『幸・不幸の分かれ道』3

<『幸・不幸の分かれ道』3>
図書館で『幸・不幸の分かれ道』という本を、手にしたのです。
ツチヤ先生といえば、いしいひさいちと組んだ、最強の岡山県コンビであり…大使好みの布陣でおます♪



【幸・不幸の分かれ道】


土屋賢二著、東京書籍、2011年刊

<商品説明>より
笑う哲学者、渾身の書き下ろし! 人生は無意味だ、一貫性を持て…哲学的に間違った不幸な考え方をツチヤ流に正します。

<読む前の大使寸評>
ツチヤ先生といえば、いしいひさいちと組んだ、最強の岡山県コンビであり…大使好みの布陣でおます♪

rakuten幸・不幸の分かれ道



「第5章 どうやって笑うか」で、ユーモアの効用を、見てみましょう。
p167~169
不幸をやわらげるユーモア
 これを聞いて初めて分かりました。ユーモアというのは、笑ったり笑わせたりすることが目的ではないらしいんでうよ。あるイギリスの新聞が、第二次大戦中にナチスが英仏海峡を封鎖したとき、「ヨーロッパ大陸が孤立した」という見出しをつけたらしいんです。
 たぶんそれを読んだイギリス人で笑った人はいないと思います。深刻な危機が迫っているというニュースですから、イギリス国民にとっては笑い事ではない。それでもこの記事はユーモラスです。

 このことからも分かりますけど、ユーモアのセンスというのは人を笑わす才能とか、何かを可笑しがる才能に尽きるものではないと思うんです。なぜユーモアのセンスが必用なのかを色んな人に聞くと、ユーモアのセンスは生きていく上で必用なんだと言うんです。不幸に襲われたときそれをやわらげるために必用なんだという。

 人間を打ちのめすような深刻な事態でも、ユーモアの精神があれば、それを乗り越えることができると言うんです。要するに、苦難や不幸に立ち向かう武器だと考えているんです。

 だから、看護婦さんとか学校の教師とか医者とか、ストレスの多い職業には不可欠で、それがないと生きていけないと言うんです。これは意外でした。ユーモアというのは娯楽に結びついていると思っていましたが、生きるための武器だというんですから。

 要するに、ユーモアのセンスは、もちろん笑いと密接に結びついていますが、実際にだれ一人笑わなくてもいい、とにかく何か一つのことに心が占領されてしまって打ちひしがれてしまうのを防ぐ能力だと思うんです。言ってみれば、重要視しすぎるのを矯正する能力のことなのではないかと思いました。だから、とくに悲惨なことが起こっているときに、ジョークを言おうとするんです。

 そもそも人はなぜ笑うんでしょうか。たとえば、ノーベル賞をもらった人が講演しようとして、壇上でつまづいて転んだとします。それは可笑しい。その人が転んだからといってノーベル賞を受賞した業績が無価値になるわけではないし、その人が偉大であるということに変わりはないんですが、その人にもつまづいて転ぶという面があるということが分かると、ホッとする。そうすることによって「偉大な人の前ではかしこまらないといけない」と思って心が硬直して深刻になった気持ちが急にゆるむかわ笑うんじゃないかと思います。

 人間はちょっとしたことでも過度に重要視しやすいし、すぐに深刻になりやすい。
(中略)

 そういう重大視しているこだわりから突然解放されたときに笑いが起こります。ちょうどガス抜きのようなものです。こだわりは無数にあるので、笑いの種類も無数にあります。


『幸・不幸の分かれ道』2:先入観「若いうちしかできない」
『幸・不幸の分かれ道』1:幸不幸の分かれ目

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