『日本人の「あの世」観』3

<『日本人の「あの世」観』3>
図書館で『日本人の「あの世」観』という本を、手にしたのです。
大使の関心は縄文期の狩猟採集文化や水稲耕作あたりにあるわけで・・・
そのあたりが載っているので借りる決め手になったのです。



【日本人の「あの世」観】


梅原猛著、中央公論新社、1993年刊

<「BOOK」データベース>より
古代史の再検討を通して次々と大胆な問題提起を行い、「梅原日本学」を展開してきた著者が、アイヌと沖縄の文化の中に日本の精神文化の基層を探る。日本人の「あの世」観の基本的特質が、生命の永遠の再生と循環にあることを明らかにし、併せて人類の文明の在り方を根本的に問い直す日本文化論集。

<読む前の大使寸評>
大使の関心は縄文期の狩猟採集文化や水稲耕作あたりにあるわけで・・・
そのあたりが載っているので借りる決め手になったのです。

なお、借りたのは1989年刊の中公叢書でした。

rakuten日本人の「あの世」観




蝦夷文化あるいはアイヌ文化にまで遡って、見てみましょう。
p57~59
<東北文化への新たな視点> 
 昭和58年の秋に、私は『日本の深層――縄文・蝦夷文化を探る』なる本を書いた。それは、東北の文化を縄文文化・蝦夷文化の視点から見直そうとした著書であるが、ここで私は、従来の東北論とはいささか異なった視点で、東北文化を見た。

 従来、多くの日本人の東北地方にもつイメージは、雪に閉ざされた生産力の低い辺境の地であるというイメージと、中央政府の意向に従わない野蛮な蝦夷の住む国であるというイメージであった。

 東北は、この二つのマイナスのイメージを重くその背に負っていた。東北の各地の博物館などをまわってすぐ気のつくことは、どこの博物館でも、いかに東北地方に早く稲作農業が伝わったか、いかに中央文化の華がこの東北地方に見事に咲いたかを強調していることである。自分たちの住んでいるこの地方が決して稲作に適していない国ではなく、また自分たちが決して野蛮な蝦夷の子孫ではなく、まごうかたなき倭人、純粋日本人の子孫であることを懸命に強調しているかのようであった。

 このように東北人は、自分たちを蝦夷の子孫であるを隠し、自分たちがおそらくは蝦夷の最も純粋な子孫であると思われるアイヌと同一民族とされることを極端に嫌ったのである。
 私の東北論は、このような従来の東北論と正反対である。東北人は肉体的にも精神的にも蝦夷の血を多分に受けている、それゆえ東北人は、最も純粋な子孫であるアイヌと深い関係をもっているということである。しかも、この蝦夷というのは、もともと日本に土着していた旧石器時代の人間の血を引く縄文人の子孫であるが、その縄文文化は、狩猟採集文化としては、世界的に見ても非常に高度な独自性をもった文化なのである。

 その土着の縄文人と、紀元前3世紀以後に日本に渡来した稲作農業の民、弥生人の混血によって生じた倭人は、いつまでも狩猟採集生活という、倭人から見れば一時代前の生活形態を捨て切れない蝦夷を軽の目でもって見てきた。
(中略)

 このような視点で日本文化をみるとき、縄文文化こそは日本の深層文化あるいは基層文化であり、その深層文化あるいは基層文化の上に、それから以後の文化、弥生文化、古墳文化、律令文化、王朝文化、武家文化などがのっかかっていて、後世の文化は深くこの深層あるいは基層にある縄文文化の影響を受けているということにならざるを得ない。


『日本人の「あの世」観』2:古代から縄文時代へ
『日本人の「あの世」観』1:縄文文化論

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