『歴史の中で語られてこなかったこと』1
<『歴史の中で語られてこなかったこと』1>
図書館で『歴史の中で語られてこなかったこと』という新書を手にしたのです。
おお、「もののけ姫」のエボシ御前の正体ってか・・・これは読むしかないだろう♪

アジールという観点で『もののけ姫』を、見てみましょう。
図書館で『歴史の中で語られてこなかったこと』という新書を手にしたのです。
おお、「もののけ姫」のエボシ御前の正体ってか・・・これは読むしかないだろう♪
【歴史の中で語られてこなかったこと】 ![]() 網野善彦×宮田登著、洋泉社、1998年刊 <「MARC」データベース>より 名作アニメ映画「もののけ姫」のエボシ御前の正体は? 女が支えた養蚕と織物の歴史の意外な事実、自由主義史観・教科諸問題まで、歴史学と民俗学の両雄が描く「列島社会」の歴史の深層。98年刊の単行本を新書化。 <読む前の大使寸評> おお、「もののけ姫」のエボシ御前の正体ってか・・・これは読むしかないだろう♪ amazon歴史の中で語られてこなかったこと |

アジールという観点で『もののけ姫』を、見てみましょう。
p16~19 <タタラ集団・巫女・エボシ御前> 網野:ともかく、宮崎さんないしその周辺のプロデューサーの鈴木敏夫さんなどが非常によく勉強して、その成果の上に先ほど宮田さんがおっしゃったようなイメージで、つまり平地を切り捨て、山地や森に舞台を設定した。さらに「山地のアジール」と、タタラ場の都市のアジールとを対立させることになっています。意識的にこうした場面を設定したらしいですね。 宮田:タタラ集団の所在地は山中で、砂鉄や鉄鉱石の鉱脈がなければいけない。そういった場所に都市を建設することが可能な立地条件だとすると、湖の畔しかない。 網野:もちろんこの映画は創作で、あんなに多くの女性集団が山の中にいることはちょっと考えられないですね。 宮田:それも女房中心でしたね。 網野:ただ、タタラ場の周辺には女性がたくさんいることもあり得ると思いますね。今も掘ってますが、現在の島根県にある石見銀山の周辺には鉱山町ができて都市が形成されています。慶長ごろ(16世紀末~17世紀初頭)の院内銀山(秋田県)には傾城(遊女)や鍛治屋やたばこ屋の集住する町ができあがっていましたから、これはまったくあり得ない話ではありません。ただ、女性だけでタタラを踏むことはないでしょうね。 宮田:タタラの集団や鍛治屋の信仰は、大分県の国東半島にある宇佐八幡信仰の源に当たるらしい。国東半島には「六郷満山」の修験道が入っていて、その周辺の山民集団は仁聞菩薩を崇拝していた。その仁聞菩薩の縁起を見ていくと、最初は女性神なんです。その女神に仕える巫女は、朝鮮半島との関係からシャーマンとして位置づけられていた。八幡はヤハタとも読みますが、朝鮮半島との関係で出てくる外来集団を指しています。 彼らは六郷満山のような山岳を支配し、そのトップにシャーマン的な女性を置き、その下に鍛治の翁がいる。翁はもちろん男性で、それを原型とした修験者が集まり、天台系の寺院を造っている。神仏混交の世界を基本に、非常にまとまりのある集団だった。 『もののけ姫』を観ていて、なんとなくそういう世界を想像しました。古代の修験たちは朝鮮半島と往来していて、仏教公伝よりもはるか以前に日本列島に入っていた。つまり、密教的あるいはヒンズー的な呪術を持った集団が、頻繁に半島と列島の間を往復していたわけです。 そして彼らが、山間部に入って王国を作り上げる条件があるとすれば、製鉄業を基盤にしてもおかしくない。最近の研究では、古代吉備の国は製鉄の技術を持った渡来人の子孫が作った国だったようですね。 製鉄のためには、山の木々を大量に伐採し山を破壊する。地域開発センターのタタラ場のまとめ役のエボシ御前は、山の世界を守ろうとする山の精霊たちとの戦いの先頭に立つ。一方で彼女はあらゆる職能集団を包括し、平地民にとっては桃源郷のような理想の土地を作ろうとする。 柳田国男の『遠野物語』は、山人集団の存在を想定し平地民を震撼させた。同書のマヨイガ伝説は、山中の隠れ里を彷彿させ、平地民に山人たちへの憧れと畏怖の念をイメージさせていた。『もののけ姫』には、大勢の登場人物がいますが、人気投票をしたら、おそらくエボシ御前がトップになるのではないでしょうか。 網野:しかも被差別民を集めたところは、「考えたな」という気がしました。これについては、どこからも抗議されることはなかったそうです。私は、この映画のパンフレットの文中で私の意見としてはと断って「非人」という言葉を使ったのですが。 宮田:この映画の舞台はやはり中世ですか? 網野:中世後期を素材にしたことは確かです。宮崎さんもそう言ってました。 宮田:主人公の一人であるアシタカという少年は蝦夷の血をひいているということになっていますが、中世後期に蝦夷がいたんでしょうか? 網野:実際はいないでしょう。もうアイヌだったはずです。しかし柳田国男が若いころに行った東北の『遠野物語』の世界を連想できます。 宮田:強いていえば、焼畑民や狩猟民も登場しているはずですね。 網野:マタギもいますね。そういう意味では、ともかくよく勉強されて、総合的に映画のイメージを作っているのには感心しますね。 宮田:学生たちにこの映画の印象的シーンを聞いてみますと、いきなり冒頭にタタリ神になった巨大なイノシシのすさまじい突進があり、イノシシの全身にヘビが絡み付いた場面が強烈だったようです。 網野:あのときの音響と映像は凄かったですね。 宮田:体が腐っていくような感じになる。 網野:そのタタリ神に矢を撃ち込んで殺してしまった蝦夷の少年の腕にヘビが巻き付き、アザとして残る。 宮田:タタリを象徴するスティグマ(聖痕)になるわけですね。 |
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