『藤井厚二の和風モダン』2

<『藤井厚二の和風モダン』2>
図書館で『藤井厚二の和風モダン』という本を手にしたのです。
ぱらぱらとめくるとモノクロではあるが思いのほか写真と画像が多くてビジュアルである。


【藤井厚二の和風モダン】


谷藤史彦著、水声社、2019年刊

<出版社>より
昭和初期に西洋的な椅子の暮らしをとりいれつつ、日本の気候、風土にふさわしい和風住宅のあり方を探究し、環境工学の先駆者となった建築家のモノグラフ。その集大成として京都・大山崎に「聴竹居」(重要文化財)があり、また生地の福山・鞆の浦には「後山山荘」がのこされている。
7月13日から9月8日まで目黒区美術館で開催される「太田喜二郎と藤井厚二ーー日本の光を追い求めた画家と建築家」展の関連書。

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくるとモノクロではあるが思いのほか写真と画像が多くてビジュアルである。

rakuten藤井厚二の和風モダン


やや専門的になるが、もう少し見てみましょう。
p111~113
<起居様式>
藤井は、起居様式についても独自の考え方をもち、椅子様式(腰掛式)と床座式(坐式)の併用が必要だとした。
現代に適応する住宅として一般的には腰掛式と坐式とを併用するの必要があります。其の場合に両式の相違によりて一住宅内を全く二つに区分し、小住宅に於ても棟を分ち構造も意匠装飾も総て厳然たる区別を為すの頗る不合理であることは、「和風住宅と洋風住宅」の章に於て述べたる如くです。両式の設備は混用し、同一の用途の室に就いて腰掛式と坐式とが必用なる場合は、両式に対し別々に室を設けずして、一室内に両式の設備をなすべきです。

 明治期の有力者の住宅においては、洋館と和館の両方を持つ方法をとり、同一の住宅内で併用を考える必要がなかった。藤井は、この考えを転換させ、同じ住宅内において椅子様式と床座式の併用方式を採用しようとした。

 小泉和子も述べるように、藤井は過去に建てた第二回住宅から第四回住宅までの三つの住宅のなかでそれを実践した。「まず完全なイス坐の部屋と、両式混用の部屋とを分けている。すなわち客室と書斎は、イス坐、老人の寝室は畳敷、居間は混用、食事室はイス坐の場合と混用の場合」を試みた。小泉は、「ユカ座とイス座を融合させる上で、いくつかのユニークな試みを行っている。すなわち、1.高いトコノマ、2.造りつけベンチ、3.段差のある床、4.玄関の腰掛である」として、藤井の併用の方法を挙げる。

 藤井の不思議なところは、彼の受けて来た建築教育なり、竹中工務店での仕事の内容の基本は、西洋建築であったのにも関わらず、その志向性およびその趣味が和風建築にあったことである。そのために、彼の住宅は、床座式を基本としながらも、そこに椅子座式に相応しい様式を併用させる独自の方法を考え出したのであった。

 一般的な日本趣味から考えれば、椅子座式の居間にそもそも床の間は不要と考えるであろうし、絵は壁に掛ければよいと考えるであろう。ところが、藤井は床の間こそが和風住宅の一大特徴であり、「室内に於ける精神上の慰安を求むる中心」であり、「室の構成に種々の面白い変化を与え」るもので、必用欠くべからざるものであるとした。

 例えば、第四回住宅(1924年)は、木造平屋建で、玄関からすぐに居間兼食事室に入り、東に応接間、西にベランダ、北に台所、西北に寝室などが続いている。応接間は、八平方メートル程の広さで、北角に高い床の間があり、それに並んで造付ベンチがある。床の間の袖壁の下半分は、採光のために吹き抜けとなり、床の高さは、ベンチ面よりも少し高く、掛物をかけられるものとし、ベンチおよび応接椅子に座ってバランスの良い高さに設定されている。

ウン 我が家もごく一般的な和洋折衷の様式であり、腰掛式と坐式とを併用して建てられているのです。
でも、藤井厚二がこの様式を昭和初期に提唱したのがすごいのでしょうね。

ところで、太子はとかく縁側が気になるのだが・・・
『日本人の「住まい」はどこから来たか』1で、日朝の縁側比較を再読するわけでおます。

『藤井厚二の和風モダン』1

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