『海峡は越えられるか』

<海峡は越えられるか>
『海峡は越えられるか』という本を手にしたのです。
これは父の蔵書から引き継いだ1冊であるが・・・
1997年にこの本が刊行されて以降、状況はさほど変わっていないようです。
ナショナリズムを超えて和解することは難しいということなんでしょうか。


【海峡は越えられるか】
海峡

網野善彦櫻井よしこ×金両基著、中央公論社、1997年刊

<「BOOK」データベース>より
慰安婦問題から征韓論まで、両国の近代に横たわる多くの論点を、タブーを恐れず、事実にのみ基づいて20時間徹底討論。

<大使寸評>
父の蔵書を引きつぐものであるが、1997年にこの本が刊行されて以降、状況はさほど変わっていないようです。
ナショナリズムを超えて和解することは難しいということなんでしょうか。

Amazon海峡は越えられるか


「Part2 征韓論から日韓併合までを検証する」の中で日中韓の関係を、見てみましょう。
p171~175
<日清戦争の宣戦布告に見る日本と清国の大義名分> 
櫻井:甲申政変後、閔妃が王朝内での力を増していくなかで、朝鮮は清国により強く傾いていきます。気弱な王よりも力が強く、義父の大院君と烈しい憎しみの戦いを演じた閔妃が、ますます日本を退け、ロシアに接近したのは、身内との骨肉の争いが大きな要因のひとつだったと言えると思います。

 それにしても疑問も残ります。朝鮮半島の歴史を振り返ると、二百回近い中国側からの侵略が繰り返されています。宗主国の大明国も清国も決して甘い統治に終始したわけではありません。過酷な取り立てが何度も繰り返されて、悲しさ、苦しさ、悔しさに涙を流しながら耐えた李王朝ならびに国民の歴史があります。

 それでもなお、中国側、清国に従おうという気持ちと、開国をして開化しなければならないと思いつつもあくまで日本には反発する気持ちが強いのです。この違いを生ましめるものはなんでしょう。

 日清戦争のときに清国は、「朝鮮半島は二百年にわたるわが属領である。だから守らなければならない」という態度でした。日本は反対に、朝鮮半島を一国の独立した国とすべきだという論で立ち向かいました。二つの国の狭間にあって、朝鮮がなぜ清国へと傾くのあ、そのへんの心理的な事情を私は知りたいと思うのです。

金:朝鮮王朝は清国の傘の下にあり、清国を宗主国として外交関係を持っていましたが、国があり国王がいて、国民がいたわけで、植民地ではなあった。19世紀に入ってからは、櫻井さんが言ったように属国とか属領といった言葉がつかわれるような力関係にあったことは事実です。

 朝鮮王朝を清国寄りにした大きな原因は、日本への信頼感が芽生えなかったことでしょうね。征韓論もありましたし、日本は何を考えているかわからない、という不信感を抱いてしまった。日本人は、今でもそうですが、国際関係において、本音と建前の落差が多きすぎる。金玉均のケースでそれが立証された、ということじゃないですか。
(中略)

 経済的な基盤はないのに自惚れだけはたくさんある。現代の韓国批判をする日本の人たちの言葉によく出てくるのは、その部分でしょう。教育だけは目一杯したんですよ。

櫻井:とくに両班はそうですよね。

金:科挙という今日で言えば国の上級国家公務員試験に合格しなければ政府の官位にはつけなかったのです。もちろん両班の家門だけに科挙の受験資格が与えられましたが、江戸幕府のように官位を世襲させることはなかった。国民の人口比例からしても、平均的な文化水準は高かった。

 少し前の時代に遡って、元が侵入してきたときも、八万大蔵経の版木を彫って国を守ろうとした。それは国宝で残っていますが、武力で戦うより平和の理念で仏に頼ったり、知識に頼る傾向が強かった。外国から何度も武力による侵略を受けた歴史を持っているのに軍備力に頼る方向には向かわなかったのです。

 一方、そういう両班たちの搾取によって、国内経済が乱れてくる。経済が乱れれば国政も乱れます。現に、農民運動が盛んになって、1894年に東学党の乱という大規模な暴動が起こる。朝鮮王朝の政府軍だけで抑えきれないので、清国に応援を頼む。日本には軍隊の派遣は頼まない。

 日本は要請がなかったので、公使館や日本人を守るという名目で、近代化された1万に近い日本軍を、勝手に仁川に上陸させます。そのために1万の兵は必要ないですから、明らかにこれはパワーゲームにかけた戦略的展開ですね。

櫻井:一気に日清間の緊張が高まるわけですね。

金:日本軍も農民軍と戦います。日本軍が来なくても、あるいは鎮圧出来たのかもしれませんが、いずれにせよ、日本軍が東学党の乱を鎮める大きな力になったことは確かです。俗に東学党の乱は日本軍によって抑え込まれたというのはそのことです。

櫻井:日本は、列強の脅威に戦々恐々として、軍備を磨いてきたわけですから。そこで力を発揮出来たのですね。

金:日本側も「なんだ、清国の軍事力なんてたいしたことない」と実感した。そして、東学党の乱がきっかけで日清戦争に突入するわけです。

 仁川のそばの豊島沖に停泊していた清国の艦隊に、日本が奇襲攻撃をかけ、その後に宣戦布告した。いわば、パールハーバー型の第一号です。これは日本ではあまり知られていまあせんね。前に言ったように、日清戦争が朝鮮半島で行われたことすら、ほとんど知られないんですから。

 そして日本が勝つ。当時の国際社会の評価では、清国のパワーをもってすれば日本に負けるはずはないという見方をしていたのが、日本が奇襲攻撃で勝利を収めた。もっとも、この時には、後のパールハーバーと違って、奇襲攻撃をしたという理由をもって日本が批判されませんでしたが。


ウン こういう史実を語り合うことが歴史認識なんだけど、過激なナショナリズムが聞く耳をなくすのでしょうね。

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