『漢字の字形』2

<『漢字の字形』2>
図書館に予約していた『漢字の字形』という新書を、待つこと1ヵ月ほどでゲットしたのです。
この本は「ビッグイシューVOL.365」で紹介されていたので、漢字が気になる大使は即、図書館に予約していたものです。


【漢字の字形】


落合淳思著、中央公論新社、2019年刊

<「BOOK」データベース>より
「馬」の字からはタテガミをなびかせ走るウマの姿が見えてくる。しかし、「犬」からイヌを、「象」からゾウの姿を想像することは難しい。甲骨文字から篆書、隷書を経て楷書へー字形の変化を丹念にたどると、祭祀や農耕など中国社会の変化の軌跡を読み取れる。漢字がもつ四千年の歴史は、捨象と洗練と普及の歴史なのだ。本書では小学校で習う教育漢字を取り上げた。眺めて楽しい字形表から漢字の歴史が見えてくる。

<読む前の大使寸評>
この本は「ビッグイシューVOL.365」で紹介されていたので、漢字が気になる大使は即、図書館に予約していたものです。

<図書館予約:(9/20予約、10/22受取)>

rakuten漢字の字形


「序章 漢字の歴史」を、見ていきましょう。
p5~9
<初期の王朝…文字の萌芽> 
 古代中国では、今から四千年ほど前、紀元前ニ千年ごろに最初の王朝が出現した。世襲の王が広大な地域を支配し、また多くの人々を動員して都市や宮殿を造営していた。
この時代には、青銅器の大量生産も開始されており、武器だけではなく神を祭る礼器も作られた。

 この王朝の遺跡からは、まとまった文字資料が発見されていないため、漢字が最初に作られた年代は、今のところ正確には分かっていない。しかし、こうした巨大な政治組織の出現とその運営には、文字が活用されたと考えるのが自然であり、紀元前ニ千年ごろに漢字の原型ができたのではないかと推定されている。

 一つの都市やその周辺の支配だけであれば、支配者が直接的に見て回ることができるが、王朝規模の支配範囲になると、すべてを視察することは不可能である。おそらく、そうした広域支配を構築する過程で、情報伝達の手段として文字が発達したのであろう。また、王朝を運営するための知識や技術を残していくためにも文字が活用されたと考えられている。

 なお、最初の王朝が出現したのは黄河の中流域であるが、そこから少し離れた下流域では、同時期に文字が出現していたことが判明している。
 ここに挙げた図は、下流域の遺跡から発見された陶片であり、おそらく縦書きで一行につきニ文字ずつの文章が刻まれている。残念ながら漢字とは別系統の文字体系であり、また出土数もごく僅かなので解読はできないが、同じような時代に下流域に文字が存在していたのであれば、中流域にも文字が出現していたとしても不思議はない。



<殷王朝の甲骨文字…統治手段としての文字> 
 現在までに発見されている最古の漢字史料は「甲骨文字」であり、特に殷王朝の後期に大量に作られた。当時は亀の甲羅や家畜の骨を使った占いが盛んにおこなわれており、使った甲羅や骨に占いの内容を刻んでいた。これが近代に発見され、解読が進められた結果、漢字の古い形であることが判明したのである。

 甲骨文字は、硬い甲羅や骨に青銅製の彫刻刀で刻まれた。そのため直線的な字形になっており、また彫刻しやすいように画数が少ないものが多い。章扉の画像のうち、上が甲骨文字の例である。

 甲骨文字の記述によれば、殷代には、王が祭祀や軍事などの王朝の重要事項について甲骨占トをおこない、その結果に従って政策を実行していた。そのため、殷王朝の政治は「神権政治」とも呼ばれる。

 しかし、甲骨占トは純粋な占いではなかった。甲骨占トの方法は、甲骨に熱を加え、発生したひび割れの形で将来を占うというものであったが、「吉兆」が出やすいように事前に加工がされていたのである。

 これは筆者が実験をして明らかにしたことであるが、殷代の甲骨は裏側に窪みが彫られており、それによって表側に出現するひび割れの形をコントロールできたのである。
(中略)


<西周王朝の金文…儀礼記録としての文字> 
 殷王朝の次に建国されたのが西周王朝であり、漢字資料としては、青銅器の銘文である「金文」が中心である。金文がはじめて出現したのは殷代であるが、当初は文章になった銘文は少なく、それが大量に作られるようになったのは西周代になってからである。次頁の図は西周代の青銅器であり、表面には呪術的な紋様が鋳込まれ、金文は器の内部に記されている。


 金文の例は章扉の画像のうち下に挙げたが、青銅器に鋳込まれるため、甲骨文字よりも曲線的な形になっている。また、青銅は当時としては最高級の媒体だったため、文字も画数が多く、また美しい形になっていることが多い。

 金文には、主に儀礼の内容が残されている。西周代初期の王畿内の金文には、王や有力者が臣下への報奨として宝貝や銅の地金などを与えた「賜与儀礼」が多く見られる。奉仕と恩賞の関係によって君臣関係が構築されていたのであり、原始的な支配体制と言えるだろう。


『漢字の字形』1

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント