『歴史の中で語られてこなかったこと』3

<『歴史の中で語られてこなかったこと』3>
図書館で『歴史の中で語られてこなかったこと』という新書を手にしたのです。
おお、「もののけ姫」のエボシ御前の正体ってか・・・これは読むしかないだろう♪



【歴史の中で語られてこなかったこと】


網野善彦×宮田登著、洋泉社、1998年刊

<「MARC」データベース>より
名作アニメ映画「もののけ姫」のエボシ御前の正体は? 女が支えた養蚕と織物の歴史の意外な事実、自由主義史観・教科諸問題まで、歴史学と民俗学の両雄が描く「列島社会」の歴史の深層。98年刊の単行本を新書化。

<読む前の大使寸評>
おお、「もののけ姫」のエボシ御前の正体ってか・・・これは読むしかないだろう♪

amazon歴史の中で語られてこなかったこと

付喪神


民俗学とは何か?、ということなんですが。
p157~160
<民俗学と民具学の「不幸」> 
網野:最近、宮田さんは柳田民俗学の批判的発展という観点から、都市民俗を取り上げておられますが(『都市民俗論の課題』未来社)、民具と職人の問題とも関連してくると思うので、ご自身の最近の構想や今後の日本の民俗学がどうあるべきかについてのお考えをお聞きしたいのですが…。

宮田:今おっしゃった民具の問題で、最近、小松和彦さんが付喪神という妖怪を取り上げている。つまり道具の化け物ですね。それを室町時代のデータで説明しているんです。民俗学の例からも道具にともなう霊的なものがあって、妖怪になってあちこちに出現する例があるんです。

 家の中の器材はお膳とかお椀が多いんですが、それが踊りだすというのは特別な霊力が働いたことになる。柳田さんは、膳椀を作った職人は山の民で、彼らが農民の日常の場に入ってきた。そして朱塗りのお膳や椀が家の宝になる。椀貸し伝説を背景に持った木地屋の力が背景にあることを指摘している。

 山人の作ったものが里に入ってくると、里の人間はそれらに対して畏怖感を持つ。道具そのものに対して霊的なものを感ずれば、それを家財として文献に残しておかなくてはならないということになる。そこで記録に残すわけです。無用なものは捨ててしまうわけですが、道具が保存されると、それにともなって器物の霊力が妖怪となり、つくも神という名称を持つわけです。これはものと人間の精神史を考えるうえで需要なデータだと思われます。

 問題が民俗学と民具学の共通の話題となって出てくるわけです。柳田民俗学と民具学は、組織が別であったという因縁がそのまま今でも続いていてはよくないわけですよ。それが解消されていくような研究課題が設定されなければならない。

 ものを知らない民俗学と、カミをぬきにした民具学という割り切り方でいくのは、そもそも不幸だと思います。そういった方向がなくなっていく可能性はあるのではないか。若い世代も生まれつつあるという気がうるわけですがどうでしょう。河岡さんや網野さんがもっとラッパを吹かれるといいのでは(笑)・・・。

 民俗研究全体いえば、何が中心なのかわからない状態ですから、民具学の柱をしっかりたてる必用があると思います。私が都市を問題にしているのもまったく同じことでありまして、あまり深味のある言い方ではないんですが、都市を研究することいよって従来の民俗学だけではなく、いろんな学問と一緒に議論できるような場になっていくという、そういう意味で都市をもちだしています。

 もともと私は民間信仰にひかれている傾向が強いですから、いつも生産関係をぬきにして原始・古代から現代まである、という言い方をするためによくお叱りをうけます。これは民俗学全体に対する歴史学からの批判でもありますけれども…。ですから民俗学だけならいいけど歴史学の方には余り口バシを出すな、というふうに育てられてきたわけです。

ウーム あとからスタートした民具学などは、いろんな学際領域からのイジワルに耐えながら発展してきたようですね。
一方で役人の権威を利用した柳田民俗学には批判がつきまとったようです。よう知らんけど。
『歴史の中で語られてこなかったこと』3:民俗学と民具学の「不幸」p157~160
『歴史の中で語られてこなかったこと』2:「コメと日本人」p229~234
『歴史の中で語られてこなかったこと』1:タタラ集団・巫女・エボシ御前p16~19

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