『森と人間と林業』2

<『森と人間と林業』2>
図書館で『森と人間と林業』という本を手にしたのです。
これまで全敗のようなニッポンの林業であるが・・・
この本の目次を見てみると、大使のツボが疼いたのでおます。


【森と人間と林業】


村尾行一著、築地書館、2019年刊

<出版社からのコメント>より
21世紀、日本の数少ない成長産業といわれる林業。
敗戦後の木材不足から、全国で進められた拡大造林(四季の変化に富む広葉樹の森から、真っ暗な針葉樹モノカルチャー林への植生転換)によって生まれた膨大なスギ、ヒノキの森林が大都市周辺部を含め、成熟期を迎えつつあります。

国土の7割を占める日本列島の森林。人口減少が進み、耕作放棄地は森に戻りつつあります。森林から、どのように持続可能なかたちで恵みを引き出し続けるのか。また、木材や、バイオマスエネルギーを取るだけではなく、防災やリクリエーションの場として、どのような森を育てていくのが良いのでしょうか。

<読む前の大使寸評>
これまで全敗のようなニッポンの林業であるが・・・
この本の目次を見てみると、大使のツボが疼いたのでおます。

amazon森と人間と林業


「序章 日本林業の心理と行動」で儲かる造林を、見てみましょう。
p12~15
<「雑草」は吸収根の保護者> 
 従来の農業ではいわゆる「雑草」は眼の敵である。「惰農は草を見ても草を刈らない。中農は草を見てから草を刈る。篤農は草を見ないでも草を刈る」といった趣旨の古いことわざがあるほどだ。ところが、林業では「雑草」の大きな効用を認める。

 樹木の根系は樹木を支える支柱根と水分養分を吸収する吸収根とに大別される。この吸収根の先端に菌根菌という真菌の一種が寄生して菌根をつくると根の吸収能力は特段に強まる。ところで菌根は地表の直近に展開しながら直射日光には弱い。「雑草」は日光を遮蔽してくれるので、「雑草」は菌根系の保護者であり、それは根の吸収効率を大いに高めるのである。なおいうと耕デンには除草効果もあるが、林業では先述のように耕デンは行われない。

 除草するとしても、「雑草」の草丈が稚樹よりも高くて稚樹への日光照射を遮蔽している場合のみに、しかも稚樹を遮蔽している「雑草」だけを「坪刈り」としてのみ行うべきである。農業のようにマルチを含めた全面除草を全生育期間通して繰り返して行ってはならない。

 まして除草剤は使用してはならない。除草剤は吸収根にとって加害者だからである。ところが現状はあまりにも農業的であって、稚樹が生えていない箇所まで除草している。これが森林の「保育作業」だと誤解している。それほどまでに日本の通念では林業は木材栽培業なのである。

<儲かる造林、アグロフォレストリー> 
 坪刈りよりなお賢明な方策が「アグロフォレストリー」、つまり林業と農業、とりわけ混作の輪作である農業が結合した「農林生産複合」である。

 これは通常の林業なら「雑草」が占める生態的位置にあらかじめ農作物を作付けておく。すると除草というコスト的行為が収穫という収益獲得行為に逆転する。その上、植林の準備作業である地拵えは農業のそれが代行してくれる。

 造林作業はこの地拵えと除草と苗木植栽だが、このうち造林作業コストの大部分は地拵えと除草の経費である。だから地拵えが代行され、除草が収穫に逆転することの林業経営にもたらすメリットはとても大きい。

 作付けられる作目は水稲以外の全てであって、しかも食味も栄養価も通常の農地作物よりはるかに良好である。だから世界的な森林減少原因の約八割が農地への転用である現状に鑑みて国連の関係機関がこの無施肥・無潅水のアグロフォレストリーを普及させるべく精力的に取り組んでいる。

 そして実はドイツにもアグロフォレストリーの原型である焼畑であった。しかも多種多様な焼畑類型があった。だからドイツ語には焼畑を意味する語彙が豊富なのである。ドイツの古い人工林の多くはこの「焼畑造林」(ヴァルトフェルトバウ)で造成されたものという。
 
 さらには目的樹種以外の林木を伐去する「除伐」という木材栽培業では必須の作業も近代林業では不必要である。なぜならば、生産期間の超長期な林業において、将来いかなる樹種が価値木になるかは例えばスーパーコンピューターを駆使しても予測できない。だから生える木は全て生えさせておくことが最も賢明なのだ。これもまた栽培目的の物以外の一切の植物を排除する農業と近代林業の違う点である。

<間伐を行うのであれば優勢木間伐> 
 林野庁は「森林保育」として劣勢木お間伐を強力に推進している。しかも「間伐しないと森林は荒廃する」という。だから「保育間伐」推進策を「森林整備事業」の中核事業とするのだ。しかし森林は間伐しなくても荒廃しない。

 なぜなら、葉は物質生産器官であって、その林地面積当たり総量は林齢に関係なく一定であるから、森林における物質生産量は一定である。それを各林木は奪い合う。こうした生存競争の結果、優勝劣敗となって劣勢木は自然消滅する。この現象を森林生態学では「」と呼ぶ。つまり無間伐でも森林は荒廃しない。そのなによりの証拠は日本林業が長らく無間伐林業だったことだ。

 それでも日本は森林大国である。なおもいえば原生林は勿論のこと、自然林も間伐されていない。だから劣勢木間伐、林野庁のいう「保育間伐」は不要である。間伐を行うとすれば、それはすべからく優勢木間伐として行うべきなのだ。すると間伐木が有利商品化するから現在のような間伐補助金も不要になる上に、これまで優勢木に圧倒されていた劣勢木が優勢木化する。

 さらには林床を陽光が照らすので、後継林木となる稚樹の発生・成長を促すのである。このように優勢木間伐は合自然的であり、経済的なのである。

ウン あほたれ林野庁のミスリードについては、よくわかりました。
だけど、林業という狭い業界の業界用語を駆使するこの本は、やや読みにくいのである。

『森と人間と林業』1

2017年の 朝日デジタルの書評から99で、この本が取り上げられています。

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