『三谷幸喜 創作を語る』2

<『三谷幸喜 創作を語る』2>
図書館で『三谷幸喜 創作を語る』という本を、手にしたのです。
おお 三谷さんの「ハウツー脚本家」のような本ではないか・・・
三谷さんのコメディの原点が見えるかも。


【三谷幸喜 創作を語る】


三谷幸喜著、講談社、2013年刊

<「BOOK」データベース>より
「新しいこと」「おもしろいこと」ばかり考える希代のクリエイターの頭の中身。『古畑任三郎』から『清須会議』まで制作の舞台裏を語る。

<読む前の大使寸評>
おお 三谷さんの「ハウツー脚本家」のような本ではないか・・・
三谷さんのコメディの原点が見えるかも。

rakuten三谷幸喜 創作を語る


日芸(日本大学芸術学部)での修業エピソードあたりを、見てみましょう。インタビュアーは松野大介さんです。
p40~45
<12人の優しい日本人> 
『やっぱり猫が好き』に携わっていた1990年前後は、三谷さん主宰の劇団の知名度が徐々に上がっていった時期と重なる。劇作家としてのブレイク作品の話に入る前に、日大学芸術学部時代に劇団を結成した経緯を簡単に振り返ってもらった。 

Q:話はぐっとさかのぼりますが、日芸での劇団結成の話からお願いします。
三谷:日芸に入る前の僕は、高校時代に8ミリと編集機材を使い、音楽も入れて映画を創ってた。いわゆる自主映画ですね。でも他の映画マニアと、僕が撮る映画は全然違うものだったんですよ。他のアマチュアの映画は15分か20分の映像表現。僕の映画は台詞の多い芝居撮ってて50分もあったんです。

Q:芝居の中継みたいな感じですか?
三谷:実はそういう映画を一度だけ『ぴあフィルムフェスティバル』に応募した。結果は、まったく相手にされず。下手なカメラワークで台詞を言う人を撮ってるだけで50分だから、誰が見ても飽きる。その時に、自分は映像じゃなくて、ストーリーと台詞が好きなんだとはっきりわかった。

 だから日芸は映画学科じゃなくて演劇学科に入ったんです。でも僕が在籍した演劇科の当時の戯曲コースは芝居の歴史のお勉強ばかり。他の演出や舞台美術や演技コースはみんなで協力して芝居の発表会をやれるんだけど、戯曲コースだけは参加できない。だから芝居をやるために仕方なく自分で劇団を作ることにしたんです。

Q:さらに話はさかのぼりますが、もともと子供時代から芝居を創りたい気持ちはあったんですか?
三谷:僕の脚本や演出の原点は“ひとり遊び”かな。小学生の頃はオモチャの「35分1 ミリタリーミニチュアシリーズ」っていう戦車や、兵隊たちを何百体と集めてた。大人が飾って楽しむような兵士のフィギュアをかなり持ってて、僕はそのフィギュアを動かしながら、自分で空想したストーリーを冒頭から再現したりしてた。

 兵隊の人形しかないから、どんな物語も兵隊に演じさせてた。だから人形を使ったひとり遊びが僕の原点というかルーツで、人形遊びがそのまま劇団になっていくんです。

Q:ベースは自分と何百体の兵隊人形。それが大学で現実となると。
三谷:最初は、先輩の劇団の手伝いをしてたんですけどね。当時はアングラが主流だから「昭和月影斜」って劇団で、唐十郎さんの赤テントのイメージに近いかな。もともとハリウッド映画が大好きで演劇を学び始めた僕は、アングラの芝居があまりにもつらくてすぐ辞めた。

 でも「集まって、稽古して、本番を迎えて、終わって打ち上げ」ってプロセスは気に入った。映画の『大脱走』が子供の頃から好き。集団が団結して何かに挑戦したり戦ったりするストーリー。『七人の侍』もそう。
 そんな好きな物語の設定と、みんなが集まって劇団を結成し芝居を創っていくという流れが重なって、芝居は楽しいなと思った。「どうせなら自分のやりたいことをやろう!」と自分の劇団を結成する。それが『東京サンシャインボーイズ』です。

Q:「はじめに」で触れたんですが、若い芸人のオレにダメ出ししてた当時は、大学を卒業されたばかりで劇団もまだ知名度が低かったんですよね
三谷:西村雅彦とか、後に劇団を引っ張っていくようなメンバーはまだ入ってない。旗揚げメンバーは僕の同級生と後輩と、その後輩の友達、高校時代の友達と寄せ集めです。

 僕には矛盾があるんですよ。観るほうでは“集団で何かをやる”という設定の映画が好きなのに、一人っ子でひとり遊びばかりしていた僕自身は“集団で何かをやる”ことに向いてない(笑)。そんな僕が自分の劇団を持つのは矛盾している。この矛盾が僕の永遠の課題なんです。僕はみんなを引っ張っていくリーダータイプでも、稽古の後にみんなを飲みに連れてくような兄貴キャラでもない。本当は脚本に専念したかったんだけど…僕が作った劇団だから仕方なく座長をやってました。

Q:矛盾は三谷さんのテーマみたいで、この後も出てきそうですね。最初は演出してなかったんですか。
三谷:最初、演出家は別にいたので、脚本だけ書いてたんです。客席100人ほどの小劇場で公演をやってた。当時は、つかこうへいさんの全盛期で、野田秀樹さんがガーッと出てきてた頃で、日芸の大学内にある他の劇団員は、だいたいつかさんや野田さんに憧れていた。僕は興味をそそられなくて。ハリウッド映画みたいなものを芝居でやりたかったから。
(中略)

Q:三谷さんが目指すハリウッド的なコメディを、日本のメジャーな役者さんが演ってたわけですか。
三谷:だから僕も、『昔のハリウッド映画のようなオシャレなコメディをやりたい』と考えて、台本を書いては小劇場で公演したんですけど、そんな芝居は他の劇団と違いすぎてまったくお客さんが入らず、話題にもならない。僕の同世代の劇団は世間から認められてるのに、僕の『サンシャイン…』だけ誰にも相手にされないし、劇評すらどこにも載らない。

 でも、さっきお話した『やっぱり猫が好き』でドラマ脚本家デビューした後くらいからかな、『東京サンシャインボーイズ』の公演にもお客さんが入りだしたんですよ。
(中略)

三谷:僕は『12人の怒れる男』を観たのが10歳の時なんですけど大爆笑してしまった。だって大の大人が12人も集まって、自分のことでもない事件をものすごく真剣に議論している様子がおかしくて。『12人の怒れる男』を笑って観る10歳の子供なんてそうはいないと思っている。

 その時に“自分はコメディが好きなんだ!”と気づいたんです。ついでに言うと、『オーシャンと11人の仲間』や『テキサスと5人の仲間』や黒澤監督『七人の侍』と、僕の好きな映画は人数がタイトルに入って、集団が主役で、彼らがチームを組んで何かに挑戦したり戦ったりするストーリー。さっき触れた『大脱走』には数字は入ってないけど、同じ場所で展開する設定も好きだから“コメディ・密室もの・群集劇”と、この三つが後々の僕の作品の大事な要素になっていった。

 そして、この三つの要素が詰まったのが『12人の優しい日本人』という、劇団初の一幕ものなんです。


『三谷幸喜 創作を語る』1

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