『モース・コレクション』4

<『モース・コレクション』4>
図書館で『モース・コレクション』という大型ムックを、手にしたのです。
ぱらぱらとめくると・・・
明治期の民具、家具など、また庶民の写真が満載である♪
同種のモース本のなかでも、質、量ともにすぐれた1冊でおます。

ところで帰って調べると、この本をかりたのは2度目であることが判明しました(またか)・・・で、(その3、4)としています。


【モース・コレクション】


国立民族学博物館編、小学館、1990年刊

<「BOOK」データベース>より
ムック本につきデータなし。

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくると・・・
明治期の民具、家具など、また庶民の写真が満載である♪
同種のモース本のなかでも、質、量ともにすぐれた1冊でおます。

rakutenモース・コレクション


モースさんの土産話が述べられているので、見てみましょう。
p42~43
<モースの土産話:守屋毅>
 1877年(明治10年)の晩秋、エドワード・シルヴェスター・モースは、最初の日本滞在を終えてアメリカに帰った。モースの住居は、アメリカの東海岸、ニューイングランドのセイラムにあった。ボストン近郊の古い港町である。

 翌年の春、ふたたび日本に旅立つまでのあいだ、モースは、地元セイラムやボストンの学会・研究所からたびたび帰国報告が求められた。すでにモースは、若くしてニューイングランドの有名人であった。そのモースの土産話が多くの人々の関心を集めたのも当然である。

 モース来日の当初の目的は、シャミセンガイの研究にあった。彼は日本から持ち帰った「生きたシャミセンガイ」の標本を見せて、聴衆を驚かせた。また、大森貝塚の発掘直後の帰国だったから、その出土物も話題になった。

 しかしまたモースは、日本人の暮らしや文化についての、いわゆる民族学的な見聞を語った。人々もモースの異国譚を期待していたし、さらにモース自身が、わずか半年たらずの日本滞在中に民族学への関心を急速に深めていたからでもあった。モースは日本訪問をくりかえしながら、しだいに民族学者に変身していくのである。

 セイラムのエセックス研究所の「年報」は、モースの帰国講演の様子を、そのつど、なまなましく伝えている。

 あるときモースは、日本の「小さな漁師町の住民から、高度に教育を受けた宮廷人」にいたる人々の様子を話題にした。そして彼は「国中に散在する寺院や神社についても、写真を示して説明し」、さらに「日本人の民族性、彼らの衣裳、生活の様式」などにも言及して、その講演を結んだという。

 また別の機会に、モースは「日本人が、竹と松といったまったくありふれた素材を装飾品に利用する方法、ごう普通の商売人が商品の陳列にみせるすぐれた趣味など、その民族の芸術的な手法」についてのうちとけた話をした。

 このとき、モースは「ワラやキノコ、その他の材料で作った製品の見本」を示したという。「日本の庭や小道、門口、塀、そして住居の室内装飾も、また図示された」とも記録されている。

 これらの講演にあたって、モースが「ワラやキノコ、その他の材料で作った製品の見本」を示したというのは、当面の話題からして、とりわけ注目すべきことであろう。それは、すでにこの時点で、モースの日本民具への評価がうかがえるからであり、しかもモースがはやくも民俗資料の収集を開始し、それをセイラムに持ち帰っていたことを物語っているからである。彼は、これらの講演を行ったエセックス研究所に、大量の和紙の標本を寄付したという。

 のちにモース・コレクションと呼ばれるようになる日本民具の収集は、彼の最初の来日中からはじまっていたのである。

『モース・コレクション』3:モースさん到来時の日米の状況
『モース・コレクション』2:日本におけるモース・コレクションの研究p142~143
『モース・コレクション』1:生命なき<もの>の力p141

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