『アイヌと縄文』1

<『アイヌと縄文』1>
図書館で『アイヌと縄文』という本を、手にしたのです。
弥生文化を選択した現代日本人にとってのアイヌ人、縄文人という視点が、太子のツボに響くわけです。


【アイヌと縄文】


瀬川拓郎著、筑摩書房、2016年刊

<「BOOK」データベース>より
アイヌこそが縄文人の正統な末裔であることが、最近のさまざまな研究や調査で明らかになっている。平地人となることを拒否し、北海道という山中にとどまって縄文の習俗を最後まで守り通したアイヌの人びと、その文化を見ていけば、日本列島人の原郷の思想が明らかになるにちがいない。交易、祭祀、葬制、遺跡とその遺物、言語などの多方面にわたる最新のアイヌ研究を総合し、弥生文化を選択した現代日本人にとって、ありえたかもしれないもうひとつの歴史を叙述する野心的試み。

<読む前の大使寸評>
弥生文化を選択した現代日本人にとってのアイヌ人、縄文人という視点が、太子のツボに響くわけです。

rakutenアイヌと縄文




続縄文文化や水稲耕作が語られているあたりを、見てみましょう。
p64~68
<弥生文化の北上と揺れ動く社会>
■揺れ動く社会
 日本列島に弥生文化が広がるなか、北海道の縄文人はこれを受容しようとはしませんでした。かれらは、さまざまな毛皮獣が生息する亜寒帯の生態系のなかで、本州の人びとと交易する商業的狩猟民の道を選択しました。

 さらに古墳時代になると、北海道の人びとは津軽海峡を越えて東北地方へ南下し、古墳社会の人びとと直接交易をおこなうようになります。これと同時にオホーツク人がサハリンから南下して道北と道東を占め、縄文人の末裔と緊張をはらんだ関係をくりひろげることになります。

 この弥生・古墳時代に併行する北海道の文化を続縄文文化とよんでいます。その特徴は、弥生・古墳文化やオホーツク文化という異文化との交流によって社会が大きく揺れ動いたことにあります。

■弥生文化の北上
 弥生文化は、紀元前10世紀に九州北部の玄界灘沿岸で成立しました。弥生時代前期末の紀元前4世紀になると、日本海を経由いて東北北部まで拡大します。その結果、青森県でも灌漑施設をそなえた水田が営まれることになりました。ただし津軽海峡を越えてこの水稲耕作の文化が北上することはありませんでした。

 では、最北の弥生文化の水田が発見された青森県の弘前市砂沢遺跡(弥生時代前期末)の住人は、いったいどのような人びとだったのでしょうか。
 砂沢遺跡の人びとが用いていた土器は、西日本の弥生土器の影響を強く受けたものですが、その製作技術や文様には縄文土器の特徴が色濃くうけつがれていました。さらに土偶や土版といった縄文文化の祭祀・呪術具も多数みつかっています。

 そのため砂沢遺跡では、水稲耕作をおこなう弥生文化の人びとと縄文人が入れかわったのではなく、縄文人が弥生文化を選択的にうけいれたと考えられています。さらに縄文伝統が色濃くうけつがれていた以上、砂沢遺跡の住人が話していた言語も縄文語=アイヌ語であろうとされています。

 砂沢遺跡にかぎらず、東日本の弥生文化の受容は西日本とはかなりちがった様相をみせています。たとえば関東地方では中期中葉まで水稲耕作より畑作が生業の中心でした。東北の仙台平野では、水稲耕作がさまざまな生業のひとつとして行なわれていたにすぎませんでした。岩手県の北上山地では、弥生時代の洞窟遺跡も多数確認されています。その住人は狩猟に従事していたのでしょう。

 このような状況をみると、おそらく弥生時代の東日本では、縄文語=アイヌ語と弥生語=原日本語がまだら状に混在していたにちがいありません。
(中略)

■弥生文化の拒否
 北海道の続縄文人は、青森県まで拡大した弥生文化を受容することはありませんでした。それはなぜでしょうか。

 弥生時代(中期~後期)に併行する北海道の続縄文時代前期の遺跡からは、本州の産物が出土します。それは鉄器、碧玉製の管玉、ガラス玉、奄美諸島以南に生息するイモガイ製の貝輪のほか、タタラガイ、ゴホウラ、マクラガイなど南島産の各種貝製品です。石狩市紅葉山33号遺跡の墓からは、多数の碧玉製管玉と鉄器が一緒に出土しています。

 これらの製品は、本州の弥生社会で権威を示す宝となっていたものであり、だれもが手にできるようなものではありませんでした。続縄文人がこのような宝を入手するに際しては、当然高価な対価がもとめられたはずです。そして、その対価として考えられるのは、北海道に生息する各種の陸獣や海獣の毛皮なのです。
(中略)

 いずれにせよ、続縄文人は寒冷な北海道で二流の農耕民となる道ではなく、弥生文化の宝を手に入れるため、毛皮生産としての狩猟に特化していく道を選択したと私は考えています。毛皮の生産という点では、北海道はきわめて大きなポテンシャルをもつ土地だったのです。








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