『日本の古典6(蜻蛉日記・枕草子)』1
<『日本の古典6(蜻蛉日記・枕草子)』1>
図書館で『日本の古典6(蜻蛉日記・枕草子)』という大型本を、手にしたのです。
とにかく大型で重くて、画像満載のビジュアル本である。
この手の本が置いてあるのが図書館の役割なんでしょうね。

古典のなかでも「枕草子」は大使好みのエッセイであるが・・・
「鳥は」の段を、見てみましょう。
古典の全集としては、こんな魅力的な組み合わせの本もあります。
図書館で『日本の古典6(蜻蛉日記・枕草子)』という大型本を、手にしたのです。
とにかく大型で重くて、画像満載のビジュアル本である。
この手の本が置いてあるのが図書館の役割なんでしょうね。
【日本の古典6(蜻蛉日記・枕草子)】 ![]() 大型ムック、集英社、1979年刊 <「BOOK」データベース>より ムックにつき、データ無し <読む前の大使寸評> とにかく大型で重くて、画像満載のビジュアル本である。 この手の本が置いてあるのが図書館の役割なんでしょうね。 rakuten日本の古典6(蜻蛉日記・枕草子) |

古典のなかでも「枕草子」は大使好みのエッセイであるが・・・
「鳥は」の段を、見てみましょう。
p119~120 <風物類集のモザイク> 『枕草子』の類集的章段には、まず天象・気象・動物・植物・歌枕の地名・音楽・文学・衣服・調度・行事・官職・人間など、多種多様の事象を題目とした諸段がある。 その中に、「山は」「川は」「木の花は」「木の花ならぬは」「草の花は」「鳥は」「虫は」、あるいは「物語は」など、有名な段がいくつかある。いまその中から、「鳥は」の段を取り出して読んでみよう。 鸚鵡からはじまる。大陸の鳥で、日本にも渡来した記録はあるが、清少納言は実物をおそらく見ていない。人の言葉を真似るということも、文献的な知識であろう。「人の言もふらむことをまねぶらむよ」の「らむ」は伝聞をあらわす。 「ほととぎす…」以下につづいて、山鳥。友を恋しがって鏡を見せれば慰むという。あわれな鳥で、雌雄が谷をへだてて寝るなど、聞くのもつらい。伝承にもとづいて書いている。その伝承との関係ははっきりしないが、「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」がある。 鶴は、鳴く声が雲居まで聞こえるのを、「いとめでたし」とする。『詩経』の「鶴ハ九カウ二鳴キ、声天ニ聞コユ」を受けているのである。 頭の赤い雀。これはニュウナイスズメだというが、くわしくはわからない。斑鳩の雄鳥。斑鳩はマメマワシともよばれる鳥。つぎが、たくみ鳥。ヨシキリともミソサザイともオオヨシキリとも説明される。やはり、くわしくはふめい。 鷺(サギ)は、見た目が見苦しく、目玉もギョロリとしていてあまり親しめない。ただ、「高島やゆるぎの森の鷺すらもひとりは寝じと争ふものを」と詠まれているが、ひとりでは寝ないと、争うとはどういう気持ちか、考えてみると、けなげでもあり、あわれでもあって、そこは好ましい。 |
古典の全集としては、こんな魅力的な組み合わせの本もあります。
【枕草子、方丈記、徒然草(日本文学全集07)】 ![]() 全集、河出書房新社、2016年刊 <「BOOK」データベース>より 「春はあけぼの…」一条天皇の中宮定子に仕えた宮中での生活を英知とユーモアの筆致で綴った平安の清少納言「枕草子」。「ゆく河の流れは絶えずして…」波瀾に満ちた人生を送り、鎌倉前期の大火や地震などの自然災害や人災に見舞われた体験を綴った最初の災害文学・鴨長明「方丈記」。「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて…」鎌倉末期の無常観に基づいた随想や人生訓を鋭い洞察で記した兼好「徒然草」。現代の名手による新訳・全訳で収録。 【目次】 枕草子(酒井順子訳)/方丈記(高橋源一郎訳)/徒然草(内田樹訳) <読む前の大使寸評> この本は、名手による新訳というか・・・高橋源一郎なんかのはぶっとんだ感じではないか♪ rakuten枕草子、方丈記、徒然草(日本文学全集07) |
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