマッサージをして、海鮮料理や韓定食や参鶏鍋や焼き肉を食べに行った。

 韓国料理はほとんどすべて好きなので、目当ての料理屋に行くときはワクワクした。上海でも、蟹、蟹と呟き、ワクワクしながらレストランに向かったなと思い出し、ケジャンとユッケや牡蠣のチジミを想像しながら歩くのは楽しかった。

 一昨年の取材では、脱北者に話を聞いたあとにものすごく疲れてホテルを出る気力がなく、五日間のうち四日はオテルの中にある韓屋料理屋で夕食を済ませた。そのことを今回の滞在中何度も思い出した。

 『半島を出よ』を実際に書き終えたのが大きいのだろうと思った。確かに脱北者の取材は異様に疲れたが、外に出る気力さえなかったのは、取材内容とまだ取りかかっていない小説の計り知れない遠い遠い距離を思ったからだった。



『すぐそこにある希望』2:老後の不安p18~25
『すぐそこにある希望』1:文体論p163~165、どう生きるかp198~201

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