『村上春樹と私』4

<『村上春樹と私』4>
図書館で『村上春樹と私』という本を、手にしたのです。
著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです


【村上春樹と私】


ジェイ・ルービン著、東洋経済新報社、2016年刊

<商品の説明>より
『1Q84』『ノルウェイの森』をはじめ、夏目漱石『三四郎』や芥川龍之介『羅生門』など数多くの日本文学を翻訳し、その魅力を紹介した世界的翻訳家が綴る、春樹さんのこと、愛する日本のこと。

<読む前の大使寸評>
著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです。

rakuten村上春樹と私


アメリカでの村上講演会について、見てみましょう。
p105~111
<ファンが溢れる春樹講演会>
■冷房装置が壊れる惨事
 2005年5月から1年間、村上さんはハーバード大学ライシャワー・インスティチュートからの招待で、アーティスト・イン・レジデンスとなった。インスティチュート内の広々したオフィスも提供された。

 ここでは、前節で述べた村上の世界的な人気を示す具体的なエピソードを書いてみることにする。

 村上さんがハーバードにいるという情報が流れた途端にアメリカ各地から講演依頼が殺到したのは言うまでもない。また、国内は言うに及ばず、ドイツ、イギリス、ニュージーランドからも報道関係者がインタビューにオフィスに押し寄せてきた。通りに出れば、村上さんだと気が付いた人が話しかけてくるという具合で、1993年から95年まで同じケンブリッジに滞在した時とは劇的な対照をなしていた。村上春樹は今や、押しも押されもせぬ世界的な作家となったのである。

 2005年10月6日、マサチューセッツ工科大学(MIT)の作家シリーズで村上の朗読会が行なわれた当日、事態は絶頂を迎えたかの感があった。このシリーズに招かれるということはとりわけ名誉なことである。
(中略)

 当日になり、イベント担当者は驚愕した。今日まで、広く名前を知られた作家と言えども、大学の最大会場であるこのホールを満員にする心配はなかったのであるが、講演が始まる数時間前に、会場の全席、500席はすでに埋め尽くされていたっだけでなく、内部のすべての通路も、演壇を囲むステージエリアも歩く隙間もないほどに、ぎっしりと人々が座り込んでいたのである。

 会場の外では、ホールの入り口に至る廊下も満員で、大学警察によれば、その数、約1300人だということであった。さらに悪いことには、その日が10月には珍しい酷暑日で、満員の聴衆で熱気がむんむんする上に、ホールの冷房装置が壊れるという思いがけない惨事が起きた。会場内にいる「幸運な」人々は汗を乾かすべくプログラムをうちわ代わりに使うという始末であった。

 そうこうしているうちに朗読時間が迫ってきたのであるが、突然、大学の消防署長と名乗る男が壇上に上がって、火災法によって、席についている500人は残っていてよいが、それ以外は全員、通路と床を空けて退散するようにと声を張り上げた。皆が出ていくまで朗読会は始められないと。

 聴衆からうめき声があがり、それでも、仕方なく出ていく人々の中には涙を流している者もいた。彼らは外の廊下にいた人たち、さらに遅れて来た人たちと合流した。退出させられた人の一人は「私はインターネットでこのイベントを知って、オハイオ州シンシナティから飛行機ではるばるやって来たのに」と訴えた。聴衆は大学生くらいの年代が圧倒的に多く、アジア系が多かったが、実にさまざまな年代と国籍の人々からなっていた。

 人々が退場した後、村上さんは入場を許された。薄いグレーのスポーツコートの下は“Pickle”の文字が入った深緑のTシャツ、靴はトレードマークのランニングシューズという格好である。換気の悪さと人々の熱気は耐え難く、村上さんは、スポーツジャケットを脱いだ。Tシャツは汗でべったりと滲んでいる。そうこうするうちに、小説家ジュノ・ディアズの村上さんの紹介で会が始まった。

「村上さんは世界の実体を見せてくれます。しかも私たちが見たことのない世界の実体ではなく、私たちがそれと知らずに日々見ている世界を見せてくれるのです」
 拍手が鳴りやむと、村上さんは東京では、無名で過ごすことが難しい有名作家としてのいくつかのエピソードをユーモアたっぷりに流暢な英語で語った。続いて、「かえるくん、東京を救う」の一部を朗読した。

 聴衆が日本人でない朗読会では必ず、原文の響きを示す一端として、まず日本語で数ページ読んでから、同じページを英語で読み、その後は英語を母国語とする読み手に引き渡すというのが通常の村上さんの方針である。今回は詩人のウィリアム・コルベット氏がその役を引き受けた。

 一部のファンの熱狂的歓迎と、参加できなかった人々の大いなる失望で終わった村上さん朗読会は、MITの作家シリーズの歴史に残る一大イベントであったに違いない。
(中略)

 最後に、この2回の講演の聴衆の中には、これまたちょうどハーバード大学の客員教授としてその年、ケンブリッジに滞在していた、東京大学教授でアメリカ文学翻訳家の柴田元幸教授の姿もあった。彼は村上さんが手掛けた和訳のチェッカーとしても知られ、私とも旧知の間柄である。初めて会ったのは、2001年3月、村上さんの東京のオフィスにおいてであった。

 2000年に村上さんと柴田先生の『翻訳夜話』が対話形式として文芸春秋社から出版され、文中に私の名前もときどき出てきたのであるが、何といっても一番目を引いたのが、特に柴田先生の会話の後に記された(笑)という文字であった。翻訳に関してそんなに冗談を飛ばす人がいるのかと、ぜひ会ってみたい旨を村上さんにお願いしたところ、次の日本滞在の時に実現したのである。


『翻訳夜話』を紹介します。

【翻訳夜話】
翻訳

村上春樹×柴田元幸著、文藝春秋、2000年刊

<「BOOK」データベース>より
roll one’s eyesは「目をクリクリさせる」か?意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう?翻訳が好きで仕方がないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田は、その「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録。

<読む前の大使寸評>
おお 翻訳のプロによる「競訳」が見られるのか…期待できそうやで♪

<図書館予約:(9/08予約、9/17受取)>

rakuten翻訳夜話



『村上春樹と私』3:村上作品の英訳
『村上春樹と私』2:翻訳者の仕事
『村上春樹と私』1:翻訳の苦労


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