『そして、メディアは日本を戦争に導いた』3

<『そして、メディアは日本を戦争に導いた』3>
図書館で『そして、メディアは日本を戦争に導いた』という本を、手にしたのです。



【そして、メディアは日本を戦争に導いた】


半藤一利, 保阪正康著、東洋経済新報社、2013年刊

<「BOOK」データベース>より
軍部の圧力に屈したのではなく、部数拡大のため自ら戦争を煽った新聞。ひとりよがりな正義にとりつかれ、なだれをうって破局へ突き進んだ国民…。昭和の大転換期の真相を明らかにし、時代状況が驚くほど似てきた“現在”に警鐘を鳴らす。
【目次】
序章 いまなぜジャーナリズム論か/第1章 戦争報道と商業主義/第2章 テロと暴力賛美の歪み、その内側/第3章 国際社会との亀裂の広がり/第4章 国家の宣伝要員という役割/第5章 暴力とジャーナリズム/終章 現在への問いかけ

<読む前の大使寸評>
戦中派が語るジャーナリズム論だけに・・・苦渋の歴史が見えるようです。

rakutenそして、メディアは日本を戦争に導いた



「第2章」でテロと暴力讃美のあたりを、見てみましょう。
p77~81
<「義挙」という名のテロに甘い国民> 
半藤:私たち昭和史をやっている人たちは、ジャーナリズム史的にはみんな5.15事件が引っかかるんですよ。5.15事件は政治的ではあるが殺人事件ですよね。でも、軍隊が起こした事件ですから、普通の裁判にはかけられずに軍事裁判になるんです。そこが軍隊という存在の恐ろしいところなんですが、それはともかく、軍事法廷では一般の人たちが傍聴できませんから、軍部が勝手に裁いたんですが、ものすごく刑が軽かった。本当に、呆気にとられるくらいに罪が軽かった。

 問題なのは、現代の私たちの目からは刑罰が軽すぎて驚くような判決が、当時の人たちにとってはそうでなかったということなんです。というのは、5.15事件を当時の人たちは、正しいとまでは言わないけれど、やむを得ざる事情があってやったことだと受け止めていたからです。国民の間に妙な人気があって、彼らの犯罪を支持したんですね。

保坂:義挙と受け止めたんですよ、テロ行為をね。

半藤:そう、大儀のために起った、義挙であると受け止めたんです。結果として、動機が良ければ何をやっても許されるという雰囲気があった。

 私たちが昭和史をやっていて5.15事件の判決を見ると、「えっ、本当かいな?」と皆が驚くくらい刑が軽い。本来は重罪であるはずなんです。ところが、なぜか情状が山ほど酌量されちゃって、軽い刑になる。しかも一切秘密だから国民に詳細はわからない。

 なぜだろうと考えると、答えは「義挙だから」なんですね。正直いうと、後の昭和史の流れを随分とおかしな方向に向けてしまった、とんでもない判決だったと言わざるを得ないんです。それを正義のため、ということで国民は肯定した。マスコミもそう書いた。日本国民とは、そういうものなんだと思うしかない。

保坂:減刑嘆願書が100万通も寄せられたとか、なかには自分の指を詰めてホルマリン漬けにして届けた人までいた。もちろん、在郷軍人会が背後でこうした動きを支えていたし、新聞も煽っていたけれど、異常な雰囲気ですよ。

半藤:新聞社も軍部支持の方向へと煽ったところは確かにある。でもね、軍隊による計画的な殺人で、しかも襲われて殺されたのは、内閣総理大臣ですよ。軽い刑で済ませてよい事件であるわけがない。

保坂:そうですよね。犬養毅の孫の犬養道子さんが話していたんですが、あの当時、彼女は小学生だったけれど、母親が近所に米を買いに行っても売ってくれなかったそうです。普通は逆ですよね。加害者の身内が白い目で見られて米を売ってもらえないというのはときどき聞く話ですけれど、この場合は被害者の身内が肩身を狭くしているんです。殺されたほうが、身体を小さくして町を歩かなければならなかったというんですね。

半藤:どうも、それが事実だったみたいですね。

保坂:無茶苦茶な時代です。

半藤:例えば、侍従長の鈴木貫太郎とか、いわゆる良識ある人たちは5.15事件の犯人を軽い刑で済ませることに、ものすごく反対したんですね。でも、そんなのはごく一部の声に過ぎなかった。むしろ、そうした声は義挙として認める国民的支持の雰囲気に呑み込まれてしまった。なぜ、澎湃とそんな支持が起こったのか、国民は許そうとしたのか、考えなければならないと思いますよ。

―:5.15事件の被害者だった政治家たちへの国民の嫌悪感からでしょうか。

保坂:それもあるだろうけれど、結局、忠臣蔵がウケる心理と同じなんですよ。以前、僕は事件についいて詳しく調べたことがあるんだけれど、例えば、当時の新聞記者なんかおかしくなっている。法廷記者なんだけれど、「この記事は涙なしには書けない」なんて、堂々と書いているんですよ。完全に記者としての冷静さを欠いているんです。

半藤:自分の涙で記事が滲んで書けない、なんて言うんだよね。そんなバカな話があるはずないでしょう。ひどいもんです。

保坂:ある大衆誌では別冊を出しています。加害者の遺族を訪ねた取材があって、「あなたは国士を生んでくれた母だ」と母親に感謝しているんですね。完全にずれてしまっている。とにかく、あの頃のことを調べると全く異常だったとわかる。

半藤:おかしくなっていますね。
 その後、テロが続くんです。なかには、脅しのテロもある。ちょっとした不法事件が起こって犯人を逮捕したら、そこに暗殺予定のリストが残されていたりした。

<「明治維新というテロ」を美化した悪影響> 
保坂:昭和初期には、動機が純粋であれば何をやってもいいという不思議な空気があったんですね。

半藤:幕末の天誅騒ぎと同じですよ。元々、江戸時代には基本的に暗殺なんかなかった。すごく温和な落ち着いた時代が続いたんです。それが突然、幕末になって尊皇攘夷運動が起こって、テロが流行り出した。でも、明治になるとそれが全部、義挙だったということにされてしまう。

 あれによって国家が変わった。薩長が新しい国家を作って、自分たちに都合の良い薩長史観で正当化した。だから、実態としてはテロによって国家が作られたのに、「あれはテロではない、義挙だ」としてしまったんですね。


『そして、メディアは日本を戦争に導いた』2:昭和初期の総合雑誌は啓蒙主義
『そして、メディアは日本を戦争に導いた』1:半藤さんの「40年周期説」

保坂:
半藤:

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