『献灯使』1

<『献灯使』1>
図書館に予約していた『献灯使』という本を待つこと10ヵ月ほどでゲットしたのです。
腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪



【献灯使】


多和田葉子著、講談社、2014年刊

<「BOOK」データベース>より
鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。

<読む前の大使寸評>
腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪

<図書館予約:(12/09予約、10/13受取)>

rakuten献灯使


「献灯使」の冒頭の語り口を、見てみましょう。
p8~10
<献灯使> 
 無名(むめい)は青い絹お寝間着を着たまま、畳の上にべったり尻をつけてすわっていた。どこかひな鳥を思わせるのは、首が細長い割に頭が大きいせいかもしれない。絹糸のように細い髪の毛が汗で湿ってぴったり地肌に貼りついている。瞼をうっすら閉じ、空中を耳で探るように頭を動かして、外の砂利道を踏みしめる足音を鼓膜ですくいとろうとする。

 足音はどんどん大きくなっていって突然止まる。引き戸が貨物列車のようにガラガラ走りだし、無名が眼をひらくと、朝日が溶けたタンポポみたいに黄色く流れ込んでくる。無名は両肩を力強く後に引いて胸板を突き出し、翼をひろげるように両手を外まわりに持ち上げた。

 肩で息をしながら近づいてくる義郎は、目尻に深い皺を寄せて微笑んでいた。靴を脱ごうと片脚を持ち上げてうつむいた途端、その額から汗の滴がぱらぱら落ちた。

 義郎は毎朝、土手の手前の十字路にある「犬貸し屋」で犬を一匹借りて、その犬と並んで三十分ほど土手の上を走る。銀色のリボンを束ねたような川は、水量が貧しい時には意外に遠いところを流れている。

 そのように用もないのに走ることを昔の人は「ジョギング」と呼んでいたが、外来語が消えていく中でいつからか「駆け落ち」と呼ばれるようになってきた。「駆ければ血圧が落ちる」という意味で初めは冗談で使われていた流行言葉がやがて定着したのだ。無名の世代は「駆け落ち」と恋愛の間に何か繋がりがあると思ってみたこともない。

 外来語が使われなくなってきたと言っても、犬の貸し出し所にはまだふんだんにカタカナが並んでいる。義郎は「駆け落ち人」を始めた頃には自分の走る速度に自信がなかったので、なるべく小柄な犬がいいだろうと思ってヨークシャーテリアを借りたが、これが意外に走るのが速かった。

 義郎が引っ張られて転びそうになりながら息を切らして走っていると、犬は時々「どうだ」という得意顔で振り返る。こころもち上を向いた鼻先が生意気だった。翌朝ダックスフントに鞍替えすると、たまたま全く走る意欲のない無気力犬に当ってしまい、二百メートルほど走ったところで、へんなり地べたにすわりこんでしまった犬を紐で引きずるようにして、やっと貸し出し所に戻った。

「散歩が苦手な犬もいるんですね」
 と犬を返す時にやんわり不満を漏らすと、
「は? 散歩? ああ、散歩ね。ははは」
 と店の番をしていた男はとぼけている。「散歩」などという死語を使う老人を笑うことで優越感でも感じているのか。

 言葉の寿命はどんどん短くなっていく。消えていうのは外来語だけかと思えばそうではない。古くさいというスタンプを押されて次々消えていく言葉の中には後継者がない言葉もある。


「献灯使」を更に、見てみましょう。
p20~22
<献灯使> 
「身体の力を抜くコツを教える講座があるでしょう。この間、広告が出ていました。場所は確か水族館で。腱鞘炎の鞘の字が蛸という字と似ているんで覚えているんです。」
「あ、そのポスター見ました。蛸に学ぶ軟体生活。」
「そうそう。昔は軟体動物なんて馬鹿にしていたけれど、もしかしたら、人類は誰も予想していなかった方向に進化しつつあって、たとえば蛸なんかに近づいているのかも知れない。曾孫を見ていてそう思います」
「1万年後はみんな蛸ですか」
「そう。昔の人間はきっと、人間が蛸になるのは退化だと考えていたでしょうけれど、本当は進化なのかもしれない」
「高校生の頃はギリシャ彫刻みたいな身体が羨ましかった。美大をめざしていてね。いつからか、全然違う身体が好きになった。鳥とか蛸とか。一度すべてを他者の目から見てみたいな」
「他者?」
「いや、蛸です。蛸の目で見てみたいな。」

 義郎はパン屋と交わした会話を想い出しながら、小さな鍋に入れた豆乳が温まるのを待っていた。無名は歯がもろいので、パンは液体に浸さなければ食べられない。

 無名の乳歯がザクロのようにぼろぼろ取れて口のまわりに血がついているのを見た時、義郎はうろたえて、しばらく意味もなく部屋の中をぐるぐる歩きまわった。乳歯は生え変わるものだから心配ない、と自分自身に言い聞かせてやっと心の荒波を鎮め、無名を自転車の荷台に乗せて歯医者に行った。

 予約がないので二時間以上待たされた。蒸し暑い待合室で義郎は何度も脚を組み直して煙草でも吸うように自分の唇に二本の指を当ててみたり、眉毛をむやみに引っ掻いてみたりして、何度も壁の時計を見上げた。待合室には歯の模型が置いてあった。無名は親知らずの模型を大型トラックに見立てて、赤い絨毯の上に置いてゆっくり押していった。義郎は巨大な歯がトラックになって道路を滑っていく人間のいない世界を思い浮かべてぞっとした。

 無名は歯の模型に飽きると今度は「犬歯さんの冒険」という大型絵本を膝の上にのせてページをめくり始めた。隣にすわった義郎は絵本をのぞきこんで、いっしょに読もうかどうしようか迷った。自分でもちょうど児童向けの作品を書いているところだった。無名の読めるような本を書いてみたいと思う一方、無名が身近にいるせいでかえって童話が書きにくい。日々抱えている問題をナマで扱っても、答えが出ないことにいらだちを感じるだけで、本だからこそ可能な境地に行き着かない。理想の世界を描いてみたい気持ちもあったが、それを読んだ無名がすぐに自分の環境を変えられるわけではない。

ウーム 震災後の未来の日本では、日本語の感覚がどこか違っていておかしいが、言葉とはそのように流動的なものかも。

この本も『多和田葉子アンソロジー』R1に収めておくものとします。



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