『エクソフォニー』

<『エクソフォニー』1>
図書館に予約していた『エクソフォニー』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。
著者の『地球にちりばめられて』という小説を読んでいるところであるが、イラチな太子はさっそくこのエッセイ集を予約していたのです。



【エクソフォニー】


多和田葉子著、岩波書店、2003年刊

<「BOOK」データベース>より
自分を包んでいる(縛っている)母語の響きからちょっと外に出てみると、どんな音楽が聞こえはじめるのか。母語の外に出ることにより、言語表現の可能性と不可能性という問題に果敢に迫る、境域の作家多和田葉子の革新的書き下ろしエッセイ集。

<読む前の大使寸評>
著者の『地球にちりばめられて』という小説を読んでいるところであるが、イラチな太子はさっそくこのエッセイ集を予約していたのです。

<図書館予約:(8/31予約、9/05受取)>

rakutenエクソフォニー


「第一部 母語の外へ出る旅」で世界の20の都市が語られているのだが・・・
そのなかで北京を、見てみましょう。
p100~104
<北京:移り住む文字たち>
 2001年夏、北京で日中女性作家会議が開かれた。作品を通してしか知らなかった日本の作家たちと会えたことも、現代中国の作家たちの作品と発言に触れられたことも、わたしにとって大きな贈り物だった。でも、何より印象に残ったのは、やはり中国語という言語であり、」その言語と日本語の係わり合い方」だった。いつもヨーロッパの言葉と日本語とを比べてあれこれ考えているわたしだが、近いようで分からないことも多く、しかも遠いのに自分の一部にもなっている中国語と触れるのは刺激的だった。

 この会議に参加していた茅野裕城子さんの『韓素音の月』を後で読んで、これは異国語としての中国語そのものの官能を取り扱った恋愛小説だ、と思った。このように漢字の快楽を感じたのは、リービ英雄の『天安門』を読んで以来のことだった。それに、読めない字と向き合ってどうにもならない感じ、読めないのに読めた時の氷の溶けるような感じ、その読めたものが誤解だったと分かった時の落胆、しかし誤解のおかげで出逢いが成立してしまう不思議さなど、ここに書かれていることは、中国青年と日本女性だけの物語ではなく、世界中で人と人、文化と文化の間に絶えず起こっていることのように思える。

 会議とほとんど同時期に、女性作家の書いた現代日本の文学の一部が中国語に訳されたものが出版された。日本人作家のものが中国語に訳されると、作家の名も簡体字になる。わたしの「葉子」の「葉」がなぜ「叶」という字になってしまうのか。「多和田叶子」という名前を見て馴染めなかった。「吐」でなく「叶」なのだからまあ意味的には悪くはない。でも「葉」と「叶」の間にはどういう関係があるのかわたしには分からないので、「今日からおまえは千だ」と言われた千尋ちゃんのような気持がした。

 簡体字に偏見を持つ日本人は、わたしだけではないだろう。心のどこかで、簡体字などは輝かしい中国の文化史に偶然あらわれた悪戯書きのようなものだと感じている人はたくさんいるだろう。


(追って記入予定)


ところで、いま図書館に多和田葉子の「献灯使」という本を予約して9ヶ月ほど待っているし、『地球にちりばめられて』という本をいま読んでいるし・・・・
もう個人的ミニブームという観があります。


【献灯使】


多和田葉子著、講談社、2014年刊

<「BOOK」データベース>より
鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。

<読む前の大使寸評>
追って記入

<図書館予約:(12/09予約、副本4、予約94)>

rakuten献灯使


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