『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』2

<『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』2>
図書館で『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』という本を、手にしたのです。
今回のラグビーWカップで、英国出身のケルト人末裔たちをたくさん見たわけで・・・
このスコットランド人も、興味深いのです。


【バルトン先生、明治の日本を駆ける!】


稲場紀久雄著、平凡社、2016年刊

<「BOOK」データベース>より
謎に包まれたバルトン先生の全貌解明!帝国大学教授としてコレラ禍から日本を救うため、上下水道の整備を進める一方、日本初のタワー・浅草十二階の設計を指揮、さらに写真家として小川一真の師でもあったバルトン先生。彼の貴重な写真も多数収録。

<読む前の大使寸評>
今回のラグビーWカップで、英国出身のケルト人末裔たちをたくさん見たわけで・・・
このスコットランド人も、興味深いのです。

rakutenバルトン先生、明治の日本を駆ける!



「第11章 浅草十二階」でバルトンの妻になる満津さんを、見てみましょう。
p179~181
<月琴を退く町娘・満津> 
 さて、バルトンと満津の話である。満津は、1872(明治5)年3月、神田雉子町に父荒川善七の次女として生れた。満津は、一通りの読み書き算盤を習い、この頃の東京の町娘らしく芸事の稽古にも熱心であった。ある時、師匠は満津に声を掛けた。
「お満津ちゃん、ちょっと難しいけれど、月琴を習ってみる気はないかい」

 月琴は、中国から伝えられて長崎で愛好され、坂本龍馬の妻おりょうさんも名手だった。師匠が奏でる月琴の音色が大好きだった満津は、目を輝かした。
「お師匠さん、私、習いたい」

 利発で積極的な満津は、月琴の腕前もめきめき上達した。
 ある日、師匠の顔なじみの写真師の知り合いのイギリス人が写真を撮りに来るという話があった。師匠は、おさらいに来る娘たちに言った。
「明日は、写真だよ。イギリスの人だってさ。よそ行きの着物を着ておいでね。皆、綺麗だから、外人さん、目を回しちゃうよ」

 満津は、当日お気に入りの白っぽい着物を着て、緊張して稽古場に座っていた。顔を上げると、優しい笑顔のバルトンの顔が目の前にあった。

 稽古仲間の一人が三味線を弾き、もう一人が小唄を歌い、そして満津は月琴を奏でた。月琴を細長い柄のばちでかき鳴らす満津のひたむきな姿と月琴の不思議な音色がいつまでもバルトンの心に残った。

 その後、ベルツ花から荒川家に相談が持ち込まれた。たへ子が書き残した思い出から、満津にとって八歳年上のベルツ花は、姉のような存在だったことは間違いない。
「帝大のイギリス人の先生がお手伝いさんを探しているのよ。お満津ちゃん、どうかしら。おじさん、お願いよ」
 父の善七は、花の話に初めは色よい返事をしなかった。

「お花ちゃんと違って、お満津には務まらねぇだろう」
「お満津ちゃんは、さっぱりしていて賢いから大丈夫。おじさん、バルトンさんって言ってさ、とても良い人だよ。通いで良いというお話よ。私だって最初は伊藤(博文)様の奥様に頼まれてベルツのお手伝いに入ったんだよ」
「分かった。お満津の気持ちを聞いてみよう」

 善七の話に、満津はすぐ承諾した。あの優しい笑顔が忘れられなかったのである。
 バルトンは、東京の下町の写真を撮るとき、満津に同行してもらうことが多かった。口絵に掲載した『あやめさん―明治ニ三(1890)年のロマンス』にも満津の写真がある。やがて、二人は互いに惹かれ合うようになる。

 バルトンは、近所の若衆のように「おマツ坊、近頃めっきり色が白くなったじゃねぇのかい」などと無遠慮に冷やかしたりしない。覚えたばかりの片言の日本語で、「お満津さん、これは何と言いますか?」と丁寧に尋ねてくれる。真剣な表情で見つめられると、満津はなぜか頬が紅くなる。こうして、二人は、自然に結ばれたのであった。

 1枚の写真が二人の愛を物語っている。可愛い男の子を抱いた満津が決意を秘めたきりっとした表情で写っているバルトン撮影の写真である。


『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』2:バルトンの妻になる満津さん
『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』1:バートン先生の訪日

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