『オランダの文豪が見た大正の日本』2

<『オランダの文豪が見た大正の日本』2>
図書館で『オランダの文豪が見た大正の日本』という本を手にしたのです。
おお この本のタイトルからして、超級レア物やおまへんか♪



【オランダの文豪が見た大正の日本】


ルイ・クペールス著、作品社、2019年刊

<「BOOK」データベース>より
長崎から神戸、京都、箱根、東京、そして日光へ。東洋文化への深い理解と、美しきもの、弱きものへの慈しみの眼差しを湛えた、ときに厳しくも温かい、五か月間の日本紀行。写真70点収録!

<読む前の大使寸評>
この本のタイトルからして、超級レア物やおまへんか♪

rakutenオランダの文豪が見た大正の日本


「第1章 長崎」で日本上陸を、見てみましょう。
p29~31 
<第一印象>
 丘々はあのおなじみの波のような線を描いている。向こうに見えるのは、湾や岬、鋭く突き出た山の岩壁、そして、諸君の知るとおりの小さなシルエット、諸君が浮世絵で何度も見たことがあるのとまさに同じ、例の松の木々が、そのか細い、針状のか細い刷毛を天に向け、突き出た山の岩壁に身をよじらせるように生えているのを見たときは、さすがに奇異な思いに打たれた。

 なんと実直だったのだろう、あの芸術家たちは! われわれは何度も心の底で、この人工の自然が何世紀にもわたる絵画の約束事であろうとは思いはしなかっただろうか。そして今われわれは、その人工の自然を、天然の自然として見ているのだ。おれから村々だ。あり得ないほどの狭き道をゴトゴト車に揺られ、村を通り抜けていく。

 見覚えのある屋根、木枠の紙格子である障子。そして、庭。庭のそばには、屋根の少し上まで身をよじらせた木が一本。そして庭の点景。鮮やかな色柄模様の着物を着た子どもたち(日本人は幼い子どもほど、華やかな着物を着ている)。まるでヨーロッパのそこかしこにある店から抜け出した人形さながらである。

 そして、おなじみの髪型の女性たち、それから、おなじみの着物に身を包んだ男たち。すべては、解けた後の謎のようであり、ややもすれば暴かれた秘密とさえいえるかもしれない。われわれは、ヨーロッパにおける安物の日本の土産物を頭から追い払わねばなるまい。そして、この自然を違った眼で眺める術を学ばねばなるまい。
(中略)

<寒い春>
 春はいまだ寒い。樟はその艶のある葉を震わせている。その葉を摘み、われわれは樟脳の香を確かめる。細く美しい(日本の)笹は、けば立ち少し波うったような、すこぶる長いダチョウの羽のように、束になって地面に密生し、岩の上に飾り物のような姿を見せている。

 藤(オランダ語で「青い雨」)は、いまだ黙したままだ。1世紀の間、身をよじらせてきた幹は、さらに螺旋を描いて伸び、その枝を蔓棚や東屋の棚に蛇のように絡ませ、最初の一葉、またそれが花房となるのを待ちながら裸身を晒している。そして身を切るような風の中、今年初めての桃の花は、紫色に、身震いする小枝の間で、まき散らされ吹き飛ばされるかのごとく、かそけく寒さに震えている。
(中略)

<長崎>
 日本の第一印象らしきもの。笑い出しそうになるのをこらえるのがやっとだ。こんなものを見るためにわざわざ遠くからやってきたのか。これで来た甲斐、大枚をはたいた価値があったというのか。いやいや、これからだ、もっと美しいもの、圧倒的なものに出会うのは!ここはまだ長崎界隈に過ぎず、ほんの序の口なのだ。

 日露戦争以前、長崎はかなり重要な場所だった。日本人はロシア語を話し、ここには常に多くのロシア人がいた。そこでどんなスパイ合戦があったかはだれにも知れない。その間、往来やビジネスも盛んになり、港には軍艦や商船が停泊していた。現在、長崎はその役目を終えたように見える。町には衰退の翳りが感じられる。さあ、この午後には、青銅の馬のいる神社へ行ってみよう。

 神社を見るからには、少しばかり宗教のことを勉強しておかねばならない。とりわけ、神道とは何かを知っておかねばならないだろう。日本では、仏教と神道が重んじられている。

『オランダの文豪が見た大正の日本』1

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