内田先生かく語りき9-R13

<内田先生かく語りき9-R13>
「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。
内田

最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。
(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)

・China Scare
・[週刊ポスト」問題について
・『低移民率を誇る「トランピアンの極楽」日本の瀕死』
・『ネット右翼とは何か』書評
・『最終講義』韓国語版あとがき
・『「そのうちなんとかなるだろう」あとがき』
・『参院選にあたって』
・『廃仏毀釈について』
・『論理は跳躍する』
・『「おじさん」的思考』韓国語版序文
・『市民講座』韓国語版のための序文
・空虚感を抱えたイエスマン
・大阪万博という幻想
・外国語学習について
・大学院の変容・貧乏シフト
・『知日』明治維新特集のアンケートへの回答
・カジノについて
・中国の若者たちよ、マルクスを読もう
・『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき
・直言3月号「韓国の教育と日本のメディア」
・人口減社会に向けて
・時間意識と知性
・Madness of the King
・吉本隆明1967
・大学教育は生き延びられるのか?
・こちらは「サンデー毎日」没原稿
・奉祝「エイリアン・コヴェナント」封切り
・米朝戦争のあと(2件)
・気まずい共存について

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内田先生かく語りき8目次

(目次全文はここ)

R13:「China Scare」を追記



2019/10/28China Scareより
 日韓関係が「史上最悪」である一方で、かつて排外主義的なメディアの二枚看板だった「嫌中」記事が姿を消しつつあることにみなさんは気づかれだろうか。
 なぜ嫌韓は亢進し、嫌中は抑制されたのか。私はそれについて説得力のある説明を聞いた覚えがない。誰も言ってくれないので、自分で考えた意見を述べる。たぶん読んで怒りだす人がたくさんいると思うが許して欲しい。

 Foreign Affairs Report はアメリカの政策決定者たちの「本音」がかなり正直に語られているので、毎月興味深く読んでいるが、ここ一年ほどはアメリカの外交専門家の中に「中国恐怖(China Scare)」が強く浸透していることが実感される。
 かつて「赤恐怖(Red Scare)」といわれる現象があった。1950年代のマッカーシズムのことはよく知られているけれど、1910年代の「赤恐怖」についてはそれほど知られていない。

 1917年にロシア革命が起きると、アメリカでもアナーキストたちによる武装闘争が始まった。1919年の同時多発爆弾テロでは、パーマー司法長官の自宅まで爆破された。政府はこれによって「武装蜂起は近い」という心証を形成した。
 いま聞くと「バカバカしい」と思えるだろうけれど、その二年前、まさかそんなところで共産主義革命が起きるはずがないと思われていたロシアでロマノフ王朝があっという間に瓦解したのである。未来は霧の中である。アメリカでだって何が起きるかわからない。
 なにしろ、1870年代の「金ぴか時代」から後、アメリカ政治はその腐敗の極にあり、資本家たちの収奪ぶりもまた非人道的なものであったからだ。レーニンは1918年8月に「アメリカの労働者たちへの手紙」の中で、「立ち上がれ、武器をとれ」と獅子吼し、1919年3月には、世界37ヵ国の労働者組織の代表者たちがモスクワに結集して、コミンテルンの指導下に世界革命に邁進することを誓言していたのである。

 十月革命時点でのロシア国内のボルシェヴィキの実数は十万人。1919年にアメリカ国内には確信的な過激派が六万人いた。そう聞けば、アメリカのブルジョワたちが「革命近し」という恐怖心に捉えられたことに不思議はない。

 19年に制定された法律では、マルクス主義者も、アナーキストも、組合活動家も、司法省が「反アメリカ的」と判定すれば、市民権をまだ取得していないものは国外追放、市民権を取得しているものはただちに収監されることになった。この仕事を遂行するために司法省内に「赤狩り(Red Hunt)」に特化したセクションが設立された。パーマーがその任を委ねたのが、若きJ・エドガー・フーヴァーである。



2019/09/05[週刊ポスト」問題についてより
『週刊ポスト』9月13日号が「『嫌韓』ではなく『断韓』だ 韓国なんて要らない」というタイトルで韓国批判記事を掲載した。新聞に広告が載ると、直後から厳しい批判の声が上がった。

 同誌にリレーコラム連載中の作家の深沢潮さんはご両親が在日韓国人だが、執筆拒否を宣言した。続いて、作家の柳美里さんも韓国籍で日本に暮らしているが、「日本で暮らす韓国・朝鮮籍の子どもたち、日本国籍を有しているが朝鮮半島にルーツを持つ人たちが、この新聞広告を目にして何を感じるか、想像してみなかったのだろうか?」と批判した。
 私もお二人に続いて「小学館とは二度と仕事をしない」とツイッターに投稿した。その後もかなりの数の人たちが同趣旨の発言をされたようである。
 それで終わるのかと思っていた。どうせ『週刊ポスト』も「炎上上等」というような気分で広告を打ってきたのであろう。「おお、話題になった。部数が伸びる」と編集部では高笑いしているのだろうと思っていた。

 腹の立つ話だが、所詮、「蟷螂之斧」である。私ごとき三文文士が「小学館とは仕事をしない」と言っても、先方は痛くも痒くもない。10年ほど前に観世のお家元と共著で能の本を出したのと、小津安二郎のDVDブックにエッセイを書いたくらいしか小学館の仕事はしたことがないし、いまもしていないし、雑誌に連載も持っていない。そんな男が「もう仕事をしない」と言ってみせても、ただの「負け犬の遠吠え」である。

 ところが、意外にも、2日午後に版元の小学館から謝罪文が出された。
「多くのご意見、ご批判」を受けたことを踏まえて、一部の記事が「誤解を広めかねず、配慮に欠けて」いたことを「お詫び」し、「真摯に受け止めて参ります」とあっさり兜を脱いだのである。

 というところで取材がばたばたと続くことになった。この件について幾つかのテレビや新聞から取材を受けたが、とりあえず私が『週刊ポスト』編集部に言いたいのは「あなたがたには出版人の矜持はないのか」ということに尽くされる。

『新潮45』の時にも同じことを書いたが、あえて世間の良識に反するような攻撃的で差別的な言葉を世間に流布させる時には、出版人はそれなりの覚悟を決めるべきだ。私なら覚悟を決めて書く。書いたことが「炎上」して火の粉が飛んで来て火傷したら、それは「身から出た錆」だと思う。それが物書きとしての「筋の通し方」である。
 まさか、書いたあとに「炎上」したからと言って、「あれは書かなかったことにしてください」とは言わない。



2019/09/02低移民率を誇る「トランピアンの極楽」日本の瀕死より
 ワシントンポスト」が 8月 29日に日本特派員からの衝撃的な記事を掲げた。

 日本の人口は減少しつつあり、その長期的な影響はこの国の生活の全域に広がっている。「Akiya」というのは義父の家の近くにあるような見捨てられた家のことであるが、それはこの人口減少がもたらす生活の変化の一つである。日本は高齢化しつつあり、老人たちが死んでもその住まいを受け継ぐものはいない。だから、隣人たちによって形成される地域社会はいま日本全土でゆっくりと消滅しつつある。

 日本ではいま800万戸が空き家になり、それは今も増え続けている。里山の集落は消滅しつつある。日本では都市でも郊外でもどこも子どもの姿をほとんど見ることがない。これは「死につつある共同体」である。大量の高齢者たちの介護のために必要な介護労働者を見出すための手立てさえ行政当局はほとんど持っていない。

 もちろん、日本はネイティヴの出生率よりもその死亡率が高い唯一の高齢化国ではない。しかし、他の先進国では、高齢者が手離した家屋は、家族のためにより豊かな未来を求めて開発途上国からやってきた若い労働者たちによってすぐに埋められる。日本ではそうではない。

 日本の総理大臣安倍晋三はよく知られている通りにトランプ的世界観の熱心な生徒である。それは韓国との政治的闘争において貿易を恫喝の道具に用いたことからも知られる。
 大量の移民受け入れを拒絶することについても、われわれが記憶している限り、トランプと安倍は緊密な合意を形成していた。その結果、日本は地上で最も均質的な国の一つとなった。だから、日本を「ほとんど外国人を含まない、民族的境界の明確な国民共同体」というトランピアンの極楽とみなすことは間違っていない。ただし、このような国民共同体には未来がない。

 最近、日本ではついに高齢者向けのおむつの販売数が幼児用おむつの販売数を超えた。これは人口崩壊の指標である。一時代前にはアメリカ人を恐怖させたあの経済大国に凋落の翳りが見えているのである。新たな労働者が長期にわたって不足しているせいで、日本の経済成長は一世代にわたって停滞を続けている。いま「日本化」という言葉は「人手不足のせいで経済的衰退に向かうこと」という意味に変わった。

 こういったことすべてに、1950年代からまったく進歩のないジェンダーロールの固定化が加わって、日本は女性たちが子供を産む上で最も魅力のない場所になった。低出生率は人口学的な死のスパイラルをひたすら加速する。



2019/08/16『ネット右翼とは何か』書評より
 本書では「ネット右翼」についてのいくつかの例示が示されている。「ネット右翼とは何か」について、それぞれの研究者がそれぞれの研究成果をテーブルに並べている。論者たち(8人いる)の間で概念の定義やその歴史的文脈について完全な合意があるわけではない。けれども、研究者がお互いの仕事に敬意を払っていることはよく伝わってくる。

 本書から私はネット右翼の社会的出自や属性については有用な知見をいくつも得ることができた。とりわけ私が気にかかったのはネット右翼の語り口の定型性である。
 私は語り口が定型的であることは書き手の知性の否定的指標だと思い込んでいたが、話は逆らしい。この定型性は意図的に構築されているのである。

 定型的な言葉づかいを繰り返しネット上にまき散らすことは「特定のトピックを際立たせるための効果的な戦略」であり、botを利用すれば、特定の政治的争点について、イデオロギー的には親和的だが、それまで組織的には無縁だった人たちを結びつけて、彼らを巨大な「世論選好のクラスター」にまとめあげることができる。
 安倍政権の政治的成功はこの「クラスター形成」にあるという指摘には強く胸を衝かれた。

 たしかに、自らアジテーションの現場に立つと、定型的な言葉づかいを繰り返すほど聴衆は「盛り上がる」ということは実感としてはよく分かる。ふだん私が教壇で話しているようなややこしい話を演説会場でしても、さっぱり受けない。それは、私が聴き手に自分のそれまでのものの考え方を「棚上げ」して、しばらくの間「中腰」に耐えてもらうことを求めるからである。

 しばらくの判断中止に耐えうることは知性的であるための重要な条件だと私は思うけれど、それはいまの日本の状況では政治的成功を断念することにほとんど等しいのである。 ということを改めて思い知らされた。



2019/08/12『最終講義』韓国語版あとがきより
 それは公共図書館の司書の方たちの年次総会での講演でした。図書館の役割についてご提言頂きたいということで、お引き受けしたのです。図書館の役割についてですから別にむずかしい話じゃないです。

 そのときに、九州のある市立図書館のことに触れました。その図書館は民間業者に業務委託したのですが、その業者は所蔵されていた貴重な郷土史史料を「利用者が少ない」という理由ですぐに廃棄して、関連企業の不良在庫だったゴミのような古書を購入するという許し難い挙に出ました。

 ところが、そうやって図書館の学術的な雰囲気を傷つけ、館内にカフェを開設するというような「俗化」戦略をとったら、なんと顧客満足度が上がって、来館者数が二倍になった。民間委託を進めていた市長は「ほらみたことか」と手柄顔をしました。図書館の社会的有用性は来館者数とか、貸出図書冊数とか、そういう数値によって考量されるべきだというのは、いかにも市場原理主義者が考えそうな話です。

 そのときに、ふっと「図書館というのはあまり人が来ない方がいいのだ」という言葉が口を衝いて出てしまいました(ほんとうにふとそう思ったのです)。そう言ってから、「ほんとうにそうだな。どうして図書館は人があまりいない方が『図書館らしい』のか?」と考え出して、それから講演の残り時間はずっとその話をすることになりました。

 図書館の閲覧室にぎっしり人が詰まっていて、玄関の外では長蛇の列が順番待ちをしている・・・というのは図書館を愛用している人たちにとっても、そして、図書館の司書さんたちにとっても、想像してみて、あまりうれしい風景ではないのじゃないかと思います。
 連日連夜人が押し掛けて、人いきれで蒸し暑い図書館が理想だ・・・という人はとりあえず図書館関係者にはいないような気がします。
 その点で、図書館はふつうの「店舗」とは異質な空間です。だから、来館者数がn倍増えたことは図書館の社会的有用性がn倍になったことであるというよう推論をして怪しまないようなシンプルマインデッドな人たちには正直言って、図書館についてあれこれ指図がましいことを言って欲しくない。

 僕がこれまで訪れた図書館・図書室の中で今も懐かしく思い出すのは、どれも「ほぼ無人」の風景です。僕以前には一人も手に取った人がいなさそうな古文書をノートを取りながら読んでいたときの薄暗く森閑としたパリの国立図書館の閲覧室、やはり古いドキュメントを長い時間読みふけっていたローザンヌの五輪博物館の西日の差し込む図書室、文献を探して何時間も過ごした都立大図書館のひんやりした閉架書庫・・・僕にとって「懐かしい図書館」というのはいずれもほぼ無人の空間でした。
 たぶん人がいない、静まり返った空間でないと書物が人間に向かってシグナルを送ってくるという不思議な出来事が起きにくいからだと思います。

 ほんとうにそうなんです。
 本が僕に向かって合図を送ってくるということがある。でも、それはしんと静まった図書館で、書架の間を遊弋しているときに限られます。というのは、そういうとき、僕は自分がどれくらい物を知らないのかという事実に圧倒されているからです。
 





2019/07/11「そのうちなんとかなるだろう」あとがきより
 最初にこの企画を持ち込んだのは NewsPicks というウェブマガジンです。半生を回顧するロング・インタビューをしたいと言ってきました。そう聞いたときは驚きましたけれど、よく考えてみれば僕も齢古希に近く、もう父も母も兄も亡くなり、親しい友人たちも次々と鬼籍に入る年回りになったわけですから「古老から生きているうちに話を聞いておこう」という企画が出てきてもおかしくはありません。

 というわけで、このロング・インタビューでは年少の聴き手相手に「あんたら若い人は知らんじゃろうが、昔の日本ではのう・・・」と遠い目をして思い出話を語る古老のスタンスを採用してみました。1960年代の中学生高校生が何を考え、どんな暮らしをしていたのかについては、同世代の作家たち(村上春樹、橋本治、関川夏央、浅田次郎などのみなさん)が貴重な文学的証言を残しておられますけれど、それらはやはりフィクションとしての磨きがかかっていまして、実相はもっと泥臭く、カオティックで、支離滅裂です。あの時代について、これから若い人たちが何か調べようとしたときに、少しでも「時代の空気」を知る上で役に立つ証言ができればいいかなと思って、インタビューではお話をしました。

 そう言えば、僕よりちょっと年長だと、椎名誠さんの『哀愁の町に霧が降るのだ』(小学館文庫)がありますね。これは1950年代末の「時代の空気」についてのとても貴重な記録だったと思います(これに類するものを僕は他に知りません)。本書も椎名さんより少し年下の人間が書いた60年代終わり頃の『哀愁の町』のようなものと思って読んで頂けたらうれしいです。

 NewsPicks のロング・インタビューがネットに上げられてしばらくしてから、マガジンハウスの編集者の広瀬さんから「単行本にしたい」というオッファーがありました。インタビューだけでは分量が足りないので、かなり加筆する必要があります。そこで、家のパソコンのハードディスクをサルベージして、「昔の話」をしている原稿を探し出し、それを切り貼りして、もとの原稿を膨らませることにしました。

 日比谷高校の頃の友人たちについて書いた二編のエッセイもそのときに掘り起こしたものです。これは広瀬さんが一読して、これだけ独立したコラムとして本文中に配分しましょうと提案してきたので、そういうかたちになりました。





2019/07/05参院選にあたってより
 私たちが自分たちの代表を送る先である「国権の最高機関」が空洞化している。
 それは意図的に行われていることである。私たちはニュースを通じて、「国会が機能していない」ということを繰り返しアナウンスされている。委員会では怒号と冷笑が飛び交い、「熟議」というのは審議時間稼ぎのことであり、どれほど野党が反対し、国民の支持がない法案でも、最後は強行採決される。だとすれば国会の審議というのは、「民主制のアリバイ作り」に過ぎないのではないか。

 国会の不調について報道されればされるほど市民の立法府への敬意は傷つけられる。
 でも、それはまさに政権が目指していることなのである。
 国会が何日も開かれず、総理大臣が海外に出て委員会を欠席し、立法府が機能していなくても「日々の生活はとりわけ問題なく機能している」というふうに人々が考えるようになれば、そこから導かれる結論は「だったら、国会なんか要らないじゃないか」というものである。
 
 そして、いまの政権が目指しているのは、まさに「国会なんか要らないじゃないか」という印象を有権者たちに刷り込むことなのである。
 そうすれば投票率は下がる。国民が国会に対する関心を失えば失うほど、集票組織をもつ与党が低投票率では「常勝」することになる。だから、政府与党の関心は「どうやって投票率を下げるか」に焦点化することになる。

 今回自民党は「改憲」を選挙の争点にしたが、それは別に憲法条項のどこをどう変えるかについて明示的な主張を掲げて、国民に信を問うということではない。そうではなくて、「日本がこんな状態になったのは、全部憲法のせいだ。憲法さえ変えればすべてはうまくゆく」という「ストーリー」を国民に刷り込み、それによって自らの政治責任を免れようとしているということである。

 だが、こんな「ストーリー」は一般の有権者には何の緊急性もないし、特段のリアリティーもない。現在日本が直面している外交内政の主要問題とも改憲はほとんど関係がない。だから、「すべては憲法のせいだ/そんなはずないじゃないか論争」というものが仮に主要な争点になれば、与党支持層以外の有権者の投票意欲は有意に下がるだろう。たぶんそういう算盤を弾いて自民党は「争点選び」をしたことだろう。





2019/05/29『廃仏毀釈について』より
 神仏分離・廃仏毀釈というのは不可解な歴史的事件である。すごく変な話なのである。歴史の教科書では「合理的な説明」がよくなされているが(水戸学が流行していた。明治政府が欧米列強に伍するためにキリスト教に対抗して国家神道を体系化するために行った。江戸時代の寺檀制度に増長した僧侶の堕落のせいで民心の仏教から離反していた・・・などなど)、どうも腑に落ちない。

 神仏習合というのはそれ以前にすでに1300年の伝統のあるほとんど土着した日本の宗教的伝統である。それを明治政府の発令した一篇の政令によって人々が軽々と捨てられたということがまず「変」である。この人たちにとって、千年を超える宗教的伝統というのはそんなに軽いものだったのか?

 神仏分離令の発令は慶應四年(1868年)である。「五畿七道諸国に布告」して、「往古ニ立帰リ」「普ク天下之諸神社、神主、禰宜、祝、神部ニ至迄、向後右神祇官附属ニ被仰渡候」という祭政一致の方針が示される。
 次に神社に対して「僧形ニテ別当或ハ社僧抔ト相唱ヘ候輩ハ復飾被仰出候」という命令が発された。社僧とは神社に勤める僧侶であり、別当は寺院と神社が一体化した神宮寺の責任者である僧のことである。この人たちに「復飾」(還俗)して、神職に奉仕するように命じたのである。

 驚くべきは、この命令に対して全国の社僧・別当たちが特段の抵抗もなく従ったということである。「長いものには巻かれろ」という処世術が宗教界に徹底していたのか、それとも「神と仏といい ただ水波の隔てにて」という血肉化した神仏習合マインドのせいで寺で読経しようと神社で祝詞を上げようと、同じことだということだったのか、私にはわからない。
 そのあと仏像をご神体としていた神社に対しては仏像仏具仏典の類を「早々ニ取除」くことを命じた神仏判別令が出された。
 それまで神宮寺の多くでは仏像をご神体に祀っていたのである。

 この「特段の抵抗もなく」というのが不思議なのである。
 ありうる説明としては、神仏分離の当初の意図が「宗教の近代化」であり、すべての制度が「近代化されねばならぬ」ということについて明治初年の民衆たちも「まあ、公方さんもいなくなっちゃったし、なんかそういう潮目みたい」というふうに感じ取っていたからだ、ということがありうるかも知れない。歴史の滔々たる流れに逆らっても仕方がないんじゃないの、と。それくらいの歴史感覚は一般民衆にもあったのかも知れない(わからないけど)。

 ターゲットになったのは寺院だけではない。最初に発令されたのは六部、虚無僧、山伏、梓巫女、憑祈祷、狐下しなどの「前近代」的な遊行の宗教者の禁止だった。加持祈祷、オカルト、ノマド的宗教者が「まず」禁止された。そういう「前近代的な宗教のかたち」の徹底排除が近代国家の心理的基礎づけに必要だったと明治政府が判断したのである。





2019/05/18『論理は跳躍する』より
 論理的にものを考えるというのは「ある理念がどんな結論をみちびきだすか」については、それがたとえ良識や生活実感と乖離するものであっても、最後まで追い続けて、「この前提からはこう結論せざるを得ない」という命題に身体を張ることです。

 ですから、意外に思われるかも知れませんけれど、人間が論理的に思考するために必要なのは実は「勇気」なのです。
 学校教育で子どもたちの論理性を鍛えるということをもし本当にしたいなら「論理は跳躍する」ということを教えるべきだと思います。僕たちが「知性」と呼んでいるのは、知識とか情報とか技能とかいう定量的なものじゃない。むしろ、疾走感とかグルーヴ感とか跳躍力とか、そういう力動的なものなんです。

 子どもたちが中等教育で学ぶべきことは、極論すれば、たった一つでいいと思うんです。それは「人間が知性的であるということはすごく楽しい」ということです。知性的であるということは「飛ぶ」ことなんですから。子どもたちだって、ほんとうは大好きなはずなんです。
 
 今回の「論理国語」がくだらない教科であるのは、そこで知的な高揚や疾走感を味わうことがまったく求められていないことです。そして、何より子どもたちに「勇気を持て」という論理的に思考するために最も大切なメッセージを伝える気がないことです。
 そもそも過去四半世紀の間に文科省が掲げた教育政策の文言の中に「勇気」という言葉があったでしょうか。僕は読んだ記憶がない。おそらく文科省で出世するためには「勇気」を持つことが無用だからでしょう。

 官僚というのは「恐怖心を持つこと」「怯えること」「上の顔色を窺うこと」に熟達した人たちが出世する仕組みですから、彼らにとっては「勇気を持たなかったこと」が成功体験として記憶されている。だから、教育の中でも、子どもたちに「恐怖心を植え付ける」ことにはたいへん熱心であるけれど、「勇気を持たせること」にはまったく関心がない。それは彼ら自身の実体験がそう思わせているのです。

「怯える人間が成功する」というのは彼ら自身の偽らざる実感なんだと思います。だから、彼らはたぶん善意なんです。善意から子どもたちに「怯えなさい」と教えている。「怯えていると『いいこと』があるよ。私にはあった」と思っているから。
 でも、知性の発達にとっては、恐怖心を持つことよりも勇気を持つことの方が圧倒的に重要です。

「勇気」というのは、知性と無縁だと思う人がいるかも知れませんけれど、それは違います。スティーヴ・ジョブスはスタンフォード大学の卒業式で、とても感動的なスピーチをしました。いまでもYoutubeで見ることができますから、ぜひご覧になってください。その中でジョブスはこう言っています。
The most important is the courage to follow your heart and intuition, because they somehow know what you truly want to become. 「最も重要なのはあなたの心と直感に従う勇気を持つことである。なぜなら、あなたの心と直感はなぜかあなたがほんとうに何になりたいのかを知っているからである。」

 ほんとうに大切なのは「心と直感」ではないんです。「心と直感に従う勇気」なんです。なぜなら、ほとんどの人は自分の心と直感が「この方向に進め」と示唆しても、恐怖心で立ち止まってしまうからです。それを乗り越えるためには「勇気」が要る。




2019/05/13『「おじさん」的思考』韓国語版序文より
 僕の父親はもうずいぶん前に亡くなりましたが、六人兄弟の四男でした。三人の姉妹と一番下の弟は子どもの頃に亡くなり、生きて終戦を迎えたのは男子五人だけでした。
 父は北京で敗戦を迎え、46年に無一物で日本に帰ってきました。

 そして、北海道の札幌にいた長兄を訪ね、そこで身支度を整え、いくばくかの生活資金をもらって東京に出てきました。次兄は長崎で原爆に被爆し、妻と二人の息子を失い、自分も全身に火傷を負って入院していました。長兄は1945年8月、敗戦直後の混乱期の日本列島を縦断して、札幌から長崎まで旅し、弟を背負ってまた北海道まで戻りました。

 長兄は北海道庁に勤める下級役人でした。彼が父親から受け継いだ家産と呼べるようなものはほとんどなく(祖父は貧しい小学校教師でした)、あったのは弟たちを支援する家長としての責任だけでした。そして、その責任をこの伯父はまことに誠実に果たしたのでした。

 僕は子供の頃、この伯父の家に正月に内田家の人々が集まるときに、どうして父たちがあれほど長兄に対して遠慮がちなのか、不思議でした。それを「古い家制度の陋習だ」と思っていました。伯父が弟たちのためにどれだけの献身をしたのか聞いて、粛然と襟を正したのは伯父が死んでずいぶん経ってからのことです。僕はそのときに「家父長のすごみ」のようなものを感じました。
 かつての日本社会には、そのような風貌を具えた家長がいました。でももう、今の日本にはいない。

 僕の少年時代(1950年から65年くらいまで)、男たちは戦前の家長制の下で成人した人たちでした。だから「家長というのはどういうふうにふるまうべきものか」についてはよく知っていました。でも、法律が変わり、家長は制度的にはいなくなり、家庭は民主的で平等なものになりました。とはいえ、男たちは自分が子供のときにそれを見て育ってきた「家長」以外に自己形成のロールモデルを持ちません。

 制度としての家長制が消滅した後の時代にあって、それでも家長としてふるまう以外に生き方を知らなかった男たち、それを僕はこの本で「おじさん」というふうに呼んでいたのだと思います。

 ときどき勘違いする人がいますけれど、僕自身は「おじさん」ではありません。100%ピュアな戦後民主主義の申し子です。わが身ひとつの自由と幸福だけを求めて、親兄弟のもとを去り、故郷に二度と立ち戻らないでも平気な「アプレゲール」です。





2019/03/25『市民講座』韓国語版のための序文より
「大市民」というのはNHKで1966年に放送されたテレビドラマのタイトルです。僕がこのドラマを観たのは中学3年生のときでした。大昔のことなので、どんなプロットだったのかもう詳しくは思い出せませんが、日常的なルーティンに流されて、政治にも社会問題にもすっかり関心を失ってしまった主人公の平凡なサラリーマンが、ある出来事をきっかけにして、市民としての責任に目覚める・・・というようなストーリーだったと思います。(中略)

 でも、人は「小市民的享楽」を自分に許すようになると、たちまちのうちに保守的になる。変化を望まず、「ステイタス・クオ」の永続を願うようになる。

「大樹の陰」にいるのが安全で、「流れに棹さす」ことが賢い生き方であるように思えてくる。わずかな「手持ち」を後生大事に抱え込んで、「これを手放してなるものか」としがみつくようになる。豊かになったようでむしろ貧乏くさくなる。自由になったようでむしろ頑なになる。それが60年代なかばの日本人の実相だったと思います。

「大市民」という新語はそういう「小成に甘んじる」生き方に対するひとつの批判だったと思います。
 それから半世紀経ちました。ずいぶん日本社会は変わったはずですけれど、広々とした視野でものごとを観察し、ことの適否を冷静に吟味し、必要があれば決然として行動することのできるような「大いなる市民」は今もやはりあたりを見渡してもなかなか見当たりません。

 でも、「大いなる市民」は市民社会には一定数存在しなければならないと僕は思います。すべての市民が「大いなる市民」である必要はありません。それは無理です。でも、できたら十五人に一人くらいの比率で「大市民」には存在して欲しい。

 僕の考える「大市民」の第一の条件は生活者であることです。
 ひとつところに腰を据えて暮らし、家族を持ち、勤労者として日々のつとめを果たし、日々のささやかな楽しみを味わいながら、その上で、政治について、経済について、文化について、宗教について、社会正義について・・・そういった個人では解決することのできないスケールの案件について、自分の思いを、自分の言葉で語ることのできる人です。(中略)

 ですから、まことに逆説的なことですけれど、「誰もしないような変な話」をする人の方が「誰でも言いそうなこと」を言う人よりも、ずっと説明がうまくなるのです。
 あまり言う人がいませんけれど、これは僕が長くさまざまの人の書いたものを読んできて得たひとつの経験知です。「変な話」をする人は説明がうまい。
 そして、その人が説明のときに動員する大胆なロジックや、思いがけない典拠や、カラフルな比喩や、聞き届けられやすい言葉の響きによって、その集団の言語は豊かなものになります。その人の知見が集団的に合意され、共有されるところまではなかなか行きませんが、その人のおかげで「言葉が富裕化する」ということだけは確実に達成されます。





2018-12-08空虚感を抱えたイエスマンより
 ある新聞の取材で「どうして今の若い人たちはこんな政治の現状に抵抗しようとしないのでしょう?」と質問されて、「空虚感を抱えたイエスマンだから」という答えがふと口を衝いて出て、言った自分で「なるほど、そうか」と妙に腑に落ちた。

「空虚感を抱えたイエスマン」というのは、わりと適切に今の20代30代の多数派の心性を言い当てているように思う。

 イエスマン、事大主義者、曲学阿世、「野だいこ」の徒輩はいつの時代にも一定数いる。別に珍しい生き物ではない。けれども、イエスマンが多数派を形成するということはふつうはめったに起こらない。諫言することを恐れない硬骨漢から「下らん奴だ」と見下されるのが、けっこう本人にはつらいからである。イエスマンはそこそこ出世はするが、めったにトップには立てないし、同僚や後輩から信頼されたり慕われたりすることもない。だから、イエスマンは長期的には「間尺に合わない生き方」というのが世の常識であった。

 ところが、どうもそれが覆ったようである。イエスマンが主流を占めるようになったのである。それは「空虚感を抱えた」という形容詞がくっついたせいである。
「虚しい・・・」と言いながら、現状を追認し、長いものに巻かれ、大樹の陰に寄るのは、ただのゴマすり野郎とは違う。むしろクールでスマートな生き方だということを言い出す若者たちがわらわらと出て来たのはおよそ10年ほど前のことである。

 社会のシステムは劣化し続けているが、このシステムの中以外に生きる場がない以上、その「劣化したシステムに最適化してみせる」他にどうしようがあるというのだ。そう暗い眼をして嘯く虚無的な青年は、上にへらへらもみ手するイエスマンよりだいぶ見栄えがいい。

 見栄えがいいと、フォロワーが増える。「こんな糞みたいなシステムの中で出世することなんか、赤子の手をひねるように簡単だぜ」という虚無的に笑ってみせると、額に汗し、口角泡を飛ばしてシステムに正面から抗っている愚直な「左翼」とか「リベラル」とか「人権派」より数段賢そうに見える。だったら、そっちの方がいいか。

 出世や金儲けはともかく、「スマートに見えるかどうか」ということはいつの時代でも若者たちにとって死活的な問題である。というわけで、「ただのイエスマン」ではなく「身体の真ん中に空洞が空いたようなうつろな顔をしているイエスマン」が輩出することになった。





2018-11-18大阪万博という幻想より
 大阪府知事、大阪市長は世界に向けてのPR活動に熱心だが、国内では招致機運が盛り上がらない。
 間近に迫った2020年の東京五輪に対してさえ市民の間に熱い待望の気持は感じられないのだから、そのさらに5年後では気合が入らないのも当然だろう。

 五輪にしても万博にしても、半世紀前の1964年の東京五輪、1970年の大阪万博の時の国民的な高揚感とそれにドライブされた劇的な社会改造を記憶している世代から見ると、今の日本の冷え方はまるで別の国のようである。
 今回の万博に国民的関心が高まらない最大の理由は、にべもない言い方をすれば、大阪で万博を開く必然性がないからである。

 公式サイトにはこんなことが書いてある。
「万博とは世界中からたくさんの人が集まるイベントで、1970年に日本で最初に開催された大阪万博(EXPO'70)は日本の高度経済成長をシンボライズする一大イベントとなりました。『万博』では新しい技術や商品が生まれ生活が便利になる『きっかけ』となります。エレベーター(1853年、ニューヨーク万博)/電話(1876年、フィラデルフィア万博)、ファミリーレストラン、ワイヤレステレフォン、電気自動車、動く歩道(1970年大阪万博)ICチップ入り入場券、AED、ドライミスト(2005年愛知万博)。
 2025年大阪・関西万博が実現したら...最先端技術など世界の英知が結集し新たなアイデアを創造発信 国内外から投資拡大 交流活性化によるイノベーション創出 地域経済の活性化や中小企業の活性化 豊かな日本文化の発信のチャンス。」

 コピーだから仕方がないが、日本語として文の体をなしていない。単語を羅列しただけだ。万博のメインテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」、サブテーマは「多様で心身ともに健康な生き方持続可能な社会・経済システム」だそうであるが、これも単語の羅列であることに変わりはない。

 公式サイトのこの文章を読んで「わくわくした」という人はたぶん推進派の中にもいないだろう。
「万博とは世界中からたくさんの人が集まるイベントで」という書き出しの一文だけで私は脱力して、先を読む意欲を殺がれた。中学生の作文じゃないんだから、他に書きようはないのか。大阪で昔万博がありました、これまでいろいろな新技術が紹介されてきました。今回のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」です。そう聞かされても、こちらとしては「ああ、そうですか」以外に感想がない。





2018/10/31外国語学習についてより
 その後、1960年代から僕はフランス語の勉強を始めるわけですけれども、この時もフランス語そのものに興味があったわけではありません。フランス語でコミュニケーションしたいフランス人が身近にいたわけではないし、フランス語ができると就職に有利というようなこともなかった。そういう功利的な動機がないところで学び始めたのです。フランス文化にアクセスしたかったから。

 僕が高校生から大学生の頃は、人文科学・社会科学分野での新しい学術的知見はほとんどすべてがフランスから発信された時代でした。40年代、50年代のサルトル、カミュ、メルロー=ポンティから始まって、レヴィ=ストロース、バルト、フーコー、アルチュセール、ラカン、デリダ、レヴィナス・・・と文系の新しい学術的知見はほとんどフランス語で発信されたのです。

 フランス語ができないとこの知的領域にアクセスできない。当時の日本でも、『パイデイア』とか『現代思想』とか『エピステーメー』とかいう雑誌が毎月のようにフランスの最新学術についての特集を組むのですけれど、「すごいものが出て来た」と言うだけで、そこで言及されている思想家や学者たちの肝心の主著がまだ翻訳されていない。フランス語ができる学者たちだけがそれにアクセスできて、その新しい知についての「概説書」や「入門書」や「論文」を独占的に書いている。とにかくフランスではすごいことになっていて、それにキャッチアップできないともう知の世界標準に追いついてゆけないという話になっていた。でも、その「すごいこと」の中身がさっぱりわからない。フランス語が読めないと話にならない。ですから、60年代―70年代の「ウッドビー・インテリゲンチャ」の少年たちは雪崩打つようにフランス語を学んだわけです。それが目標文化だったのです。
 
 のちに大学の教師になってから、フランス語の語学研修の付き添いで夏休みにフランスに行くことになった時、ある年、僕も学生にまじって、研修に参加したことがありました。振り分け試験で上級クラスに入れられたのですけれど、そのクラスで、ある日テレビの「お笑い番組」のビデオを見せて、これを聴き取れという課題が出ました。僕はその課題を拒否しました。悪いけど、僕はそういうことには全然興味がない。僕は学術的なものを読むためにフランス語を勉強してきたのであって、テレビのお笑い番組の早口のギャグを聴き取るために労力を使う気はないと申し上げた。その時の先生は真っ赤になって怒って、「庶民の使う言葉を理解する気がないというのなら、あなたは永遠にフランス語ができるようにならないだろう」という呪いのような言葉を投げかけたのでした。

 結局、その呪いの通りになってしまったのですけれど、僕にとっての「目標文化」は1940年から80年代にかけてのフランスの知的黄金時代のゴージャスな饗宴の末席に連なることであって、現代のフランスのテレビ・カルチャーになんか、何の興味もなかった。ただ、フランス語がぺらぺら話せるようになりたかったのなら、それも必要でしょうけれど、僕はフランスの哲学者の本を読みたくてフランス語を勉強し始めたわけですから、その目標を変えるわけにゆかない。フランス語という「目標言語」は同じでも、それを習得することを通じてどのような「目標文化」にたどりつこうとしているのかは人によって違う。そのことをその時に思い知りました。





2018-09-10大学院の変容・貧乏シフトより
 私が大学生の頃、大学院進学理由の筆頭は「就職したくない」だった。それまで学生運動をやったり、ヒッピー暮らしをしていた学生が、ある日いきなり髪の毛を七三に分けて、スーツを着て就活するというは、傍から見るとずいぶん見苦しいものだった。「ああいうのは厭だな」と思った学生たちはとりあえず「大学院でモラトリアム」の道を選んだ。私もそうだった。

 ところが、こんな「モラトリアム人間」ばかり抱え込んでいた時期の大学院が、学術的にはきわめて生産的だったから不思議である。
 それはちょうど日本社会が高度成長からバブル経済にさしかかる頃だった。同年配でも目端の利いた連中は金儲けに忙しく、世情に疎い貧乏研究者たちに「ふん、金にならないことしてやがる」という憐みと蔑みの視線を向けはしたが、「そんな生産性のないことは止めろ」とは言わなかった。人文系の学者が使う研究費なんて彼らからすれば「鼻くそ」みたいな額だったからである。だから、「好きにさせておけ」で済んだ。おかげで、私たち経済的生産性の低い研究者たちは、世間が金儲けに忙殺されている隙に、誰も興味を持たない、さっぱり金にならない研究に日々勤しむことができた。そして、それが結果的には高い学術的アウトカムをもたらした。そういう意味ではよい時代だった。

 でも、バブルがはじけて、日本全体が貧乏臭くなってから話が変わった。「貧すれば鈍す」とはよく言ったもので、「金がない」という気分が横溢してくると、それまで鷹揚に金を配ってくれた連中がいきなり「無駄遣いをしているのは誰だ」と眼を吊り上げるようになる。「限りある資源を分配するのだ。生産性・有用性を数値的に格付けして、その査定に基づいて資源を傾斜配分すべきだ」と口々に言い出した。

 「数値的な格付けに基づく共有資源の傾斜配分」のことを私は「貧乏シフト」と呼ぶが、大学も「貧乏シフト」の渦に巻き込まれた。そして、それが致命的だった。
 というのは、格付けというのは「みんなができることを、他の人よりうまくできるかどうか」を競わせることだからである。
「貧乏シフト」によって「誰もやっていないことを研究する自由」が大学から失われた。
「誰もやっていない研究」は格付け不能だからである。
独創的な研究には「優劣を比較すべき同分野の他の研究が存在しない」という理由で予算がつかなくなった。独創性に価値が認められないアカデミアが知的に生産的であり得るはずがない。
 日本の大学の劣化は「貧して鈍した」せいである。
 「貧する」ことはよくあることで恥じるには及ばない。だが、「鈍した」ことについては深く恥じねばならない。




2018/8/11『知日』明治維新特集のアンケートへの回答より
1.黒船来航は明治維新の始まりと見られています。どうしてアメリカは黒船4隻だけで、鎖国200年以上の日本の国門を簡単に開けたのか?中国人は国門を開くアヘン戦争に対する屈辱と違って、日本人は黒船来航に対する感情は積極的な方が多いと感じられます。それについての記念活動も多い、それはなぜでしょうか?

 最初にお断りしておきますけれど、私は近代史の専門家ではありませんし、明治維新に特に詳しいわけでもありません。私がこれから答えるのは、あくまで非専門家の個人的な見解であって、学会の常識でも、日本人の多数の意見でもないことをご承知おきください。

 アメリカの黒船四隻「だけ」と質問にはありますけれど、二隻の蒸気船だけでペリー提督たちは彼我の軍事力と科学技術の圧倒的な差を見せつけました。このとき沿岸防衛に召集された武士たちの中には戦国時代の甲冑や槍で武装したものもいたくらいですから。アヘン戦争の情報はすでに日本に伝わっていましたので、アメリカの開国要求を丸のみする以外に選択肢はないということについては、幕府内では覚悟はできていたと思います。

 清朝の中国と徳川幕府の日本、いずれも公式には海禁、鎖国政策を採用して、一般の人々とが海外の情報に接触することは禁じられていましたけれど、実際にはかなり大量に海外の書物が流入しておりました。ですから、この時点で日本の近代化が致命的に遅れていることについてはすでに指導層と知識層には知られていたはずです。

 幕閣たちに決断力がなく、無能であることについては幕府内外においてすでに不満が募っておりましたから、ここで将軍や幕閣を押したてて、国民一丸となってアメリカと一戦交えるというような気分は醸成されようがなかったのではないかと思います。
また当時の日本は原則として自給自足している300の国(藩)に分かれており、藩を超えた政治単位としての「国民国家日本」というような概念はまだリアリティーを持っておりませんでした。

 日本人が黒船来航をそれほど屈辱的に感じなかったように見えるのは、外交が徳川幕府の専管事項であって、それ以外の300諸侯やその家臣団には、さしあたり「自分の問題」だとは思われていなかったということがあったからだと思います。
むしろ、黒船来航で彼我の科学技術の差が可視化されたことを好機として、いくつかの藩では近代化をめざす派閥が勢力を増し、技術開発や兵制の刷新に向かいました。彼らは黒船来航を日本の近代化の契機として肯定的に捉えたはずです。

 けれども、黒船来航を肯定的にとらえる最大の理由は現代日本人の対米意識だと思います。日本は「黒船」によって文明開化に向かい、「GHQの日本占領」によって民主化に向かった。アメリカによる二度の「外圧」が日本にもたらしたものは総じて「善きもの」であったというのは、対米従属体制で生きることになった戦後日本人にとっては受け入れざるを得ない「総括」でした。
 
 隣国中国から見て、「どうして砲艦外交を肯定的に評価するのか?」と疑問に思われるのは当然ですけれど、それは現代日本人の「対米意識」が歴史の評価に投影されているからだというのが私の解釈です。





2018/6/14カジノについてより
(長くなるので省略、全文はここ)




2018/4/28中国の若者たちよ、マルクスを読もうより
(長くなるので省略、全文はここ)





2018/04/03『街場の憂国論』文庫版のためのあとがきより
 巻末に僕が不安げに予測した通り、「現在の自民党政権は、彼らの支配体制を恒久化するシステムが合法的に、けっこう簡単に作り出せるということ」を特定秘密保護法案の採決を通じて学習しました。その結果、2014年夏には集団的自衛権行使容認の閣議決定があり、2015年夏には国会を取り巻く市民の抗議の声の中で、安全保障関連法案が採決され、2017年には共謀罪が制定されました。

(長くなるので省略、全文はここ)





2018/03/17直言3月号「韓国の教育と日本のメディア」より
(長くなるので省略、全文はここ)





2018/03/16人口減社会に向けてより
 人口減については、政府部内では何のプランもなく、誰かがプランを立てなければならないということについての合意さえ存在しないということがわかった。その点では有意義な座談会だった。

(長くなるので省略、全文はここ)





2018/02/01時間意識と知性より
『ブレードランナー2049』は「人間とレプリカントを識別する指標は何か?」という問いをめぐる物語である。それは「最終的に人間の人間性を担保するものは何か?」という問いに置き換えることができる。
人間性とは突き詰めて言えば何なのか?それ以外のすべての条件が人間と同じである人工物を作り得たとしても、それだけは与えることができないものがあるとしたら、それは何か?

(長くなるので省略、全文はここ)





2017/12/06Madness of the Kingより
 12月5日のJapan Times に「王の狂気」と題するトランプ大統領についての記事が載った。
(長くなるので省略、全文はここ)





2017-11-10吉本隆明1967より 
 1968年は鹿島先生が大学に入ってはじめて吉本隆明と対峙した年である。私の場合はそれが一年前の1967年なので、上のような題になった。私もまた吉本隆明と少年の時に出会って、人生が変わった人間のひとりである。

(長くなるので省略、全文はここ)





2017-11-03大学教育は生き延びられるのか?より 
 正直に言って、日本の大学は、このままではもう先はないです。教育制度は惰性が強いですから、簡単には潰れはしません。民間企業のようにいきなり倒産するということはない。でも、じりじりと駄目になってゆく。長期停滞傾向が続いて、20年、30年経ったあたりで、もう本当に使い物にならなる。それでもまだ組織としてはもつでしょう。

(長くなるので省略、全文はここ)



2017-10-03こちらは「サンデー毎日」没原稿より
 国際社会からは「首相はほんとうに朝鮮半島情勢の鎮静化を望んでいるのか」について懸念が語られている。その懸念について誰も責任ある回答をしないようなので、私が海外の皆さんの懸念について、日本人を代表してお答えしたいと思う。

(長くなるので省略、全文はここ)


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