『縄文農耕の世界』5

<『縄文農耕の世界』5>
図書館で『縄文農耕の世界』という新書を手にしたのです。
おお 縄文農耕論ってか・・・
水田稲作の渡来が太子のミニブームなんでおます。

ところで、帰って調べてみると、この本を借りるのは2度目であることが分ったので、(その5)としました。

【縄文農耕の世界】


佐藤洋一郎著、PHP研究所、2000年刊

<「BOOK」データベース>より
農耕文化は従来弥生時代の水田稲作の渡来が起源とされてきた。だが三内丸山をはじめ縄文遺跡で発掘されるクリは栽培されたものではないか?縄文人は農耕を行っていたのではないか?著者によれば、「ヒトの手が加えられるにつれ植物のDNAのパターンは揃ってくる」という。その特性を生かしたDNA分析によって、不可能とされていた栽培実在の証明に挑む。本書では、定説を実証的に覆した上で、農耕のプロセスからそれがヒトと自然に与えた影響にまで言及する。生物学から問う新・縄文農耕論。

<読む前の大使寸評>
おお 縄文農耕論ってか・・・
水田稲作の渡来が太子のミニブームなんでおます。

rakuten縄文農耕の世界



「エピローグ」で縄文農耕の概要を、見てみましょう。
p16~18 
<縄文農耕論の系譜>
 エゴマはシソの仲間の栽培植物で、原産地が日本列島から遠く離れているため、その存在は縄文時代に栽培植物が渡来していたことを指し示す証拠になるものである。ところがそれは、「主食になる穀物ではなかった」ということで却って縄文農耕論に影を落とす結果となった。というのも、その種子塊は最初、アワのものと考えられていたからである。アワならば主要穀物の一つ、まさに縄文農耕の旗手となるにふさわしい遺物になるはずだったのである。

<まぼろしの縄文米>
 こうした「落胆」から回復する間もない1982年、青森県八戸市の風張遺跡で七粒の米粒が出土した。炭素を使った年代測定によって2800年前のものであることが1992年になって判明するとそれはたちどころに大きな反響を呼んだ。

 この発見に対する研究者の反応はまちまちであった。縄文農耕に肯定的な意見をお持ちの佐々木高明さんは、これで縄文稲作の存在が決定的になったと考えた。一方、縄文時代を基本的に狩りと採集の時代と考える国立歴史民俗博物館の佐原真さんは極めて慎重なコメントを出された。私もコメントを求められたが、何やら的外れなことを言ったような記憶がある。

 三人三様のコメントを新聞記者は見逃さなかった。


『縄文農耕の世界』1 <ヒエは日本列島原産か>p84~86、<イネはあったか>p103~107
『縄文農耕の世界』2 <「海上の道」の痕跡をどう証明するか>p124~126、<日本列島を巡る複数の縄文街道>p133~134
『縄文農耕の世界』3 <ヒトに撹乱されてできた耕地>p171~173
『縄文農耕の世界』4 <第2章 縄文農耕の実像にせまる>p82~83、<ヒエは日本列島原産か>p84~86

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