『神戸と平家』1

<『神戸と平家』1>
図書館で『神戸と平家』という本を手にしたのです。
我がドングリ国の名所旧跡といえば、平家に因むものが圧倒的多数であるのです。
・・・で、神戸と平家について、系統だてて読んでみようではないか。



【神戸と平家】


歴史資料ネットワーク編、神戸新聞総合出版センター、1999年刊

<「BOOK」データベース>より
平清盛による福原遷都をはじめ平家興亡の舞台となった時代の神戸を、永井路子、足利健亮、高橋昌明、保立道久ら多彩な執筆陣によりイメージ豊かに再現。

<読む前の大使寸評>
我がドングリ国の名所旧跡といえば、平家に因むものが圧倒的多数であるのです。
・・・で、神戸と平家について、系統だてて読んでみようではないか。

rakuten神戸と平家



兵庫区の清盛塚石塔を、見てみましょう。
p107~108 
<清盛塚石塔と鎌倉時代の兵庫津>
■伝承におおわれた石塔と移転問題
「清盛塚 何それ?」そんな神戸っ子が増えているという。神戸市の兵庫区、JR兵庫駅から南東に歩いて約十分の、運河を見おろす交差点の一角にそびえ立つ十三重の石塔が清盛塚の正体だ。

 四角い台座の上に塔身がすわり、さらにその上に笠石とよばれる屋根型の石が十三層に積まれている。台座には「弘安九 二月 日」という年月が大きく刻まれており、鎌倉時代後期の1286年頃に造られたことがわかる。震災後に新造された最上部の相輪を入れると、高さ9メートルに迫る堂々たる中世の石造物である。

 この十三重の石塔については、様々な伝承が伝わっている。石塔のたつ一帯は、八棟寺という平清盛が自らの菩提寺として建立したという大きな寺院があった…。清盛が京都の六波羅で死んだ時、側に仕えていた円実法眼という僧が、その遺骨を福原に持ってきてこの場所に納めた…。この地を訪れた鎌倉幕府の七代目の執権北条貞時が、清盛の供養のため、没後百余年にしてこの石塔を建立した…。

 これらの伝承を語り継いだ地元の人たちは、「清盛講」という信仰の集まりをつくり、毎年六月三・四日にささやかな祭をいとなんで、ミナト神戸の恩人・清盛を偲んできた。かつては子供を坊主頭にする時に、この塔に供えた水を頭にぬると剃るのを嫌がらないという、清盛の出家にちなむ微笑ましい慣習もあったらしい。

 この清盛塚が石塔であるのに、墳墓をあらわす「塚」をつけて呼ばれるのは、「平相国の墓所」として尊敬してきた人々の意識の反映である。現在も石塔の周囲には、八棟寺跡の名を刻んだ石灯籠、同寺の無縁仏とされる子石塔群、琵琶の名手であった清盛の甥・平経正にちなむ「琵琶塚」の名を大書した石碑、さらに神戸開港百年を記念してつくられた清盛の銅像などが集まっている。これらは、元清盛講のメンバーなど地元の有志の手で整備されてきたものだ。

逆臣とされてきた歴史がある平清盛であるが・・・
神戸の地ではけっこう慕われていたようですね。




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